山口浩のブログ
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オタクなおっさんの日々の戯言
ja
2018-05-30T21:58:22+09:00
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「西部邁の経済思想入門」読書中
http://www9.big.or.jp/~hiroshi1/pplog2/displog/1141.html
「西部邁の経済思想入門」読書中。読んでて受ける印象は、西部さんらしく、「武士はくわねど高楊枝」に帰結するのかな、というイメージ。結局、西部さんが言うのは、経済学といってもその時代その時代を支える政治の、バックボーンになっている思想に影響されるものだし、その政策がその時代に選ばれたのは、経済学として優れていた訳ではなくて、単に時代に迎合していただけのこと、引いてはその時代の政治(そして思想)に引き摺られていただけの事だと。その割には、経済学が「我々は中立的で、科学的に真実を追究する学問でござーい」などという装いをしているのが、西部さんは相当気に食わなかったのだろうなあ、と思う。この著書では、その経済学派の政策が取られた場合の実効性や功罪は一切評価されていない。中にはそれが例えマグレ当たりだったとしても、経済を大いに好転させた政策もあったはずだし、逆に大損害を与えた政策もあったはず。そういうところには踏み込まないで、各経済学派の主張に対し思想的な欠陥を指摘して、個別撃破していくような感じに見て取れる。でも、西部さん本人も認めている通り、偉大な経済学者と言うのは偉大な思想家でもあった訳で、後世に対して何がしかの成果は残していったわけで。で、彼らが考えていたのは経済発展による貧困の救済、という点が大きく、どの経済学者も概ねそれを目指していた訳で。であるからして、そうした貧困を救えたか否かの実効面と功罪の評価はかなり大事だと思うのだけれども。経済学をそこから評価をせずに純粋に思想の一発露と見て評価をすれば、そりゃあ西部さんの言うとおり、穴だらけにもなるでしょうなあ、という感想しか出てこない。まあ、経済思想史と謳っているから、内容的にはそれで正しいのだけれども。
「西部邁の経済思想入門」読書中。
読んでて受ける印象は、西部さんらしく、「武士はくわねど高楊枝」に帰結するのかな、というイメージ。
結局、西部さんが言うのは、経済学といってもその時代その時代を支える政治の、バックボーンになっている思想に影響されるものだし、その政策がその時代に選ばれたのは、経済学として優れていた訳ではなくて、単に時代に迎合していただけのこと、引いてはその時代の政治(そして思想)に引き摺られていただけの事だと。
その割には、経済学が「我々は中立的で、科学的に真実を追究する学問でござーい」などという装いをしているのが、西部さんは相当気に食わなかったのだろうなあ、と思う。
この著書では、その経済学派の政策が取られた場合の実効性や功罪は一切評価されていない。中にはそれが例えマグレ当たりだったとしても、経済を大いに好転させた政策もあったはずだし、逆に大損害を与えた政策もあったはず。
そういうところには踏み込まないで、各経済学派の主張に対し思想的な欠陥を指摘して、個別撃破していくような感じに見て取れる。
でも、西部さん本人も認めている通り、偉大な経済学者と言うのは偉大な思想家でもあった訳で、後世に対して何がしかの成果は残していったわけで。
で、彼らが考えていたのは経済発展による貧困の救済、という点が大きく、どの経済学者も概ねそれを目指していた訳で。
であるからして、そうした貧困を救えたか否かの実効面と功罪の評価はかなり大事だと思うのだけれども。
経済学をそこから評価をせずに純粋に思想の一発露と見て評価をすれば、そりゃあ西部さんの言うとおり、穴だらけにもなるでしょうなあ、という感想しか出てこない。
まあ、経済思想史と謳っているから、内容的にはそれで正しいのだけれども。
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書評
山口浩
2018-05-30T21:47:34+09:00
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大塚英志「「おたく」の精神史」読書中
http://www9.big.or.jp/~hiroshi1/pplog2/displog/1084.html
大塚英志著「「おたく」の精神史」読書中。おたくの精神史というよりは、著者本人の回想録じゃないか、という批判も存在するけれども、時代を真摯に考察した、誠実な本だと思う。自分はアニメにそう詳しい方ではないけれども、「エヴァンゲリオン」の評価などには、「なるほど」と頷かされる点も多かった。あと、漫画家の岡崎京子が著者に対して、女性の立場から抗議した、というシーンは理由は上手く説明できないのだけれども、彼女たちの言い分に対して、自分がなぜか凄い立腹した。そこまで立腹する理由が自分でもよく分からなくて、困惑してしまった。心をざわつかせる読書体験というのは近頃稀で、そういう意味でも読む価値はあったと思う。
大塚英志著「「おたく」の精神史」読書中。
おたくの精神史というよりは、著者本人の回想録じゃないか、という批判も存在するけれども、時代を真摯に考察した、誠実な本だと思う。
自分はアニメにそう詳しい方ではないけれども、「エヴァンゲリオン」の評価などには、「なるほど」と頷かされる点も多かった。
あと、漫画家の岡崎京子が著者に対して、女性の立場から抗議した、というシーンは理由は上手く説明できないのだけれども、彼女たちの言い分に対して、自分がなぜか凄い立腹した。
そこまで立腹する理由が自分でもよく分からなくて、困惑してしまった。
心をざわつかせる読書体験というのは近頃稀で、そういう意味でも読む価値はあったと思う。
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書評
山口浩
2017-12-23T10:28:39+09:00
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ケータイゲームマニアクス
http://www9.big.or.jp/~hiroshi1/pplog2/displog/1083.html
ゲームウォッチなどの古の電子ゲームを取り上げた「ケータイゲームマニアックス」と言う本を買ってみたが、とりあえず主だったゲームを羅列しているだけで、突っ込みも解説もたりないし、”マニアックス”というほどの内容を感じなかった。自分も母屋のWebで電子ゲームを取り上げているが、自分のところはさておいて、Web上にはこの本を上回る解説や突っ込みをしている電子ゲームサイトが数多あるので、そちらの方を読んだほうが、面白いのではないかと思う。
ゲームウォッチなどの古の電子ゲームを取り上げた「ケータイゲームマニアックス」と言う本を買ってみたが、とりあえず主だったゲームを羅列しているだけで、突っ込みも解説もたりないし、”マニアックス”というほどの内容を感じなかった。
自分も母屋のWebで電子ゲームを取り上げているが、自分のところはさておいて、Web上にはこの本を上回る解説や突っ込みをしている電子ゲームサイトが数多あるので、そちらの方を読んだほうが、面白いのではないかと思う。
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書評
山口浩
2017-12-17T21:09:38+09:00
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「武田氏滅亡」読了
http://www9.big.or.jp/~hiroshi1/pplog2/displog/1074.html
