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おっさんらしく色々人間ドックで引っかかりながらも、長生きしたいオタク・・・。
ブログ自体はバージョン4。
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2015/05/09 :: オーウェン
・
実家帰ってる間にも、WCCFぼちぼちやってて。
戦績はまあそれほど振るわずだったけど、ATLEマイケル・オーウェン自力引き。
オーウェンは05−06で初登場時代から、かなりの頻度で起用しているフォワードなので、結構嬉しい引き。
05−06の黒カードはスタミナがなく交代要員は必須だったが、個人的には一番愛用していたカードと言っていい。
05−06のNAOMI2基板では、鬼のようにディフェンスの裏取りがうまく、かつ、ドリブルでもキラクラスのDFに競り勝つフィジカルコンタクトを持った、スーパーなFWだった。
07−08でリンドバーグ基板に変わって以降、ディフェンスの裏取りは影を潜めた(というか、全FWともディフェンスの裏を抜け出す動きは鈍くなった)が、フィジカルコンタクトの強さは健在で、相変わらずドリブル突破の鋭さは維持されていた。
10−11でリングエッジ基板に変わってからは、ドリブル突破もそれなりになってしまったが・・・。
どのVer.にせよ、現実のオーウェンのプレイスタイルを正確に反映しているかどうかは疑問なところがあるのだが、05−06時代はスタミナ不足と黒カードということで使用している人間が少なく、それでいて綺羅プジョルとかを出し抜く超速ストライカーだったので、対人戦とかでも使ってて楽しい選手であったことは間違いない。
最近は弱体化が著しいが、ATLEの目玉の一枚として出したからには、御祝儀補正がかかってるはずなので(笑)、またオーウェン中心のチームを作ってみたいと思う。
!!$img1!!
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実家帰ってる間にも、WCCFぼちぼちやってて。
戦績はまあそれほど振るわずだったけど、ATLEマイケル・オーウェン自力引き。
オーウェンは05−06で初登場時代から、かなりの頻度で起用しているフォワードなので、結構嬉しい引き。
05−06の黒カードはスタミナがなく交代要員は必須だったが、個人的には一番愛用していたカードと言っていい。
05−06のNAOMI2基板では、鬼のようにディフェンスの裏取りがうまく、かつ、ドリブルでもキラクラスのDFに競り勝つフィジカルコンタクトを持った、スーパーなFWだった。
07−08でリンドバーグ基板に変わって以降、ディフェンスの裏取りは影を潜めた(というか、全FWともディフェンスの裏を抜け出す動きは鈍くなった)が、フィジカルコンタクトの強さは健在で、相変わらずドリブル突破の鋭さは維持されていた。
10−11でリングエッジ基板に変わってからは、ドリブル突破もそれなりになってしまったが・・・。
どのVer.にせよ、現実のオーウェンのプレイスタイルを正確に反映しているかどうかは疑問なところがあるのだが、05−06時代はスタミナ不足と黒カードということで使用している人間が少なく、それでいて綺羅プジョルとかを出し抜く超速ストライカーだったので、対人戦とかでも使ってて楽しい選手であったことは間違いない。
最近は弱体化が著しいが、ATLEの目玉の一枚として出したからには、御祝儀補正がかかってるはずなので(笑)、またオーウェン中心のチームを作ってみたいと思う。
!!$img1!!
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■ Re:もし
└ 同じ境遇の者です at 2017/06/04 23:00:53
└ 山口 浩 at 2017/06/06 22:27:57
└ 同じ境遇の者です at 2017/06/07 0:09:51
└ 山口 浩 at 2017/06/09 0:39:19
└ 同じ境遇の者です at 2017/06/04 23:00:53
└ 山口 浩 at 2017/06/06 22:27:57
└ 同じ境遇の者です at 2017/06/07 0:09:51
└ 山口 浩 at 2017/06/09 0:39:19
■ Re:福井市の1980年代PC事情
└ バビロン王 at 2016/02/02 21:56:24
└ 山口浩 at 2016/02/04 23:16:39
└ バビロン王 at 2016/02/07 17:59:21
└ バビロン王 at 2016/02/02 21:56:24
└ 山口浩 at 2016/02/04 23:16:39
└ バビロン王 at 2016/02/07 17:59:21
■ Re:MSXのライバルたち その7。 MZ-1500
└ バビロン王 at 2013/02/22 10:08:17
└ 山口 浩 at 2013/02/23 1:38:07
└ へ? at 2016/01/30 15:08:54
└ 山口 浩 at 2016/01/30 22:13:11
└ バビロン王 at 2013/02/22 10:08:17
└ 山口 浩 at 2013/02/23 1:38:07
└ へ? at 2016/01/30 15:08:54
└ 山口 浩 at 2016/01/30 22:13:11
2014/07/14
またまたMSXマガジン購入
[オールドPC関連]
・
昔持ってたMSXマガジンの再購入を行っているのだが、今回またまたヤフオクで落札。1987年4月号。前回の落札購入は1986年6月号という事で、約10ヵ月後の出版。
広告を見ると、1986年時には、あれほど百花繚乱だったMSX2のハード広告が殆ど姿を消し、パナソニック、SONY、ビクター、サンヨーの僅か4社のみという流れになっている。
