夕陽の向こう側
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2016/10/09
熊野古道 紀伊路(8)<1>

海南駅から紀伊宮原駅までを歩きます。

海南駅 9時半集合ですが 雨降れば高速道路は事故渋滞が発生します。
現地の雨は出発までにあがるのか・・想定内の渋滞に少し巻き込まれました。

スタートが遅くなると踏破出来るのか不安になる。

ファミレスでモーニング食べつつ 天気回復と全員の集合を待つ。

なんとか雨が上がり 歩き始めは10時15分頃になっていたでしょうか。
45分遅れでのスタートです。

一の鳥居跡を通り過ぎ 藤白神社へと向かいます。

海南市

35.祓戸王子(はらいどおうじ、はらえどおうじ)

藤白神社に合祀され、跡地に碑。
熊野一ノ鳥居があった場所と考えられていて 聖域に入る前に身を清める為の場所です。

●鈴木屋敷
熊野三党の一族で藤白神社の神官を務めた「藤白鈴木氏」の屋敷跡。
全国の鈴木氏の総本家。屋敷は朽ちかけていました。

36.藤代王子(ふじしろおうじ)

●藤白神社 
格のある五体王子の一つ。「藤代神社」「藤白権現」「藤白若一王子権現」とも呼ばれている。

敷地内に鈴木屋敷 義経の弓掛松 有間皇子を祭った社があります。

南方熊楠は藤白王子の境内にある楠神社から「熊」と「楠」を授けてもらった。

祓戸王子を合祀。

この日は境内でフリーマッケットが開かれていました。

●有間皇子(ありまのみこ)の墓
案内版の一部を書き写します。
”孝徳天皇の皇子。斉明四年(658)11月に、謀反の疑いで捕らえられ、牟婁の湯(白浜の湯崎温泉)に行幸中の天皇のもとへ護送されました。中大兄皇子の尋問を受け、その帰り道に、この藤白坂で絞殺されました。皇子は19歳の若さであったと伝えられています。(略)”

熊野古道 紀伊路(8)<1>

いよいよ第一関門 急な上りが始まります。息を切らしながら藤代峠へと進みます。
長い急な上りが続きます。
見渡すとみかん畑の山です。

筆捨松と硯石を通り過ぎ 更に坂を上ると道路案内版があって 知らずに通り過ぎましたが どうやらそこがピークだったようです。

37.塔下王子(とうげおうじ)

若一王子(にゃくいちおうじ)との別名あり。

史跡 藤代塔下王子跡 和歌山県指定文化財。
橘本神社に合祀され 神社には若一王子と刻まれた石灯籠などが残っている。

ここの休憩所はちゃんとした家屋で 床で寛げてゆっくりお弁当を食べることもできます。
トイレもペーパー付の水洗。
裏手には展望所「御所の芝」があります。

熊野古道 紀伊路(8)<1>

ここからは下りです。
この時は上り切った安堵感で 下り楽勝!って思っていました。
ミカン畑の中を上った分だけの急坂を下ります。時々車道と交差していますので車道を渡って古道を選択して下って行きます。

●阿弥陀寺

38.橘本王子(きつもとおうじ)

阿弥陀寺の境内が跡地。
橘の大木があったとされ 白河法皇が参詣時この王子で一宿し「橘の本に一夜の旅寝して入佐の月を見るかな」という歌を詠んだと伝えられています。明治40年に橘本神社に合祀。

●橘本土橋
加茂川が流れるこの付近に土橋がかかっていて 旅籠が軒を連ねていて交通の要所だった様です。

39.所坂王子(ところざかおうじ)

橘本神社に合祀。

●橘本神社
所坂王子跡地に社殿を造営して遷座し 所坂王子と搭下王子・橘本王子を合祀した。
所坂王子の旧址として県指定史跡(1974年〈昭和49年〉4月9日指定)

元は現在地の北の「六本樹の丘」にあったとされる。
「六本樹の丘」は田道間守が常世の国から持ち帰った橘の木を最初に植えた地と伝えられ これが後にみかんになったとする伝承がある。

で ここで訳がわからなくなります。
橘本神社は「橘本王子」ではなくて「所坂王子」の跡地。
「橘本王子」の跡地は先程寄った「阿弥陀寺」で 合祀先がこの神社となります。

ミカンは昔 橘の実と言われていて 元の木は「橘本王子跡」の阿弥陀寺と ここ「所坂王子」の跡地である「橘本神社」に残されている?
奇しくもこの日「ミカン祭り」の催事の最中でした。

地名が先か王子名が先か神社が先か・・・? きっと古文書を紐解かないと・・それは自分には難しい。
先に進みましょう。(>_<)

熊野古道 紀伊路(8)<1>
posted at 2016/10/20 8:58:34
lastupdate at 2016/10/20 8:58:34
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