武田勝頼が信玄の後継になってから、織田、徳川の連合軍に滅ぼされるまでを丹念に追いかけた大著、「武田氏滅亡」を読了した。武田勝頼が悲運だったのは、元々諏訪氏一族から入った側室の子供として傍系に生まれ、しかも一度は諏訪一族を率いるものとして南信濃の抑えに臣籍降下したような形で赴任したため、元々武田一族の後継としては看做されていなかった事にあるのではないか。それが父の信玄と長兄の義信の相克によって、義信は成敗されることとなり、国主の座が予想外にも勝頼に回ってきてしまったことに、根本的な原因があるかと。それで父親時代からの重臣の支持をなかなか得ることが出来ず、求心力を発揮するために戦略に負担がかかってしまったような所がある。そして長篠の合戦の敗戦がやはり大ダメージだった。この後から、武田の戦略は防戦一方となっていく。この後も、御館の乱の仲介をしようとしたり、上杉景勝と同盟を結び、結果、北条氏政と手切れになったり、毛利と一向一揆の連合に悩まされた信長が、武田と講和を結ぼうとした時に撥ね付けたりと、細かいミスは一杯やらかしているけど、長篠で持久戦に持ち込まないで、性急に設楽原で決戦を求めて大敗したところが最大の失敗とは言えると思う。ただ、それも求心力の薄い勝頼がより多くの戦果を上げて重臣たちへの求心力の材料としたかったからで、元々、中途半端なポジで武田を背負わざるを得なかった勝頼の不幸が、裏目裏目の結果を生んだとしか言い様がない。読了して、そう思った。
武田勝頼が信玄の後継になってから、織田、徳川の連合軍に滅ぼされるまでを丹念に追いかけた大著、「武田氏滅亡」を読了した。
武田勝頼が悲運だったのは、元々諏訪氏一族から入った側室の子供として傍系に生まれ、しかも一度は諏訪一族を率いるものとして南信濃の抑えに臣籍降下したような形で赴任したため、元々武田一族の後継としては看做されていなかった事にあるのではないか。
それが父の信玄と長兄の義信の相克によって、義信は成敗されることとなり、国主の座が予想外にも勝頼に回ってきてしまったことに、根本的な原因があるかと。
それで父親時代からの重臣の支持をなかなか得ることが出来ず、求心力を発揮するために戦略に負担がかかってしまったような所がある。
そして長篠の合戦の敗戦がやはり大ダメージだった。この後から、武田の戦略は防戦一方となっていく。この後も、御館の乱の仲介をしようとしたり、上杉景勝と同盟を結び、結果、北条氏政と手切れになったり、毛利と一向一揆の連合に悩まされた信長が、武田と講和を結ぼうとした時に撥ね付けたりと、細かいミスは一杯やらかしているけど、長篠で持久戦に持ち込まないで、性急に設楽原で決戦を求めて大敗したところが最大の失敗とは言えると思う。
ただ、それも求心力の薄い勝頼がより多くの戦果を上げて重臣たちへの求心力の材料としたかったからで、元々、中途半端なポジで武田を背負わざるを得なかった勝頼の不幸が、裏目裏目の結果を生んだとしか言い様がない。
読了して、そう思った。
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書評
山口浩
2017-11-30T23:58:33+09:00
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村瀬信一著「帝国議会」読了
http://www9.big.or.jp/~hiroshi1/pplog2/displog/1015.html
講談社選書メチエの村瀬信一著「帝国議会」読了。坂野潤二さんの先行研究なども参考にして、戦前の議会がどのような経緯を辿って二次大戦まで帰結したのか、どの程度国政に影響を与えたのか、著者の研究結果を踏まえた解説の書。結論としては、そんなに衆議院は弱くない、元老や枢密院、天皇に至るまで、衆議院の決定を十分に重んじていたこと、貴族院は衆議院と対等とは言いながら、衆議院の決定をほとんど邪魔したことがなかった事(少しはある)、また、貴族院自体が、今の参議院とは違って議員立法等の活動に対してはかなり抑制的で、衆議院の副次的役割であることを自認していた部分もあること、などが書かれている。大日本帝国憲法という、欽定憲法の枠組みの中では、精一杯民主的な運用がなされ、また、衆議院の決定を重んじる風潮は藩閥や軍部の中にもしっかり根付いており、決して政府の一方的な言いなりになるような弱い議会ではなかった事、などが詳細に書かれる。にも関わらず、第二次大戦を防げなかった事については、法制度の枠組みによって歯止めが効かなかったというよりも、政党政治が党利党略に堕して国民の意見を十分に反映しえず、国民の失望を買ってしまったこと、しばしば経済的な失策によって国民を苦境に追い込んでしまったことにより、政党政治への失望が軍部台頭の素養を作ってしまったことなどが挙げられている。この他、十分に議論、討論を尽くす、というディベートの技術が、急速な民主化によって追いつかず、国民の視線を気にしたパフォーマンスに終始して、法案を磨き上げる技術が極めて未熟だったという要因も指摘される。ともあれ、日本の民主主義というのは、戦前の国会開設から永らく続けられてきた元老や議員の不断の努力による部分が大きく、決して、アメリカに戦後にポッと与えられて急造で出来上がったものではないことが良く分かる。であるからして、戦後の議会運営もスムーズに移行されたものであり、フセイン政権を倒した後で、同じようなメソッドでイラクを民主化できると考えていたアメリカという国は、本当に、無知とは言わないが認識がイビツという他はないと思う。
講談社選書メチエの村瀬信一著「帝国議会」読了。
坂野潤二さんの先行研究なども参考にして、戦前の議会がどのような経緯を辿って二次大戦まで帰結したのか、どの程度国政に影響を与えたのか、著者の研究結果を踏まえた解説の書。
結論としては、そんなに衆議院は弱くない、元老や枢密院、天皇に至るまで、衆議院の決定を十分に重んじていたこと、貴族院は衆議院と対等とは言いながら、衆議院の決定をほとんど邪魔したことがなかった事(少しはある)、また、貴族院自体が、今の参議院とは違って議員立法等の活動に対してはかなり抑制的で、衆議院の副次的役割であることを自認していた部分もあること、などが書かれている。
大日本帝国憲法という、欽定憲法の枠組みの中では、精一杯民主的な運用がなされ、また、衆議院の決定を重んじる風潮は藩閥や軍部の中にもしっかり根付いており、決して政府の一方的な言いなりになるような弱い議会ではなかった事、などが詳細に書かれる。
にも関わらず、第二次大戦を防げなかった事については、法制度の枠組みによって歯止めが効かなかったというよりも、政党政治が党利党略に堕して国民の意見を十分に反映しえず、国民の失望を買ってしまったこと、しばしば経済的な失策によって国民を苦境に追い込んでしまったことにより、政党政治への失望が軍部台頭の素養を作ってしまったことなどが挙げられている。
この他、十分に議論、討論を尽くす、というディベートの技術が、急速な民主化によって追いつかず、国民の視線を気にしたパフォーマンスに終始して、法案を磨き上げる技術が極めて未熟だったという要因も指摘される。
ともあれ、日本の民主主義というのは、戦前の国会開設から永らく続けられてきた元老や議員の不断の努力による部分が大きく、決して、アメリカに戦後にポッと与えられて急造で出来上がったものではないことが良く分かる。
であるからして、戦後の議会運営もスムーズに移行されたものであり、フセイン政権を倒した後で、同じようなメソッドでイラクを民主化できると考えていたアメリカという国は、本当に、無知とは言わないが認識がイビツという他はないと思う。
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書評
山口浩
2017-09-25T00:38:25+09:00
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中公新書「三国志」読了
http://www9.big.or.jp/~hiroshi1/pplog2/displog/970.html