1987年と言えば、次世代ゲーム機はPCエンジンが発売されていたものの、駆け出しでそれほど普及はしておらず、メガドライブ発売も先の話、ファミコンの全盛期でSFCなどは当然影も形もない。まだまだ、「やっぱ次世代ゲーム機だよねえ」という雰囲気にはなっていない。
パソコン業界としても、X68000等が発売されたり、PC-98の値段が下落して8Bit上位パソコンとの値段が接近していたりと、16Bit化の流れは加速していたものの、PC‐88、FM-77AV、X1Turboあたりの8Bitパソコンも元気で、決して、「もう8Bitパソコンの時代じゃないよねえ」とい雰囲気にもなっていない。
なのに、このMSX2ハード広告の退潮ぶりはなんなのか、というと、やっぱり、パナソニックFS-A1の激震がでかかったのではないか、と。
他のメーカはプレーンな機種で最低8万円前後、ディスクドライブ積んで12〜15万円で展開していたMSX2を、いかにVDPチップの減価償却が終わって安価量産できるようになったとはいえ、半導体の品不足が解消されてROM&RAMの値下がりが始まっていたりしたとはいえ、主要メーカである松下に29800円で売られてしまっては、もう価格競争に踏み込む勇気もなくて、他のメーカは「やーめた」となってしまったのではなかろうか。
追随したのは、同じく主要メーカであるSONYと、松下の弟分であるサンヨーだけ、他のメーカも一応価格的に対応した廉価版MSX2を発売したらしいが、もう広告展開するほどプッシュする商品でもなかったのだろう。
しかし、逆に普及台数に関しては、この廉価版MSX2の効果で大いに伸びがあったはずで、ゲームメーカとしてはソフトの作り甲斐は非常にあったのではないか、と推測される。
現に、この1987年4月号を見ても、ゲーム広告の絶対数は先年の1986年と比べても、殆ど遜色がない。
たった一年で勢力図があっという間に塗り替えられる、当時のPCやゲーム業界は秒新分歩、流動が激しかったんだなあ、という事を実感させられる。
昔持ってたMSXマガジンの再購入を行っているのだが、今回またまたヤフオクで落札。1987年4月号。前回の落札購入は1986年6月号という事で、約10ヵ月後の出版。
広告を見ると、1986年時には、あれほど百花繚乱だったMSX2のハード広告が殆ど姿を消し、パナソニック、SONY、ビクター、サンヨーの僅か4社のみという流れになっている。
1987年と言えば、次世代ゲーム機はPCエンジンが発売されていたものの、駆け出しでそれほど普及はしておらず、メガドライブ発売も先の話、ファミコンの全盛期でSFCなどは当然影も形もない。まだまだ、「やっぱ次世代ゲーム機だよねえ」という雰囲気にはなっていない。
パソコン業界としても、X68000等が発売されたり、PC-98の値段が下落して8Bit上位パソコンとの値段が接近していたりと、16Bit化の流れは加速していたものの、PC‐88、FM-77AV、X1Turboあたりの8Bitパソコンも元気で、決して、「もう8Bitパソコンの時代じゃないよねえ」とい雰囲気にもなっていない。
なのに、このMSX2ハード広告の退潮ぶりはなんなのか、というと、やっぱり、パナソニックFS-A1の激震がでかかったのではないか、と。
他のメーカはプレーンな機種で最低8万円前後、ディスクドライブ積んで12〜15万円で展開していたMSX2を、いかにVDPチップの減価償却が終わって安価量産できるようになったとはいえ、半導体の品不足が解消されてROM&RAMの値下がりが始まっていたりしたとはいえ、主要メーカである松下に29800円で売られてしまっては、もう価格競争に踏み込む勇気もなくて、他のメーカは「やーめた」となってしまったのではなかろうか。
追随したのは、同じく主要メーカであるSONYと、松下の弟分であるサンヨーだけ、他のメーカも一応価格的に対応した廉価版MSX2を発売したらしいが、もう広告展開するほどプッシュする商品でもなかったのだろう。
しかし、逆に普及台数に関しては、この廉価版MSX2の効果で大いに伸びがあったはずで、ゲームメーカとしてはソフトの作り甲斐は非常にあったのではないか、と推測される。
現に、この1987年4月号を見ても、ゲーム広告の絶対数は先年の1986年と比べても、殆ど遜色がない。
たった一年で勢力図があっという間に塗り替えられる、当時のPCやゲーム業界は秒新分歩、流動が激しかったんだなあ、という事を実感させられる。
posted at 2014/07/14 0:57:39
lastupdate at 2014/07/14 1:01:38
【修正】
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Comments
by バビロン王
at 2014/07/15 8:06:20
まあPC-9801への移行は8Bitパソコンの退潮期だから、自然だったのではないか、と思わんでもない。
MSX2はFS-A1が出て全盛期に入ったと思っているのだが、それは普及面とゲーム面に限ってのことであって、ハードメーカからしてみれば、それが退潮のきっかけだったのかも、と思ったので。
MSX2はFS-A1が出て全盛期に入ったと思っているのだが、それは普及面とゲーム面に限ってのことであって、ハードメーカからしてみれば、それが退潮のきっかけだったのかも、と思ったので。
by 山口 浩
at 2014/07/16 22:24:42
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ヴァ?! ドゥ?!
こういう戦略をやりきったのはNECだけだな。
それなりにユーザー層の移行(88→98)はスムーズにできたんじゃないかと。
98の天下が長く続いた要因の1つだと思われ。