2016 / 08 «« ■ »» |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
meaning of mark :: nothing , comment , trackback , comment and trackback
Pageview
Online Status
Profile
Menu
RSS & Atom Feed
Pickup Photo!
Recent Diary
岐阜へnew!
Recent TrackBack
Recent Comments
■ Re:新名神の橋桁落下
└ oharu at 2016/04/27 17:47:18
└ oharu at 2016/06/01 20:31:43
└ oharu at 2016/07/09 8:17:58
└ oharu at 2016/04/27 17:47:18
└ oharu at 2016/06/01 20:31:43
└ oharu at 2016/07/09 8:17:58
2016/04/30
熊野古道 紀伊路 大阪ルート(5)
[Life]
長滝駅(泉佐野市) 9時40分集合です。
雲一つない快晴。汗ばむ位の気温でした。
街道へ出て ゴールの「山中渓(やまなかだに)駅」向けて歩き始めます。
まもなくこの日最初の王子。
18.籾井(樫井)王子(もみいおうじ)
「日枝神社(ひえじんじゃ)(泉佐野市南中樫井)」に合祀され廃絶。
比定地には自動車整備会社があり 一言声をかけて敷地を抜けさせてもらって 裏手の個人の庭内の塀に添って奥に入ると碑がありました。
このところ 痕跡も碑も案内板も何もない状態が続いていたので 個人の庭であるにもかかわらず 残されていることに ちょっと感動しました。
家主さんでしょうか 私達をそっと笑顔で見ておられたのも印象的でした。
街道添いらしい古い佇まいのおうちが軒を連ねます。
そのうちの一軒「奥家住宅」は部分的に重要文化財だそうですが補修が必要みたいに思います。
●明治大橋の辺りは大坂夏の陣 最初の合戦があった樫井(かしい)の戦いの舞台となったらしく 戦いで亡くなった「塙団右門(ばんだんえもん)」「淡輪六郎兵衛(たんのわろくろうべえ)」の墓碑 「樫井の戦い(かしいのたたかい)」跡地などがあります。
泉南市へと入って行きます。
19. 厩戸王子(うまやどおうじ)
石碑と説明板がありました。大阪府指定史跡となっている様です。
「一岡神社」に寄ります。厩戸王子を合祀し「市杵島神社」と言う境内社になっているとありますが・・
えっ? 市杵島神社?ありましたっけ?
「厩戸皇子(聖徳太子)」が建立した「海会寺(かいえじ)」跡で遊んでいたせいか 隅々まで見なかったのと下調べが不十分・・(;'∀')
●「海会寺跡」は金堂 塔 講堂 回廊の遺構などが発掘されていて 伽藍配置が展示された広場になっています。
信達宿へと入って行きます。
信達宿の藤祭り最終日とあって人通りも多く賑わっていました。
まず目についたのが本陣跡 特別入館 100円の文字。
「特別」と言う語句に弱く「100円」なら・・・そそられますよね。
本陣跡で詳しい説明を聞く人達。江戸時代 参勤交代のお話しですね。
ちょっとだらーーとした気分になって玄関脇の椅子で待つ。
なかなか出てこない人達・・
入口の門が当時の建築物らしい。
その数メートル先が藤祭りの会場です。お腹すいたぁと思いながら藤を見ます。
野田藤は盛りを過ぎていましたが 最盛期の藤棚はなかなか豪華絢爛だろうと想像できます。
***今回はコースからコースから外れ少し歩いてイタリアンでランチでした。
20. 信達一ノ瀬王子(しんだちいちのせおうじ)
跡地には地蔵石像 馬頭観音像等が祀られています。
信達王子 一之瀬王子などの別名があります。
21.(長岡王子)
実在の王子とされてはいるものの詳細は明らかでありません。
「林昌寺」の辺りが跡地と言う説がある様ですが痕跡は何もありません。
●林昌寺
なかなか由緒あるお寺です。
つつじがぽつりぽつりと咲き始めていました。満開になればカラフルでしょうね。
●岡中鎮守社と大楠と槙