中公新書、渡邉義浩著「三国志」読了。中国の「三国志」受容の定本となっている、毛宗崗版「三国志演義」について、その記述内容とスタンスを解き明かし、時代が下るに連れて奸雄中の奸雄となっていく曹操、最高の智者となっていく諸葛亮、神格化される関羽像を追い、また、そのバックボーンを理解すると共に、陳寿の正史「三国志」の記述にまで射程を伸ばして批評を行ない、真実の三国志像を明らかにする、と謳う本。正史「三国志」にも曲筆が多いとして、その裏側を読まなければ真実は分からない、とするけれども、三国志のエピソード記述についてはどうしたって、正史「三国志」本編か、裴松之の付けた注に頼らざるを得ない訳で。呂伯奢事件のことを記述していないのは、魏を正統として書いている以上、あんまり曹操の悪口は書けないからだ、って言ってるけど、この本の本編にも書いてあるとおり、この事件に関しては時代が下がるに連れて曹操が悪し様に言われるようになっており、どこらへんの記述あたりが本当のところなのか、正直分からない。だから、なるべく簡潔を旨とした陳寿の筆記スタイルに合わなくて、採用が見送られた、ってだけの話だと思うけれども。そもそも魏を正当に扱っているのは、陳寿の仕えた西晋が魏から禅譲を受けているという事由に拠る物だけで、この本の他の所でも認めているとおり、陳寿は曹一族に対しては割と冷淡に記述しているにも関わらず、たかだか呂伯奢を記述しなかった事だけ取り上げて、「曲筆だ」っていうのは良く分からない。曹操の代表的な悪名である徐州虐殺については、簡潔ではあるけれどもちゃんと記載している訳だし。あと、曲筆の理由として、「司馬師、司馬昭の魏帝弑逆については何も書かれていない」って言うけど、そりゃそうだろう、自分の仕える王朝の始祖に対して、「悪いことしましたー」なんて書ける訳ないし、そんな事言い出したら、どの中国史の歴史家だって同じ事やってると思うけど。それとも武帝に逆らってまで史記を完成させた司馬遷を見習え、って話かもしれんが、そこまで要求するのは酷だと思う・・・。むしろ、正史の記述でも、どんどん緊迫した当時の魏王朝のドタバタぶりがよく描かれており、裴松之の注を除いても、「ただならぬ非常事態が起きている」というのがよく分かるし、むしろ司馬師、司馬昭を憚って断片的に情報が欠落している事自体が一層、この件での司馬兄弟の黒いことを象徴しているように思える。「司馬兄弟に逆らった魏帝は愚かだ」と書きながらも、司馬兄弟に良好なイメージが残らないのは、凄い書き方だと。この本でも言われている事ではあるけれども、見事な「春秋の筆法」というやつで、宮川尚志氏の名著「諸葛孔明」にも書かれていたように、後代の評価(誰かは忘れた)が言ってた「陳寿は良史」っていう言葉が実感できるような気がする。
中公新書、渡邉義浩著「三国志」読了。
中国の「三国志」受容の定本となっている、毛宗崗版「三国志演義」について、その記述内容とスタンスを解き明かし、時代が下るに連れて奸雄中の奸雄となっていく曹操、最高の智者となっていく諸葛亮、神格化される関羽像を追い、また、そのバックボーンを理解すると共に、陳寿の正史「三国志」の記述にまで射程を伸ばして批評を行ない、真実の三国志像を明らかにする、と謳う本。
正史「三国志」にも曲筆が多いとして、その裏側を読まなければ真実は分からない、とするけれども、三国志のエピソード記述についてはどうしたって、正史「三国志」本編か、裴松之の付けた注に頼らざるを得ない訳で。
呂伯奢事件のことを記述していないのは、魏を正統として書いている以上、あんまり曹操の悪口は書けないからだ、って言ってるけど、この本の本編にも書いてあるとおり、この事件に関しては時代が下がるに連れて曹操が悪し様に言われるようになっており、どこらへんの記述あたりが本当のところなのか、正直分からない。
だから、なるべく簡潔を旨とした陳寿の筆記スタイルに合わなくて、採用が見送られた、ってだけの話だと思うけれども。
そもそも魏を正当に扱っているのは、陳寿の仕えた西晋が魏から禅譲を受けているという事由に拠る物だけで、この本の他の所でも認めているとおり、陳寿は曹一族に対しては割と冷淡に記述しているにも関わらず、たかだか呂伯奢を記述しなかった事だけ取り上げて、「曲筆だ」っていうのは良く分からない。
曹操の代表的な悪名である徐州虐殺については、簡潔ではあるけれどもちゃんと記載している訳だし。
あと、曲筆の理由として、「司馬師、司馬昭の魏帝弑逆については何も書かれていない」って言うけど、そりゃそうだろう、自分の仕える王朝の始祖に対して、「悪いことしましたー」なんて書ける訳ないし、そんな事言い出したら、どの中国史の歴史家だって同じ事やってると思うけど。それとも武帝に逆らってまで史記を完成させた司馬遷を見習え、って話かもしれんが、そこまで要求するのは酷だと思う・・・。
むしろ、正史の記述でも、どんどん緊迫した当時の魏王朝のドタバタぶりがよく描かれており、裴松之の注を除いても、「ただならぬ非常事態が起きている」というのがよく分かるし、むしろ司馬師、司馬昭を憚って断片的に情報が欠落している事自体が一層、この件での司馬兄弟の黒いことを象徴しているように思える。
「司馬兄弟に逆らった魏帝は愚かだ」と書きながらも、司馬兄弟に良好なイメージが残らないのは、凄い書き方だと。
この本でも言われている事ではあるけれども、見事な「春秋の筆法」というやつで、宮川尚志氏の名著「諸葛孔明」にも書かれていたように、後代の評価(誰かは忘れた)が言ってた「陳寿は良史」っていう言葉が実感できるような気がする。
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書評
山口浩
2017-06-11T21:55:06+09:00
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「列車消失事件」読了
http://www9.big.or.jp/~hiroshi1/pplog2/displog/958.html
・ジュブナイルの古本である、ジュニア版世界の名作推理シリーズ第16巻、「列車消失事件」を読了した。表題は一つだけれども、実際は短編集(しかもアンソロジー)となっていて、6作品が収録されている。文研でもあかね書房でも、ジュブナイルの推理全集にて、このような短編集は珍しいのだけれども、最終巻という事もあり、他者の推理全集にはない特色を打ち出したかったのかもしれない。日本の推理評論や翻訳では重鎮の中島河太郎氏が翻訳となっているが、正直、訳文はいまいちだと思う。秋田書店のこのシリーズ全般に言える事ではあるけれども、文研の名作ミステリーがほとんどの作品において名訳揃いなのにくらべて、いまいち文章がこなれていないように思う。それはさておくとして、収録された作品は、ポーの「モルグ街の殺人」といった推理小説の元祖というべき存在から、アイリッシュの「爪」といった変化球までバラエティに富んでいる。特筆すべきは、ノックスの「密室の行者」だろうか。この作品は、有栖川有栖氏の「密室大図鑑」に取り上げられたくらいの名作で、それをジュブナイルのシンプルな文章で読めるというのは、お得感があるかもしれない。(人によっては損したと思うかもしれんけど)!!$img1!!
ジュブナイルの古本である、ジュニア版世界の名作推理シリーズ第16巻、「列車消失事件」を読了した。
表題は一つだけれども、実際は短編集(しかもアンソロジー)となっていて、6作品が収録されている。
文研でもあかね書房でも、ジュブナイルの推理全集にて、このような短編集は珍しいのだけれども、最終巻という事もあり、他者の推理全集にはない特色を打ち出したかったのかもしれない。
日本の推理評論や翻訳では重鎮の中島河太郎氏が翻訳となっているが、正直、訳文はいまいちだと思う。秋田書店のこのシリーズ全般に言える事ではあるけれども、文研の名作ミステリーがほとんどの作品において名訳揃いなのにくらべて、いまいち文章がこなれていないように思う。
それはさておくとして、収録された作品は、ポーの「モルグ街の殺人」といった推理小説の元祖というべき存在から、アイリッシュの「爪」といった変化球までバラエティに富んでいる。
特筆すべきは、ノックスの「密室の行者」だろうか。この作品は、有栖川有栖氏の「密室大図鑑」に取り上げられたくらいの名作で、それをジュブナイルのシンプルな文章で読めるというのは、お得感があるかもしれない。
(人によっては損したと思うかもしれんけど)
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書評
山口浩
2017-05-22T00:19:05+09:00
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森茂暁著「足利尊氏」読了
http://www9.big.or.jp/~hiroshi1/pplog2/displog/953.html
