夕陽の向こう側
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2016/11/16
熊野古道 紀伊路(9)

ミニの不調で行けなかった熊野古道 紀伊宮原駅〜湯浅駅。

後のことも踏まえて この日に決行。

紀伊宮原駅 9時35分 スタートです。

ミカンが成っている民家が並ぶ通り道。さすが有田。
と 空を見上げたら皇帝ダリアに見下ろされてた。

前回みんなが待っていてくれたであろう踏切地点を通り過ぎ 川に向かいます。

●宮原の渡し場跡

有田川をここから渡ってたんですね。
”有田川という名称は暴れ川(あれかわ)から安諦川(あでかわ)を経て変化したといわれ、川が増水した時には渡し場に川止めの札が立てられた。” 和歌山県【有田地域の熊野古道】サイトより

後ろは天神社。

宮原橋を渡る。

ススキのなびく川沿いを進み 古道の標識で土手から脇道へ。
R42に突き当たると どこからでも見えそうな大きな中将姫の看板。
渡って古道を少し進むと「得生寺(とくしょうじ)」があります。

●得生寺 (10:05)

「中将姫の寺」中将姫が継母から殺されそうになった時、家臣にかくまわれた場所。

隣接する様に糸我稲荷神社があります。

●糸我稲荷神社(10:10)

伏見稲荷神社の創建より約60年も前の創建と伝えられていて 鳥居に「本朝最初稲荷神社」の額が上っています。
境内に樹齢500〜600年の3本の大楠があります。

御朱印いただいて神主さんと少しお話しました。

●くまの古道歴史民俗資料館

残念ながら休館日でした。
入口横にスタンプ台がありましたので 休館日でも大丈夫です。

一里塚の説明が記されていますね。
写し忘れています。どこかに写ってないか探してみましたが見当たらず。

43.糸我王子 (10:35)

ややこしいですよ。
再祀された王子社。いつもの青い説明板と祠があります。
糸我峠登り口に王子社跡。石碑と説明版があります。
合祀されたのは先程立ち寄った「糸我稲荷神社」

糸我の道標から今回唯一の難所である糸我峠へ向かいます。(10:45)

熊野古道 紀伊路(9)

みかん畑の中 コンクリートの急坂が続き 高度を上げて行きます。
息が切れるので 休憩しつつゆっくり上ります。

ミカン畑の向こうに糸我町が見えます。

道端の藪椿が花を咲かせようとしています。

休憩所に辿り着き 見上げると幾重にもなった竹の手摺りが目に飛び込んできます。
「九十九折れ」・・・コンクリートから地道に変わります。

ツワブキの花はもうお仕舞いの様ですね。

●糸我峠(11:15)

峠の茶屋が2件あったそうです。

先に歩いた人たちはここから最古のお稲荷さんに900mの道程を往復したそうですが 一人ですし 往復1.8km上り下りは大変そうで 萎えて行くのを諦めました。

湯浅町に入り 目的地である湯浅の町が見えます。

急な下り坂が始まり 滑って捻挫でもしたら大変と慎重に下ります。

ほっと一息ついたところに車発見。
いくら軽とは言え こんな急で細い道 上がってくるの大変でしょう。

でも両脇はミカン畑ですから 車が通る為の道路であることは間違いないのでしょうが。

で この軽はミカン収穫ではなくて 蜂蜜の箱を引き上げに来ていました。
車の荷台に乗せた箱の周りをミツバチがブンブン飛び回っていました。
写真撮らせてと頼んだら快くOKをいただいたのですが そこからが大変。
車の陰で見えない奥の方を指さしてそこを撮れと言うのです。
ミツバチがブンブン飛び回っているのに・・ですよ。
「怖いからいいです」と言うと「ネット貸したげよか?」って・・・
それはとっても親切な・・・違う違う・・えーー どうせ通りがかりですし そこまでしては撮りたくないけど・・
それでも引き下がらないおじさんに 仕方なく・・・そっとミツバチの群れ飛ぶ中に入って箱を撮らせてもらいました。 

知ってますよ。ミツバチは余程の事がない限り刺さないこと位は・・・だからネット被らなくても 刺激しない様に そっとね。
でも でも でもね・・・とっととその場を去ろうとしたのです・・

車や箱から2m程離れるとミツバチは居ないので そこでおじさんの神戸に嫁いだ娘さんとお孫さんの話が始まり 車内から写真まで取り出して来て・・・(笑)
とっても良い人 いつまでもお元気で!