遠目からも大きさが想像できる楠。寄ってみると正に巨木。
古さでは槙が勝ちですが 成長の早さは楠なんですね。
新緑が目に眩しかったです。
阪南市へと入ります。
●波太神社伏拝の鳥居
変則的な交差点にある大きな鳥居が目に飛び込んで来ます。
鳥居の方へ回り込み 坂を下るとJR和泉鳥取駅です。
「波太神社伏拝の鳥居 熊野詣など、街道を経て他国へ参拝する人々が多くなった時代、遠方から波太神社を伏拝する風習が生まれました。波太神社伏拝の鳥居は、当時の波太神社の権威を示すものとして、今もJR和泉鳥取駅裏にその形をとどめています。」*阪南市のホームページより
22.地蔵堂王子
琵琶ヶ崖と言われる熊野古道最難関の崖の南側に地蔵堂があったと言われていて住宅街の中に案内板がありました。
山中村「地福寺」に移され「子安地蔵」として祀られているという事です。
この崖 私以外の全員は通って来たのですが私は一人「こわこわーーー」と新道で迂回し回り込む形で崖を見に行きました。
足を滑らせたら転げ落ちますもん・・・(;'∀')
23.馬目王子
ウハ目王子・宇麻目王子 などの別名あり。
馬目王子は波太神社摂社の鳥取神社に合祀されている・・・
えっと 馬目王子は山中神社(地福寺)に合祀 山中神社が鳥取神社に合祀 さらに波太神社の摂社になったそうです。
跡地には案内板と雑草に埋もれる様に小さな石碑がありました。
熊野街道 紀州街道と案内板がある最近整備された様な石畳の道を進みます。
●地福寺 子安地蔵尊
先程の地蔵堂王子の本尊である地蔵三尊像が祀られているそうです。
旧学校跡に寄るか寄らないか・・・で 寄った先にあったのがこのお寺でした。
結果的に地蔵王子に所縁のあるお寺と言う事ですから やっぱり下調べしてないとこうなります。
境内は見事な枝垂れ桜。花は咲いてないけど 座って目の前に垂れ下がる緑を見ると少しだけほっこりしました。
●山中公立小学校跡
どこが学校跡なのか 地蔵尊なのか 地福寺なのか・・・
キョロキョロしまくりでした。案内板の向かい側のお宅が学校跡だそうで 個人のお宅でした。
●山中神社
街道添いに山中神社の案内板。少し奥へ入ると山中神社があります。数行前に説明した馬目王子の合祀先ですね。
ちゃんと残してあるので訪れたと言う安心感があります。
山中宿本陣跡地等見ながら石畳の紀州街道を進むと この日のゴール 山中渓駅があります。
ここは熊野街道 大阪府 最後の駅となります。
4時50分頃到着です。万歩計28676歩でした。
タロくんのログによると18.2km。
*今回は見どころ満載でした。
王子跡は割と残されていると思って下調べしてなかったので 見逃しそうな事もありましたが 次回からは和歌山です。
王子はきちんと残されています。スタンプ帳もありますしねー!(*^▽^*)
雲一つない快晴。汗ばむ位の気温でした。
街道へ出て ゴールの「山中渓(やまなかだに)駅」向けて歩き始めます。
まもなくこの日最初の王子。
18.籾井(樫井)王子(もみいおうじ)
「日枝神社(ひえじんじゃ)(泉佐野市南中樫井)」に合祀され廃絶。
比定地には自動車整備会社があり 一言声をかけて敷地を抜けさせてもらって 裏手の個人の庭内の塀に添って奥に入ると碑がありました。
このところ 痕跡も碑も案内板も何もない状態が続いていたので 個人の庭であるにもかかわらず 残されていることに ちょっと感動しました。
家主さんでしょうか 私達をそっと笑顔で見ておられたのも印象的でした。
街道添いらしい古い佇まいのおうちが軒を連ねます。
そのうちの一軒「奥家住宅」は部分的に重要文化財だそうですが補修が必要みたいに思います。
●明治大橋の辺りは大坂夏の陣 最初の合戦があった樫井(かしい)の戦いの舞台となったらしく 戦いで亡くなった「塙団右門(ばんだんえもん)」「淡輪六郎兵衛(たんのわろくろうべえ)」の墓碑 「樫井の戦い(かしいのたたかい)」跡地などがあります。
泉南市へと入って行きます。
19. 厩戸王子(うまやどおうじ)
石碑と説明板がありました。大阪府指定史跡となっている様です。
「一岡神社」に寄ります。厩戸王子を合祀し「市杵島神社」と言う境内社になっているとありますが・・
えっ? 市杵島神社?ありましたっけ?