・角川選書、森茂暁著「足利尊氏」読了。南北朝研究の泰斗である著者の、足利尊氏に対する研究の総括的な著書。もう十分研究実績のあるベテラン学者であるにもかかわらず、未だに古文書、一次史料を蒐集し、パソコンで整理して研究を深めるという著者の飽くなき研究姿勢には驚かされる。観応の擾乱の際に、兄尊氏と弟直義が骨肉の合戦を繰り広げているにも関わらず、お互いを直接名指しで討伐を呼びかける軍務督促状が無いことや、南北朝対立の合戦の際にも、尊氏から後醍醐帝名指しの軍務督促状が無いこと、後醍醐帝は尊氏を名指しで討伐要請を各地に飛ばしているけれども、旧名の高氏ではなくて、あくまで自分の名前を譲った尊氏名称で呼んでいるところに、お互いの人情が感じられて面白い、などの興味深い考察が出てくる。さすがに一次史料を駆使したディープな研究だけのことはある。
角川選書、森茂暁著「足利尊氏」読了。
南北朝研究の泰斗である著者の、足利尊氏に対する研究の総括的な著書。
もう十分研究実績のあるベテラン学者であるにもかかわらず、未だに古文書、一次史料を蒐集し、パソコンで整理して研究を深めるという著者の飽くなき研究姿勢には驚かされる。
観応の擾乱の際に、兄尊氏と弟直義が骨肉の合戦を繰り広げているにも関わらず、お互いを直接名指しで討伐を呼びかける軍務督促状が無いことや、南北朝対立の合戦の際にも、尊氏から後醍醐帝名指しの軍務督促状が無いこと、後醍醐帝は尊氏を名指しで討伐要請を各地に飛ばしているけれども、旧名の高氏ではなくて、あくまで自分の名前を譲った尊氏名称で呼んでいるところに、お互いの人情が感じられて面白い、などの興味深い考察が出てくる。
さすがに一次史料を駆使したディープな研究だけのことはある。
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書評
山口浩
2017-05-13T20:12:28+09:00
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グリーン家殺人事件再読
http://www9.big.or.jp/~hiroshi1/pplog2/displog/925.html
・秋田書店のジュブナイル、ジュニア版世界の名作推理全集で、「グリーン家殺人事件」を33年ぶりくらいに読んだので、比較するために井上勇氏訳の創元版「グリーン家殺人事件」を再読してみた。まあ、よく言われていることだけど、「犯人見え見えなのに、全然捕まえられない探偵のファイロ・ヴァンスが失笑モノ」という評価なのだけれども、いわれてるほど犯人見え見えか?とも思う。以降、ネタバレあり、未読の方、ご注意を。第三の殺人後までは、容疑者は、フォン・ブロン医師、執事スプルート、マンハイム、グレーブン看護婦、トバイアス・グリーン夫人、シベラ・グリーン、アダ・グリーンと7人いると思われ。第四の殺人で、トバイアス・グリーン夫人とグレーブン看護婦が外れるが、それにしてもまだ5人いる。並みの推理小説家なら、一番怪しい関係者を外してより外縁に犯人を設定すると思われるが、正々堂々勝負しちゃったヴァン・ダインが、結果的に「そんな犯人、当たり前やんけ」で叩かれてるような気が(笑)。もっとも、「グリーン家」は、「犯人造形が異様で迫力があり、そこが名作たらしめている」との評価を受けていることもあるのだけれども、個人的には、それほど異形の犯人造形という感じはしない。それだったら、「僧正殺人事件」の犯人像の方が、すごく異様だと思う。「グリーン家」の最大の見所は、「この事件には98個の手がかりがあり、それを正しく並べ替えることによって真相が浮かび上がってくる」というヴァンスの推理だと思う。しかも、事件解決後にヴァンスがその手がかりをどのように並べたかを原注で記載しているというご丁寧ぶり。普通、98もの手がかりがあったら、並べ替えなんてせんでも真相分かるだろ、と思わんこともないのだが(笑)、きっちりその順番まで本に記載しているところに、ヴァン・ダインの作家としての生真面目さというか、あるいみ融通の効かなさというか、ケレン味のなさが現れていると思う。だからケレン味の必要な推理小説に対応しきれていないんじゃないか、とも思わんではないのだけれども、生真面目な癖に、「僧正」みたいなケレン味に満ちた童謡殺人、見立て殺人を編み出したことを思うと、ヴァン・ダインの発想の凄さが分かるような気がする。ちなみにジュブナイル版だと、「グリーン家」は確かに犯人見え見えになります(笑)。ヴァン・ダインは、まず事件と解決の骨子だけの小説を作って、それからレッドへリングを付け加えたり、物語的を膨らましたりするよう、色んな要素を後付していく創作方法を採っていた、と、解説で読んだことがあるのだけれども、ジュブナイルだと、まさしくその骨子だけの小説に近くなっちゃうので、マクガフィンやらヴァンスのうんちくとかの煙幕が無くなっちゃう(笑)。
秋田書店のジュブナイル、ジュニア版世界の名作推理全集で、「グリーン家殺人事件」を33年ぶりくらいに読んだので、比較するために井上勇氏訳の創元版「グリーン家殺人事件」を再読してみた。
まあ、よく言われていることだけど、「犯人見え見えなのに、全然捕まえられない探偵のファイロ・ヴァンスが失笑モノ」という評価なのだけれども、いわれてるほど犯人見え見えか?とも思う。
以降、ネタバレあり、未読の方、ご注意を。
第三の殺人後までは、容疑者は、フォン・ブロン医師、執事スプルート、マンハイム、グレーブン看護婦、トバイアス・グリーン夫人、シベラ・グリーン、アダ・グリーンと7人いると思われ。
第四の殺人で、トバイアス・グリーン夫人とグレーブン看護婦が外れるが、それにしてもまだ5人いる。
並みの推理小説家なら、一番怪しい関係者を外してより外縁に犯人を設定すると思われるが、正々堂々勝負しちゃったヴァン・ダインが、結果的に「そんな犯人、当たり前やんけ」で叩かれてるような気が(笑)。
もっとも、「グリーン家」は、「犯人造形が異様で迫力があり、そこが名作たらしめている」との評価を受けていることもあるのだけれども、個人的には、それほど異形の犯人造形という感じはしない。それだったら、「僧正殺人事件」の犯人像の方が、すごく異様だと思う。
「グリーン家」の最大の見所は、「この事件には98個の手がかりがあり、それを正しく並べ替えることによって真相が浮かび上がってくる」というヴァンスの推理だと思う。しかも、事件解決後にヴァンスがその手がかりをどのように並べたかを原注で記載しているというご丁寧ぶり。
普通、98もの手がかりがあったら、並べ替えなんてせんでも真相分かるだろ、と思わんこともないのだが(笑)、きっちりその順番まで本に記載しているところに、ヴァン・ダインの作家としての生真面目さというか、あるいみ融通の効かなさというか、ケレン味のなさが現れていると思う。
だからケレン味の必要な推理小説に対応しきれていないんじゃないか、とも思わんではないのだけれども、生真面目な癖に、「僧正」みたいなケレン味に満ちた童謡殺人、見立て殺人を編み出したことを思うと、ヴァン・ダインの発想の凄さが分かるような気がする。
ちなみにジュブナイル版だと、「グリーン家」は確かに犯人見え見えになります(笑)。
ヴァン・ダインは、まず事件と解決の骨子だけの小説を作って、それからレッドへリングを付け加えたり、物語的を膨らましたりするよう、色んな要素を後付していく創作方法を採っていた、と、解説で読んだことがあるのだけれども、ジュブナイルだと、まさしくその骨子だけの小説に近くなっちゃうので、マクガフィンやらヴァンスのうんちくとかの煙幕が無くなっちゃう(笑)。
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書評
山口浩
2017-03-05T15:31:47+09:00
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井上勇
http://www9.big.or.jp/~hiroshi1/pplog2/displog/919.html