ここで戯れてる間に お一人の男性に抜かれました。(笑)

●夜泣松
松はありませんでした。

●吉川憩の家 行者石
一応次の目的地にして歩いたのにその場でははっきりわからず。
ここっぽいなとは思って一応外観だけ撮ったのは覚えてる。
行者石も周囲をぐるりと見まわしてみたけど見つけられず。

ぐぐってやっと合ってたと分かったものの 行者石の説明版が隅っこ写ってるのをやっと確認できる程度。

●熊野古道 道六路道標
「行者石」の説明版に記されていた様です。
が古い板の説明版に「道六路」の文字発見。消えかけて読めません。

熊野古道 紀伊路(9)

44.逆川王子(さかさがわおうじ) (12:00)
●逆川神社
ほらぁ すっかり時間が狂ってしまったじゃん・・(笑)
国津神社(湯浅町)の境外社。

説明版に由ると・・
”王子の名の由来は、定家が王子の近くを流れる川のことを「水が逆流しているので、この名がある」と日記に書いているように、付近の多くの川とは異なり西の海の方へは流れず東へ流れているところから、逆川と呼ばれたのです。”
だそうです。

国津神社に合祀されましたが 社殿と石段を新たに建立し再建。
ご神体などは全て国津神社に合祀。

●逆川巡礼橋
水垢離 禊の場だったのでしょう。

●腰掛岩
石碑発見。けど これ 説明版 ない・・・鉄枠はきっと説明版。
そのうち新しいのが設置されるのでしょう。仕方なくぐぐる。
”後白河法皇が熊野参詣のおり、腰を掛けたという石がかつて畑の中にあったが戦後開墾のため砕かれて今はその姿をとどめていない。”

●弘法井戸
弘法大師が掘られたという伝説の井戸。中の水面が見えてつるべがありましたのでまだ使われているのかしら・・

●方津戸峠(ほうづととうげ)(12:20)
湯浅への最後の峠。後一息!

道路から逸れて古道へ。

あんまり行きたくなかったけど とりあえず古道なら通らねば・・との思いもあって進入。
雑草が道を塞いでいるのでトレッキングポールで下草掃いながら進みます。
すぐに舗装路に出ます。
あんなに掃いながら進んだのに 先に歩いた人達が言ってたセンダングサ(多分)がズボン右足下方にくっついてちくちく。

それを取り除いていると 湯浅駅で待ってると思った人が前からやって来たので湯浅駅が近いって事をすぐに理解。(笑)

一理松橋を経て北栄橋を渡ると湯浅「重伝建地区」の道標。(12:55)
まっすぐ進むと古道ですが ここでランチの為少し寄り道。

雰囲気のある湯浅の町を歩いてランチしてここまで戻り また古道を進みます。

湯浅は湯浅姓発祥の地だそうです。まぁ納得ですけど。

●「立石の道町(たていしのどうまち)道標」(14:10)
”この道標(立石)は、天保九年(1838)の建立で、紀三井寺、熊野、伊勢、高野への参詣道を標示したものである”
と説明版にありました。(一部割愛)
東西南北の文字と 「東」の文字の下の絵は指さした手ですよね?

●立石茶屋
スタンプがこの辺りにある筈・・玄関横にありました。

スタンプ押しにくいなぁとわさわさしていると 中から女性が出て来て「そこでは押しにくいので中でどうぞ」 ご丁寧にスタンプ押してくれました。(笑)
お茶を出して下さったり 沢山のパンフレットいただいたり・・色々お世話下さいました。

湯浅駅(14:40)
本日のゴール。

やれやれ みんなに追い付いた・・
一人だと気付かなくて見逃しが多いかも・・

歩数計も寄り道沢山で しかもこの後生石高原歩いた分も含まれてますので参考になりません。一応 16065歩。

熊野古道 紀伊路(9)
posted at 2016/11/22 12:13:22
lastupdate at 2016/11/22 12:13:22
修正
 
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