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» 「ベンスン殺人事件」再読 date : 2010/05/16
S.S.ヴァン・ダイン著「ベンスン殺人事件」再読。

こないだ実家から持ってきた本の山のうち、ヴァン・ダインの文庫も何冊かあったので
再読中。とりあえず、処女作の「ベンスン殺人事件」から。以下あらすじ。


株の仲買人で放蕩者として知られるアルヴィン・ベンスンが自宅で何者かに
射殺された。被害者の兄で共同経営者のアンソニー・ベンスン少佐は、個人的な
友人であるニューヨーク地検のジョン・F・X・マーカム検事を頼り、捜査を依頼する。
そのためマーカムは警察の頭越しに捜査に携わることとあいなったのだが、
容疑者各位はお互いに様々な隠し事をしており、一向に真実が見えてこない。
そこへ乗り出すのが、「犯罪を一個の芸術作品と捉えれば、その色合いや筆遣い
によって、犯人などたちどころに判明する」と豪語する、マーカムの友人、
ファイロ・ヴァンスであった。彼は独特の手法を使って犯人を見破るが、マーカム
初め警察は、様々な状況証拠の繁出に頭を悩ませ、なかなか真実に近づけないで
いた。そこでヴァンスは捜査上彼らに多くの助言を与え、犯人逮捕に協力して
いくのだが。


といった感じ。
読了しての感想は、「うーん面白い。」
前半のストーリは覚えていたのだが、後半と犯人は忘れてた(笑)。
お前そればっかりやないけ(笑)。

よくヴァン・ダイン作品の批判に挙げられるのが、「警察が初歩的捜査を見落として
後でヴァンスに指摘される」という点。
しかし、これは古くはシャーロック・ホームズから、刑事コロンボにまで見られる手法
であって、「必要以上に周囲を無能にして探偵の有能さを際立たせる」という古典的
テクニックなので、なんでヴァン・ダインだけが責められるのか分からない。

あと、「ヴァンスの推理は美術的審美眼だけで、物的証拠や論理に欠ける」という
批判もよくなされるが、少なくとも「ベンスン殺人事件」においては、
「ベンスンの殺害方法」「ベンスンが殺されたときの状況」「容疑者の利害関係」
といった、システマチックかつロジカルな部分で犯人の特定が実施され、尚且つ
最終的に決め手になるのは歴とした物証である。
これらはヴァンスの審美眼、鑑定眼の裏打ちに使用されるだけではあるが、
通常の推理小説と同等の手順はしっかり踏んでいることになる。
ヴァンスものについて回る「論理なし・証拠なし・逮捕なし」(爆)といった特徴は、
「ベンスン」では何とか回避されている。

また、「犯罪を一個の芸術作品と捉え、それを鑑定する」というヴァンスの思想は
結構面白い。犯人がいかに他の人間の仕業に見せかけようとも、「タッチが違う」
の一言で一刀両断できるのだから。
そして犯人がヴァンスをごまかそうとタッチを別人に模倣して犯罪を犯そうとしても、
「優れた鑑定家は真作と偽作を間違うことはない」と断言すれば、もう犯人に為す術
は無くなってしまうからだ(笑)。
これは「探偵の無謬性」に悩んだエラリー・クイーンに対して、一定の回答となる
最適例ではないか(笑)。

エラリー・クイーンは論理性を逆手に取られて犯人の罠に陥ることがあったが、
ファイロ・ヴァンスなら、「これは贋作だ」の一言で片付けただろう。
「鑑定家だって間違うこともあるだろう」という反論には、ヴァンスはオーバーに
驚いて、「おお我が親愛なる伯母さんよ! 芸術的審美眼の無い人間には、
これほど明白な違いも判らないというのかね?」と皮肉をぶちかましてやれば
いいのだから(笑)。

あと、本作の美点として、マーカムとヴァンスの中盤の丁々発止の遣り取りを
挙げたい。
「どうだいこいつが犯人だろう」というマーカムに対して、ヴァンスの「いいやお前は
間違っている」という捜査陣内の対立と皮肉の応酬が、普通退屈になりがちな中盤
の捜査場面に於いてストーリーを面白く、緊張感のあるものに仕上げている。
ヴァンスの捜査方法に対する信頼が増した後続作品ではこうはいかないので、
これは処女作であるがゆえの美点であると思う。
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  posted at 2010/05/16 13:44:38
lastupdate at 2010/05/16 13:59:36
»category : 書評修正

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