・ジュブナイルの推理小説を読み返すようになって、創元やハヤカワも見直しているのだけれども、凄いと思うのは、ヴァン.ダインや、エラリー・クイーンを1950年代という比較的早い時期にほぼ全作を完訳しきった井上勇氏の存在。角川文庫版のクイーンの新訳で、解説に当時、井上勇氏が訳者として選定された経緯が書かれていたけれども、「無難、そして仕事が早い」と。特に仕事の早さは驚異的で、同じ創元で新訳に挑んでいるクイーンの中村有希氏、ヴァン.ダインの日暮雅通氏を問題にもせず、近年では怒涛の勢いでクイーンの国名シリーズを完訳した越前敏弥氏のペースすら若干上回るのだから、恐れ入るしか他はない。しかも、最近の訳者は、ここ数十年の間に十分研究された結果を以て、原文の意味やトリック、ロジックの仕掛けを十分に理解して進められるのに対し、井上氏が訳した頃は、まだまだ海外作家の研究が進んでおらず、ほぼ独力だったと思われるから尚更凄い。そして、今の人たちが訳した内容と見比べても、文体が古いのは致し方ないとしても、推理小説としてはトリックやロジックの記述に大外しがなく、ちゃんとヴァンダイン、クイーンの物語として成立しているというのが見事としか言いようがないと思う。最近、井上勇氏に関するウィキペディアの記述が充実して、知らなかった事が分かるようになったけれども、戦時中は日本の官営通信社の記者として、海外の情報収集と日本の広報員といて活躍していたこと、戦後、フランス文学や英文学の訳者として様々な翻訳をものしたことなどを初めて知ることができた。特にヴァンダインとクイーンの翻訳年度を抜き出してみると、僧正殺人事件 ヴァン・ダイン 東京創元社 1956グリーン家殺人事件 ヴアン・ダイン 東京創元社 1956ローマ帽子の謎 エラリー・クイーン 東京創元社 1957フランス白粉の謎 エラリー・クイーン 東京創元社 1957オランダ靴の謎 エラリー・クイーン 東京創元社 1957ギリシャ棺の謎 エラリー・クイーン 東京創元社 1957アメリカ銃の謎 エラリー・クイーン 東京創元社 1957ベンスン殺人事件 ヴァン・ダイン 東京創元社 1957カナリヤ殺人事件 ヴァン・ダイン 東京創元社 1957エジプト十字架の謎 エラリー・クイーン 東京創元社 1958シャム双子の謎 エラリー・クイーン 東京創元社1958チャイナ橙の謎 エラリー・クイーン 東京創元社 1958スペイン岬の謎 エラリー・クイーン 東京創元社 1958ニッポン樫鳥の謎 エラリー・クイーン 東京創元社 1958エラリー・クイーンの冒険 エラリー・クイーン 東京創元社 1958エラリー・クイーンの新冒険 エラリー・クイーン 東京創元社 1958 ケンネル殺人事件 ヴァン・ダイン 東京創元社 1958 カブト虫殺人事件 ヴァン・ダィン 東京創元社 1959 ガーデン殺人事件 ヴァン・ダイン 創元推理文庫 1959カシノ殺人事件 ヴァン・ダィン 創元推理文庫 1960ドラゴン殺人事件 ヴァン・ダイン 創元推理文庫 1960グレイシー・アレン殺人事件 ヴァン・ダイン 創元推理文庫 1961誘拐殺人事件 ヴァン・ダイン 創元推理文庫 1961中途の家 エラリー・クイーン 創元推理文庫 1962ウインター殺人事件 ヴァン・ダイン 創元推理文庫 1962恐るべきスピードとしか言いようがない。そしてこの他に、ルブランのルパンものや、クロフツも並行して訳しているのだから、信じられない。またそれらが50年間に渡って定番になるというのも凄い事だと思うのだ。
ジュブナイルの推理小説を読み返すようになって、創元やハヤカワも見直しているのだけれども、凄いと思うのは、ヴァン.ダインや、エラリー・クイーンを1950年代という比較的早い時期にほぼ全作を完訳しきった井上勇氏の存在。
角川文庫版のクイーンの新訳で、解説に当時、井上勇氏が訳者として選定された経緯が書かれていたけれども、「無難、そして仕事が早い」と。
特に仕事の早さは驚異的で、同じ創元で新訳に挑んでいるクイーンの中村有希氏、ヴァン.ダインの日暮雅通氏を問題にもせず、近年では怒涛の勢いでクイーンの国名シリーズを完訳した越前敏弥氏のペースすら若干上回るのだから、恐れ入るしか他はない。
しかも、最近の訳者は、ここ数十年の間に十分研究された結果を以て、原文の意味やトリック、ロジックの仕掛けを十分に理解して進められるのに対し、井上氏が訳した頃は、まだまだ海外作家の研究が進んでおらず、ほぼ独力だったと思われるから尚更凄い。
そして、今の人たちが訳した内容と見比べても、文体が古いのは致し方ないとしても、推理小説としてはトリックやロジックの記述に大外しがなく、ちゃんとヴァンダイン、クイーンの物語として成立しているというのが見事としか言いようがないと思う。
最近、井上勇氏に関するウィキペディアの記述が充実して、知らなかった事が分かるようになったけれども、戦時中は日本の官営通信社の記者として、海外の情報収集と日本の広報員といて活躍していたこと、戦後、フランス文学や英文学の訳者として様々な翻訳をものしたことなどを初めて知ることができた。
特にヴァンダインとクイーンの翻訳年度を抜き出してみると、
僧正殺人事件 ヴァン・ダイン 東京創元社 1956
グリーン家殺人事件 ヴアン・ダイン 東京創元社 1956
ローマ帽子の謎 エラリー・クイーン 東京創元社 1957
フランス白粉の謎 エラリー・クイーン 東京創元社 1957
オランダ靴の謎 エラリー・クイーン 東京創元社 1957
ギリシャ棺の謎 エラリー・クイーン 東京創元社 1957
アメリカ銃の謎 エラリー・クイーン 東京創元社 1957
ベンスン殺人事件 ヴァン・ダイン 東京創元社 1957
カナリヤ殺人事件 ヴァン・ダイン 東京創元社 1957
エジプト十字架の謎 エラリー・クイーン 東京創元社 1958
シャム双子の謎 エラリー・クイーン 東京創元社1958
チャイナ橙の謎 エラリー・クイーン 東京創元社 1958
スペイン岬の謎 エラリー・クイーン 東京創元社 1958
ニッポン樫鳥の謎 エラリー・クイーン 東京創元社 1958
エラリー・クイーンの冒険 エラリー・クイーン 東京創元社 1958
エラリー・クイーンの新冒険 エラリー・クイーン 東京創元社 1958
ケンネル殺人事件 ヴァン・ダイン 東京創元社 1958
カブト虫殺人事件 ヴァン・ダィン 東京創元社 1959
ガーデン殺人事件 ヴァン・ダイン 創元推理文庫 1959
カシノ殺人事件 ヴァン・ダィン 創元推理文庫 1960
ドラゴン殺人事件 ヴァン・ダイン 創元推理文庫 1960
グレイシー・アレン殺人事件 ヴァン・ダイン 創元推理文庫 1961
誘拐殺人事件 ヴァン・ダイン 創元推理文庫 1961
中途の家 エラリー・クイーン 創元推理文庫 1962
ウインター殺人事件 ヴァン・ダイン 創元推理文庫 1962
恐るべきスピードとしか言いようがない。そしてこの他に、ルブランのルパンものや、クロフツも並行して訳しているのだから、信じられない。
またそれらが50年間に渡って定番になるというのも凄い事だと思うのだ。
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書評
山口浩
2017-02-21T23:56:57+09:00
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推理小説ジュブナイル集め
http://www9.big.or.jp/~hiroshi1/pplog2/displog/918.html
・文研出版の名作ミステリーに続いて、秋田書店の、ジュニア版世界の名作推理全集に手を出している。このジュニア版と言うのが味噌で、実はジュニア版以前に全く同じラインナップの推理全集が秋田書店より出版されている。んで、この二つ、何が違うのかと言うと、実は中身は本文に挿絵、果ては裏表紙に至るまで全く同一で、ジュニア版の方がただ単に、カバーと表紙絵だけが、子供のインパクトを引くためか強烈でカラフルなイラストに変わっているだけ、という代物。旧版は1970年代前半に出版されたもので、ジュニア版は1980年代に出版されたものだけど、中身は同一なので、70年前後の、割と古い訳文になっている。これに対して文研の名作ミステリーは、70年代後半から80年代前半が初版なので、文体や構成は秋田書店のものよりもやや新しい感じがする。世界の名作推理全集の特徴は、オーソドックスな名作もさることながら、フィルポッツの「闇からの声」とか、ハリディの「奇妙な殺人(”死の配当”改題)」など、他のジュブナイルミステリには見られない、特異な作品をラインナップしていること。ほとんどの原作者が存命ないしは没後間もないとあって、作品の解説にもややリアルタイム感が漂っているのが面白い。!!$img1!!