「厩戸皇子(聖徳太子)」が建立した「海会寺(かいえじ)」跡で遊んでいたせいか 隅々まで見なかったのと下調べが不十分・・(;'∀')
●「海会寺跡」は金堂 塔 講堂 回廊の遺構などが発掘されていて 伽藍配置が展示された広場になっています。
信達宿へと入って行きます。
信達宿の藤祭り最終日とあって人通りも多く賑わっていました。
まず目についたのが本陣跡 特別入館 100円の文字。
「特別」と言う語句に弱く「100円」なら・・・そそられますよね。
本陣跡で詳しい説明を聞く人達。江戸時代 参勤交代のお話しですね。
ちょっとだらーーとした気分になって玄関脇の椅子で待つ。
なかなか出てこない人達・・
入口の門が当時の建築物らしい。
その数メートル先が藤祭りの会場です。お腹すいたぁと思いながら藤を見ます。
野田藤は盛りを過ぎていましたが 最盛期の藤棚はなかなか豪華絢爛だろうと想像できます。
***今回はコースからコースから外れ少し歩いてイタリアンでランチでした。
20. 信達一ノ瀬王子(しんだちいちのせおうじ)
跡地には地蔵石像 馬頭観音像等が祀られています。
信達王子 一之瀬王子などの別名があります。
21.(長岡王子)
実在の王子とされてはいるものの詳細は明らかでありません。
「林昌寺」の辺りが跡地と言う説がある様ですが痕跡は何もありません。
●林昌寺
なかなか由緒あるお寺です。
つつじがぽつりぽつりと咲き始めていました。満開になればカラフルでしょうね。
●岡中鎮守社と大楠と槙
遠目からも大きさが想像できる楠。寄ってみると正に巨木。
古さでは槙が勝ちですが 成長の早さは楠なんですね。
新緑が目に眩しかったです。
阪南市へと入ります。
●波太神社伏拝の鳥居
変則的な交差点にある大きな鳥居が目に飛び込んで来ます。
鳥居の方へ回り込み 坂を下るとJR和泉鳥取駅です。
「波太神社伏拝の鳥居 熊野詣など、街道を経て他国へ参拝する人々が多くなった時代、遠方から波太神社を伏拝する風習が生まれました。波太神社伏拝の鳥居は、当時の波太神社の権威を示すものとして、今もJR和泉鳥取駅裏にその形をとどめています。」*阪南市のホームページより
22.地蔵堂王子
琵琶ヶ崖と言われる熊野古道最難関の崖の南側に地蔵堂があったと言われていて住宅街の中に案内板がありました。
山中村「地福寺」に移され「子安地蔵」として祀られているという事です。
この崖 私以外の全員は通って来たのですが私は一人「こわこわーーー」と新道で迂回し回り込む形で崖を見に行きました。
足を滑らせたら転げ落ちますもん・・・(;'∀')
23.馬目王子
ウハ目王子・宇麻目王子 などの別名あり。
馬目王子は波太神社摂社の鳥取神社に合祀されている・・・
えっと 馬目王子は山中神社(地福寺)に合祀 山中神社が鳥取神社に合祀 さらに波太神社の摂社になったそうです。
跡地には案内板と雑草に埋もれる様に小さな石碑がありました。
熊野街道 紀州街道と案内板がある最近整備された様な石畳の道を進みます。
●地福寺 子安地蔵尊
先程の地蔵堂王子の本尊である地蔵三尊像が祀られているそうです。
旧学校跡に寄るか寄らないか・・・で 寄った先にあったのがこのお寺でした。
結果的に地蔵王子に所縁のあるお寺と言う事ですから やっぱり下調べしてないとこうなります。
境内は見事な枝垂れ桜。花は咲いてないけど 座って目の前に垂れ下がる緑を見ると少しだけほっこりしました。
●山中公立小学校跡
どこが学校跡なのか 地蔵尊なのか 地福寺なのか・・・
キョロキョロしまくりでした。案内板の向かい側のお宅が学校跡だそうで 個人のお宅でした。
●山中神社
街道添いに山中神社の案内板。少し奥へ入ると山中神社があります。数行前に説明した馬目王子の合祀先ですね。
ちゃんと残してあるので訪れたと言う安心感があります。
山中宿本陣跡地等見ながら石畳の紀州街道を進むと この日のゴール 山中渓駅があります。
ここは熊野街道 大阪府 最後の駅となります。
4時50分頃到着です。万歩計28676歩でした。
タロくんのログによると18.2km。
*今回は見どころ満載でした。
王子跡は割と残されていると思って下調べしてなかったので 見逃しそうな事もありましたが 次回からは和歌山です。
王子はきちんと残されています。スタンプ帳もありますしねー!(*^▽^*)
posted at 2016/05/03 14:51:53
lastupdate at 2016/05/03 14:53:24
【修正】
Trackbacks
Comments
Post your Comment
Category
Pageview Ranking
Search