MSX、MSX2 正式登場1983年 最終機種登場(MSXturboR)1990年

MSXについての概要は、様々なWebで紹介されているため、ここで詳細は述べない。
1983〜1985年当時の自分は小学生から中学生の時期にあたっているが、その視線で、MSXをどう見ていたか、そしてどういう経緯で購入に至ったかを述べていきたい。

MSXの存在を自分が知ったのは、1985年の夏頃と思われる。中学になって部活(化学部)に入り、友人が増えた事もあって今まで訪ねた事のなかった家にも遊びに行くようになった。
当時、友人達の中には結構パソコンを所有している連中が多かった。
機種を列挙すれば、PC-8801mk2、PC-8801mk2SR、X1turbo、X1C、MZ-1500、FM-NEW7、PC-6001等等である。これらパソコンは、最安値のPC‐6001ですら8万円台と高値の花、上記中で最高性能を誇るPC‐8801mk2SRやX1turboに至っては、楽々20万円オーバーの超高級機種である。
遊べるゲームも当時ファミコンで主体だったアクションゲームやシューティングゲームとは一線を画し、重厚なシナリオボリュームを持つアドベンチャーゲームやロールプレイング、シミュレーションといった指先の器用さを必要としない謎解き中心、思考派中心のゲームが多かった。
これらのゲームは自分にとって垂涎の的であり、憧れの対象だったのだが、先にも書いたとおり、当時のパソコンメーカーの主要機種はどれも値段が高く、自分には到底ひねり出せそうもない金額ばかりであった。

しかし!こういった思考型ゲームを数多く出しているにも関わらず、自分にも手の届きそうな機種があった。
友人達の影響で読み始めたパソコン雑誌「ログイン」「ポプコム」「コンプティーク」「テクノポリス」「マイコンベーシックマガジン」「ハッカー」等を読み漁るにつけ、PC‐88シリーズやX1シリーズ、FM‐77シリーズの値段の高さに落胆し、ため息をつく毎日。しかし、これら高級機種からのゲーム移植が多く、尚且つ値付けが安く手に入りそうな機種、それがMSXだった訳である。
おまけにMSXはRF出力端子を装備しており、ディスプレイは家庭用TVで済ませる事ができる。ディスプレイ価格がパソコン本体の約半額という時代なので、これは大変ありがたかった。

すでにゲーム機はセガのSG‐1000-2を保有している上、オプションのベーシックカートリッジとキーボードも購入済みだったのだが、SG‐1000ではどうにもこうにも、結局ファミコンと同じようにアクションやレース、シューティングしか遊べない。
その点MSXは、憧れの「ハイドライド」、「ブラックオニキス」、「信長の野望」、「サラダの国のトマト姫」、「ウイングマン」、「ザース」といった当時家庭用ゲーム機では絶無だった思考型ゲームがたっぷり遊べてしまうのである。
折りしも、MSXにはMSX2という後継機種が発売されたばかりで、そのためにMSXの実売価格はどんどん値下がりしていった。

発売当初のMSX2は、キーボードと本体のセパレートタイプが多く、本体には3.5インチFDDを1基〜2基搭載し、値段も10万円前後と、かなりの高級機種扱いだった。当然手が出なかったので、ターゲットはMSX1に絞られた訳だ。
まあ自分の手に入りそうというだけあって、マシンスペックはセガのSG‐1000シリーズに酷似、同じような性能のものをもう一台購入しようとしていたのだが、ソフトラインナップの差はいかんともしがたく、ソフトの差がハードの性格を決めるわけで。

そしてついに自分は、1986年の正月にお年玉を使ってMSX1を購入してしまうのである。
機種はサンヨー製WAVY2、本体価格は本来3万9800円のところ、折からのMSX2ショックで実売25800円まで下落していた。ファミコンにソフト2本つけた値段で、晴れてパソコンユーザーの仲間入りができてしまうのだ!!

WAVY2は定価3万9800円と、MSXにしてはなかなか高級機種だった訳だが、これは搭載されているRAM容量が、64KB(メガバイトじゃないよ。キロバイトだよ。)と当時のMSXとしては最高の大容量を誇る機種だったから。
MSXは、販売メーカーがユーザーのターゲットによってRAM容量を自由に設定でき、最安値のカシオPV-7に至ってはなんとRAM容量8KBしか搭載していなかった。
一般的なソニーHITBITとか、松下製MSXは32KBといった容量を保有していたが、サンヨーWAVY2はそれらより、もう少し高級路線であったことがわかる。

この後、1987年くらいからMSX2の価格破壊が発生し、RAM64KB、VRAM128KBを搭載したキーボード本体一体型のMSX2、松下のパナソニックFS−A1が29800円の超破格値で登場、さらにその価格競争にソニーのHB-F1も追随。両機の後継機種もあまり間を置かずに発売され、3.5インチFDD1基が追加搭載みたいなぁ〜、と自分の口があんぐり開いてしまうような機種展開を見せるのだが、MSX全機種対応のゲーム発売数もまあまあ衰えず、自分にとってWAVY2は値段分以上に十分働いてくれた思い出の機種となっている。

その後、パソコンの専売特許だった思考型ゲームも、大容量ROMカートリッジとバッテリーバックアップという2つの技術によってファミコンやセガのゲーム機にもどんどん発売されて行くことになるのだが、そもそもその2つの技術に先鞭をつけたのも、コナミやT&EソフトがMSXのために腕を振るってくれたのが最初だったのだ。

サンヨー製MSX1 WAVY2
 

その後就職してから、すっかりレトロPC化していたソニー製MSX2のHITBITを友人から譲ってもらい、さらには最近密かなブームとなったレトロPCの復権ブームで、オフィシャルエミュレータとMSXリーダーを買って、今に至っている。

オフィシャルエミュレータに使用するROMリーダー。
 

MSX購入と同時に買ったソフト「THE BLACK ONIX」(06.06.08)

MSXの限界と希望「三国志」(06.06.09)

最初に触れたロールプレイング「ハイドライド」(06.06.10)

MSXゲーム界王者の実力「夢大陸アドベンチャー」(06.06.11)

パソコン界7英雄の一人として「ディーヴァ」(06.06.16)
 

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