文研出版の名作ミステリーに続いて、秋田書店の、ジュニア版世界の名作推理全集に手を出している。
このジュニア版と言うのが味噌で、実はジュニア版以前に全く同じラインナップの推理全集が秋田書店より出版されている。んで、この二つ、何が違うのかと言うと、実は中身は本文に挿絵、果ては裏表紙に至るまで全く同一で、ジュニア版の方がただ単に、カバーと表紙絵だけが、子供のインパクトを引くためか強烈でカラフルなイラストに変わっているだけ、という代物。
旧版は1970年代前半に出版されたもので、ジュニア版は1980年代に出版されたものだけど、中身は同一なので、70年前後の、割と古い訳文になっている。
これに対して文研の名作ミステリーは、70年代後半から80年代前半が初版なので、文体や構成は秋田書店のものよりもやや新しい感じがする。
世界の名作推理全集の特徴は、オーソドックスな名作もさることながら、フィルポッツの「闇からの声」とか、ハリディの「奇妙な殺人(”死の配当”改題)」など、他のジュブナイルミステリには見られない、特異な作品をラインナップしていること。
ほとんどの原作者が存命ないしは没後間もないとあって、作品の解説にもややリアルタイム感が漂っているのが面白い。
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書評
山口浩
2017-02-20T00:21:23+09:00
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MP4-13
http://www9.big.or.jp/~hiroshi1/pplog2/displog/894.html
・三栄書房から発売されているGP Car Storyシリーズ、今回はマクラーレンMP4-13が出ていたので買ってみた。当時、90年代末、ウィリアムズがセナの事故死によって勢いが陰ると、ベネトンのシューマッハはドライバータイトルで躍進し、コンストラクターズはともかく、ドライバーズタイトルではしばしば失陥を魅せるようになったウィリアムズ、ホンダとセナの離脱以降は凋落のマクラーレンを尻目に一躍チャンピオンシップの中心に躍り出た。シューマッハのフェラーリ移籍によって勢力図は更に混沌化すると思われたが、依然としてタイトル戦の中心はシューマッハであろうとの目算は皆の思うところだったろう。そこに、メルセデス、ハッキネンという要素にウィリアムズから移籍したデザイナーのエイドリアン・ニューウェイが加わって、そのシューマッハ中心のタイトル戦にヒビというか、マクラーレンが復権して、衝撃の速さを見せ付けた展開が面白かった。MP4-13が戦った1998年は、そのMP4-13が第一戦オーストラリアでの全車周回遅れの圧勝劇という驚異のデビューを飾り、無敵の強さを見せ付けたかと思ったら、メカニカルトラブルが多発して後半戦でフェラーリに追い上げられ、接戦に持ち込まれるという激しい角逐の展開まで、とにかく面白いシーズンだったという印象が強い。まあそして何より、MP4-13自体がスタイリッシュでカッコいいマシンであったというイメージ。F1は、とにかく激しく競るチームが複数あって、日本メーカか日本人ドライバーのどっちかがそれなりに活躍して、という要素がないと、見ててもやっぱり詰らん気がする。
三栄書房から発売されているGP Car Storyシリーズ、今回はマクラーレンMP4-13が出ていたので買ってみた。
当時、90年代末、ウィリアムズがセナの事故死によって勢いが陰ると、ベネトンのシューマッハはドライバータイトルで躍進し、コンストラクターズはともかく、ドライバーズタイトルではしばしば失陥を魅せるようになったウィリアムズ、ホンダとセナの離脱以降は凋落のマクラーレンを尻目に一躍チャンピオンシップの中心に躍り出た。シューマッハのフェラーリ移籍によって勢力図は更に混沌化すると思われたが、依然としてタイトル戦の中心はシューマッハであろうとの目算は皆の思うところだったろう。
そこに、メルセデス、ハッキネンという要素にウィリアムズから移籍したデザイナーのエイドリアン・ニューウェイが加わって、そのシューマッハ中心のタイトル戦にヒビというか、マクラーレンが復権して、衝撃の速さを見せ付けた展開が面白かった。
MP4-13が戦った1998年は、そのMP4-13が第一戦オーストラリアでの全車周回遅れの圧勝劇という驚異のデビューを飾り、無敵の強さを見せ付けたかと思ったら、メカニカルトラブルが多発して後半戦でフェラーリに追い上げられ、接戦に持ち込まれるという激しい角逐の展開まで、とにかく面白いシーズンだったという印象が強い。まあそして何より、MP4-13自体がスタイリッシュでカッコいいマシンであったというイメージ。
F1は、とにかく激しく競るチームが複数あって、日本メーカか日本人ドライバーのどっちかがそれなりに活躍して、という要素がないと、見ててもやっぱり詰らん気がする。
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書評
山口浩
2016-12-24T17:16:45+09:00
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文研の名作ミステリー書評再掲
http://www9.big.or.jp/~hiroshi1/pplog2/displog/875.html
・以前に旧ブログで記載していた、ジュブナイルの「文研の名作ミステリー」シリーズを、母屋のWebに転記してみた。検索では引っかかるみたいだけれども、直接のリンクを外していて前のブログがダイレクトには見られないので、コンテンツとして独立させようと思い立ち。ご関心ある方は閲覧宜しくおねがいします。!!$img1!!http://www9.big.or.jp/~hiroshi1/bunken_mist.html
以前に旧ブログで記載していた、ジュブナイルの「文研の名作ミステリー」シリーズを、母屋のWebに転記してみた。
検索では引っかかるみたいだけれども、直接のリンクを外していて前のブログがダイレクトには見られないので、コンテンツとして独立させようと思い立ち。
ご関心ある方は閲覧宜しくおねがいします。
http://www9.big.or.jp/~hiroshi1/bunken_mist.html
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書評
山口浩
2016-11-23T11:25:53+09:00
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「若狭・越前の民話」第一集読了
http://www9.big.or.jp/~hiroshi1/pplog2/displog/851.html
・日本の民話「越前・若狭の民話」第一集を読了。1960年代に発売された民話集の再販のようだが、第二集はまだ再販されてないみたい。全部読み込んでみたけど、若狭の話はいかにも民話ぽくて秀逸。特に大飯郡の話の豊富さには驚く。パターンも凄くて、全国的にありがちな昔話は少なく、オリジナルっぽい話ばかり。しかも、みんなの納得できるオチが付く話は少なく、一般的な昔話だと、まだ途中だと思われるような場面で唐突に話が終わり、まるで尻切れトンボという展開が、逆にリアルな民話っぽくて興味をかきたてられる。小泉八雲の「怪談」の中でも、一番怖いのが、話が完結しない「茶碗の中」だ、という意見もあり、そういうものと同種の不気味さというか、唐突に切れる民話の、ちょっとした怖さも感じる。伝承がしっかりしていたのか、優れた語り部が、1960年代当時ではまだ残存していたのか。これが越前の話になると、全国の昔話パターンの亜流が多くなって、ちょっとねえ、という感じになる。越前出身の自分としては残念な感じもするが、若狭地方の民俗学的な豊かさに驚かされる一冊。
日本の民話「越前・若狭の民話」第一集を読了。
1960年代に発売された民話集の再販のようだが、第二集はまだ再販されてないみたい。
全部読み込んでみたけど、若狭の話はいかにも民話ぽくて秀逸。
特に大飯郡の話の豊富さには驚く。パターンも凄くて、全国的にありがちな昔話は少なく、オリジナルっぽい話ばかり。
しかも、みんなの納得できるオチが付く話は少なく、一般的な昔話だと、まだ途中だと思われるような場面で唐突に話が終わり、まるで尻切れトンボという展開が、逆にリアルな民話っぽくて興味をかきたてられる。
小泉八雲の「怪談」の中でも、一番怖いのが、話が完結しない「茶碗の中」だ、という意見もあり、そういうものと同種の不気味さというか、唐突に切れる民話の、ちょっとした怖さも感じる。
伝承がしっかりしていたのか、優れた語り部が、1960年代当時ではまだ残存していたのか。
これが越前の話になると、全国の昔話パターンの亜流が多くなって、ちょっとねえ、という感じになる。越前出身の自分としては残念な感じもするが、若狭地方の民俗学的な豊かさに驚かされる一冊。
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書評
山口浩
2016-10-22T13:11:16+09:00
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「中江兆民」読んでる最中
http://www9.big.or.jp/~hiroshi1/pplog2/displog/850.html
・こないだ、「元老」を読んでるところで、その記事中で自分が割りと批判的に書いた中江兆民について(どっちかというと、なだいなだ氏の書き方についてという気もするが)、保守論客の西部邁氏が「中江兆民」という本を出していたので、タイムリーかと思い、購入。西部さんによると、中江兆民は漸進主義者であり保守的思想の持ち主だという紹介をされているが、歴史学者の坂野潤二さんによると、中江兆民は、議会を通じて政治を牛耳ろうという気はなく、抵抗権の発露としての民選議会を主張していたという事なので、そこらへんを勘案すれば、矛盾はない気がする。読み終わればまた別途感想が出てくるかも。
こないだ、「元老」を読んでるところで、その記事中で自分が割りと批判的に書いた中江兆民について(どっちかというと、なだいなだ氏の書き方についてという気もするが)、保守論客の西部邁氏が「中江兆民」という本を出していたので、タイムリーかと思い、購入。
西部さんによると、中江兆民は漸進主義者であり保守的思想の持ち主だという紹介をされているが、歴史学者の坂野潤二さんによると、中江兆民は、議会を通じて政治を牛耳ろうという気はなく、抵抗権の発露としての民選議会を主張していたという事なので、そこらへんを勘案すれば、矛盾はない気がする。
読み終わればまた別途感想が出てくるかも。
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書評
山口浩
2016-10-17T01:43:28+09:00
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「将棋の渡辺くん」1&2巻読了
http://www9.big.or.jp/~hiroshi1/pplog2/displog/843.html
・伊奈めぐみ著「将棋の渡辺くん」1&2巻読了。1巻はKindle版を、2巻は書籍版を購入。そのルックスから藤子不二男Aの漫画、魔太郎に例えられることもある渡辺明二冠の、奥さん伊奈めぐみさんによって綴られる、将棋棋士の日常を描いたエッセイ漫画を読了。早い話が旦那の家での生態を描いた実録漫画である。ぬいぐるみマニアて・・・・擬人化あそびて・・・。あと竜王戦を通算11期獲得してるけど、その他のタイトル獲得回数に比べてこの竜王位の獲得がやたらに多い、他の棋士を圧倒しているのが凄い。今の将棋界では竜王が名人位を抑えて賞金額最高の、価値の高いタイトルなので、効率のいい稼ぎ方してんなー、と思う。金を稼げる男は何をしたっていいのだ。ぬいぐるみに耽溺しようが。
伊奈めぐみ著「将棋の渡辺くん」1&2巻読了。
1巻はKindle版を、2巻は書籍版を購入。
そのルックスから藤子不二男Aの漫画、魔太郎に例えられることもある渡辺明二冠の、奥さん伊奈めぐみさんによって綴られる、将棋棋士の日常を描いたエッセイ漫画を読了。
早い話が旦那の家での生態を描いた実録漫画である。
ぬいぐるみマニアて・・・・擬人化あそびて・・・。
あと竜王戦を通算11期獲得してるけど、その他のタイトル獲得回数に比べてこの竜王位の獲得がやたらに多い、他の棋士を圧倒しているのが凄い。
今の将棋界では竜王が名人位を抑えて賞金額最高の、価値の高いタイトルなので、効率のいい稼ぎ方してんなー、と思う。
金を稼げる男は何をしたっていいのだ。ぬいぐるみに耽溺しようが。
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書評
山口浩
2016-09-26T22:51:03+09:00
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「元老」書評続き
http://www9.big.or.jp/~hiroshi1/pplog2/displog/841.html
・先に書いた伊藤之雄氏著の「元老」の中で一点だけ、「そりゃおかしいだろ」ってところがあったので。短い文章だけど、「犬養毅は満州国を認めなかったため、海軍士官らに5.15で暗殺された」みたいな内容が書いてあった。これは、「ハァ?」って感じ。陸軍が起こした事変を追認しなかったからと言って、海軍士官が何で犬養を暗殺せにゃならんのか。坂野潤二氏らの研究が詳しいけれども、海軍軍縮会議に調印した民政党主体の若槻礼次郎内閣を打倒しようと若手の海軍士官がテロを企画してたら、首謀者の藤井斉大尉が中国戦線で戦死して、同志に「後を頼む」って遺言しちゃった。だから、打倒目標の若槻礼次郎内閣が選挙で敗北して、どちらかと言えば軍部に好意的な政友会主体の犬養毅内閣が成立したにも関わらず、ブレーキが効かずに暴走して、とばっちり受けて犬養が暗殺されただけ、というのが真相だと。だいたい犬養は満州事変も黙認してたし、民政党の浜口雄幸&井上準之助コンビが金本位制に旧平価で復帰したことによる糞デフレを克服しようと管理通貨制と積極財政に移行して、軍にも予算をたっぷり上げる予定だったから、軍部(特に陸軍)とも良好な関係だったのに、「満州国を公認しない」とか訳の分からない理由で、しかも無関係の海軍将校がテロ起こすわけないじゃん、と思った。別に坂野さんの研究を精読しなくとも、Wikipediaレベルの知識なのに、自分の専門外のことなのかも知れないが、適当に書き過ぎだろうと。こういう細かい記述でも、本の信頼性を失わせるので、注意は払って欲しいところ。
先に書いた伊藤之雄氏著の「元老」の中で一点だけ、「そりゃおかしいだろ」ってところがあったので。
短い文章だけど、「犬養毅は満州国を認めなかったため、海軍士官らに5.15で暗殺された」みたいな内容が書いてあった。
これは、「ハァ?」って感じ。
陸軍が起こした事変を追認しなかったからと言って、海軍士官が何で犬養を暗殺せにゃならんのか。
坂野潤二氏らの研究が詳しいけれども、海軍軍縮会議に調印した民政党主体の若槻礼次郎内閣を打倒しようと若手の海軍士官がテロを企画してたら、首謀者の藤井斉大尉が中国戦線で戦死して、同志に「後を頼む」って遺言しちゃった。
だから、打倒目標の若槻礼次郎内閣が選挙で敗北して、どちらかと言えば軍部に好意的な政友会主体の犬養毅内閣が成立したにも関わらず、ブレーキが効かずに暴走して、とばっちり受けて犬養が暗殺されただけ、というのが真相だと。
だいたい犬養は満州事変も黙認してたし、民政党の浜口雄幸&井上準之助コンビが金本位制に旧平価で復帰したことによる糞デフレを克服しようと管理通貨制と積極財政に移行して、軍にも予算をたっぷり上げる予定だったから、軍部(特に陸軍)とも良好な関係だったのに、「満州国を公認しない」とか訳の分からない理由で、しかも無関係の海軍将校がテロ起こすわけないじゃん、と思った。
別に坂野さんの研究を精読しなくとも、Wikipediaレベルの知識なのに、自分の専門外のことなのかも知れないが、適当に書き過ぎだろうと。
こういう細かい記述でも、本の信頼性を失わせるので、注意は払って欲しいところ。
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書評
山口浩
2016-09-23T00:38:03+09:00
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「元老」読了
http://www9.big.or.jp/~hiroshi1/pplog2/displog/840.html
伊藤之雄著「元老」読了。この人の本は以前に「伊藤博文」の伝記を読んだことがあり、その堅実で詳細な内容から、なかなか信頼に足る学者だと思っていたので、その点は、この「元老」でも期待していた。日本の戦前の元老とは、憲法には規定されていない、幕末期と明治初期に勲功のあった重臣の非公式な集合体で、議会政治が安定しつつある時期に、天皇の政治顧問団として主に内閣が倒れたときの後継首相選びに携わった面々を言う。合計8人存在したが、その中でも最初期からの中心人物、伊藤博文と、伊藤亡き後全権を握った山縣有朋、そして山縣死した後、最後の元勲として権力を伸長させる軍部に懸命に抵抗した西園寺公望と、3人の動きを詳細に追うことにより元老の政治的な活動を筆致していく。伊藤と西園寺は比較的リベラルで政党政治に期待を寄せる視点から、山縣は政党政治を嫌い、選挙結果に左右されない官僚政治、軍部政治の推進役として、それぞれの立場で元老政治を先導した。山縣個人は他国との協調に積極的で、事を構えるのに慎重派なのだが、時として世論やそれに選ばれた議会は「外国倒せー、おー!」みたいな過激に振れるので、それを嫌って官僚や軍部が主体となり、政党に左右されないような政治を構築しようとしたみたいだが。いつも思うのは、「そりゃ、あんたの生きている間はあんたが睨みをきかせてればいいけど、あんたが死んだ後、どうなるんだい」と。実際、山縣が生きている間は、彼の威光を使って軍部の暴走を抑えていた西園寺が、山縣死後、軍部(特に陸軍)の統制に苦労していくところは、「やっぱりな」的な感覚で読んでしまう。そういう点では、太平洋戦争の遠因が、山縣の構築した官僚政治にあるような気がしてならない。「超然的な立場による善導」とか所詮机上の空論で、掣肘されない政治勢力なんて育てても腐敗か暴走かあるいは両方か、ろくなことにならないと思う。ともあれ元老と言うのは憲法に規定されていない集団であるからして、リベラルや周辺勢力から、「黒幕」だとか「君側の奸」だとか、「立憲主義の敵」であるとか言われる立場で常に批判に晒されていたわけではあるけれども、その中においても、いつも極端に走る左右両方の勢力からの攻勢を避けて、中庸の選択肢を選ぶために努力した高度な政治判断の功績を認めないわけには行かないと思う。(山縣含めて。)なだいなだ著の「TN君の伝記」で、中江兆民に「前任者の大久保利通よりはるかに小物」と言われた伊藤博文、「貴族の民権主義お遊び」と呼ばれた西園寺公望が、いかに現実政治の中で苦闘していたか、中江よ好き勝手なこと抜かすんじゃねえ、と言いたくなる様な(笑)、高度な政治判断に裏打ちされた行動に重みがある。中江は理論家だからそれでいいけど、それじゃ現実政治は一歩も動かず被害が延焼するだけだもの。
伊藤之雄著「元老」読了。
この人の本は以前に「伊藤博文」の伝記を読んだことがあり、その堅実で詳細な内容から、なかなか信頼に足る学者だと思っていたので、その点は、この「元老」でも期待していた。
日本の戦前の元老とは、憲法には規定されていない、幕末期と明治初期に勲功のあった重臣の非公式な集合体で、議会政治が安定しつつある時期に、天皇の政治顧問団として主に内閣が倒れたときの後継首相選びに携わった面々を言う。
合計8人存在したが、その中でも最初期からの中心人物、伊藤博文と、伊藤亡き後全権を握った山縣有朋、そして山縣死した後、最後の元勲として権力を伸長させる軍部に懸命に抵抗した西園寺公望と、3人の動きを詳細に追うことにより元老の政治的な活動を筆致していく。
伊藤と西園寺は比較的リベラルで政党政治に期待を寄せる視点から、山縣は政党政治を嫌い、選挙結果に左右されない官僚政治、軍部政治の推進役として、それぞれの立場で元老政治を先導した。
山縣個人は他国との協調に積極的で、事を構えるのに慎重派なのだが、時として世論やそれに選ばれた議会は「外国倒せー、おー!」みたいな過激に振れるので、それを嫌って官僚や軍部が主体となり、政党に左右されないような政治を構築しようとしたみたいだが。
いつも思うのは、「そりゃ、あんたの生きている間はあんたが睨みをきかせてればいいけど、あんたが死んだ後、どうなるんだい」と。
実際、山縣が生きている間は、彼の威光を使って軍部の暴走を抑えていた西園寺が、山縣死後、軍部(特に陸軍)の統制に苦労していくところは、「やっぱりな」的な感覚で読んでしまう。
そういう点では、太平洋戦争の遠因が、山縣の構築した官僚政治にあるような気がしてならない。「超然的な立場による善導」とか所詮机上の空論で、掣肘されない政治勢力なんて育てても腐敗か暴走かあるいは両方か、ろくなことにならないと思う。
ともあれ元老と言うのは憲法に規定されていない集団であるからして、リベラルや周辺勢力から、「黒幕」だとか「君側の奸」だとか、「立憲主義の敵」であるとか言われる立場で常に批判に晒されていたわけではあるけれども、その中においても、いつも極端に走る左右両方の勢力からの攻勢を避けて、中庸の選択肢を選ぶために努力した高度な政治判断の功績を認めないわけには行かないと思う。(山縣含めて。)
なだいなだ著の「TN君の伝記」で、中江兆民に「前任者の大久保利通よりはるかに小物」と言われた伊藤博文、「貴族の民権主義お遊び」と呼ばれた西園寺公望が、いかに現実政治の中で苦闘していたか、中江よ好き勝手なこと抜かすんじゃねえ、と言いたくなる様な(笑)、高度な政治判断に裏打ちされた行動に重みがある。
中江は理論家だからそれでいいけど、それじゃ現実政治は一歩も動かず被害が延焼するだけだもの。
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書評
山口浩
2016-09-22T20:23:39+09:00
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「天佑なり」読了
http://www9.big.or.jp/~hiroshi1/pplog2/displog/820.html
幸田真音著「天佑なり」読了。尊敬措くあたわざる、戦前の大蔵相、高橋是清の伝記小説。自伝とかは持っているが、伝記小説は初めてなので買ってみた。ぶっちゃけ、小説としてはそれほど面白くない。元ネタの高橋是清男爵の人生がべらぼうに面白いので、どう書こうが面白くなってしまっているという感じ。是清のお人柄、いや、成功しようが失敗しようが、とにかく若いときからバイタリティの塊で、火の玉のような活躍ぶりが極めて印象に残る。最大のハイライトは、やはり日露戦争時の資金調達だろうか。大日本帝国政府の、「もう戦争する金がない・・・ なんとかしてくれ・・・」という悲痛な絶叫の連絡を再三再四受けつつも、足元を見られながらも英米のバンカーや投機家と丁々発止で渡り合い、全力を尽くして日本の公債を売り、引き出した金額が必要額の半分。とはいえ半分でも御の字だ、と思っていたら、国内でユダヤ人を迫害する帝政ロシアの打倒を願って、ユダヤ系のロスチャイルド財閥が高橋に接近、融資を持ちかけるという劇的展開。このへんは緊迫したムードが漂い、戦争とは軍事力の争いというだけではなく、カネの争いでもあるということを実感させてくれる。
幸田真音著「天佑なり」読了。
尊敬措くあたわざる、戦前の大蔵相、高橋是清の伝記小説。
自伝とかは持っているが、伝記小説は初めてなので買ってみた。
ぶっちゃけ、小説としてはそれほど面白くない。元ネタの高橋是清男爵の人生がべらぼうに面白いので、どう書こうが面白くなってしまっているという感じ。
是清のお人柄、いや、成功しようが失敗しようが、とにかく若いときからバイタリティの塊で、火の玉のような活躍ぶりが極めて印象に残る。
最大のハイライトは、やはり日露戦争時の資金調達だろうか。
大日本帝国政府の、
「もう戦争する金がない・・・ なんとかしてくれ・・・」
という悲痛な絶叫の連絡を再三再四受けつつも、足元を見られながらも英米のバンカーや投機家と丁々発止で渡り合い、全力を尽くして日本の公債を売り、引き出した金額が必要額の半分。
とはいえ半分でも御の字だ、と思っていたら、国内でユダヤ人を迫害する帝政ロシアの打倒を願って、ユダヤ系のロスチャイルド財閥が高橋に接近、融資を持ちかけるという劇的展開。
このへんは緊迫したムードが漂い、戦争とは軍事力の争いというだけではなく、カネの争いでもあるということを実感させてくれる。
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書評
山口浩
2016-08-08T01:18:56+09:00
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徳川家康
http://www9.big.or.jp/~hiroshi1/pplog2/displog/814.html
・土曜日、会社の人らと公民館で泊まりのBBQをやったが、その公民館の図書室に山岡壮八の「徳川家康」全18巻があったので、2巻途中まで読んだ。(他の人は麻雀かポケモンGo(笑))今の史学の最新研究からしてみれば、通説との齟齬がたくさん出てきて史実と違っているところは沢山あると思うが、「本当にこういう展開だったのかなあ」と思い込ませるような重厚かつ重層的な心理描写が凄い。まさに、「講釈師、見てきたように嘘をつき」。昨今の時代小説に足りないのはこういう精神かも知れない。
土曜日、会社の人らと公民館で泊まりのBBQをやったが、その公民館の図書室に山岡壮八の「徳川家康」全18巻があったので、2巻途中まで読んだ。
(他の人は麻雀かポケモンGo(笑))
今の史学の最新研究からしてみれば、通説との齟齬がたくさん出てきて史実と違っているところは沢山あると思うが、「本当にこういう展開だったのかなあ」と思い込ませるような重厚かつ重層的な心理描写が凄い。
まさに、「講釈師、見てきたように嘘をつき」。
昨今の時代小説に足りないのはこういう精神かも知れない。
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書評
山口浩
2016-07-24T16:31:36+09:00