» 「死者のあやまち」読了 | date : 2010/05/13 | |
このあいだ実家から持って帰った本のうち、アガサ・クリスティの「死者のあやまち」 を再読。とはいえ、筋から何からすっかり忘れているので、事実上新読と変わらない。 以下あらすじ。 田舎町ナスコームに住む成金のジョージ卿に招かれて、彼の邸宅で行われる地方の 大パーティの余興プロデュースに任じられた人気推理小説家のオリヴァ夫人は、 そのパーティのために寸劇の殺人事件を企画し、シナリオとヒントを作成していた。 殺人劇の犯人を正しく推理できた来客には、賞品を与えようという催し物である。 しかし、その作業中自分のシナリオに色々な人たちから小さな干渉を受け続け、 それに反発してシナリオを修正するたびに、どうもその反発自体を見透かされて いるようで、修正する方向を誰かの手によっていいように操られているのでは ないか、との疑問を抱くようになる。 事が(模擬とはいえ)殺人事件のシナリオなので、不自然な雰囲気に嫌な予感を 感じたオリヴァ夫人は、その結末を未然に防ぐため、友人で鋭い推理力を持つ 私立探偵エルキュール・ポアロに調査の依頼を行うのだった。が、果たして余興の 当日、シナリオに則って、実際に殺害事件が発生してしまうのであった・・・・! 以前に読んだアンソニー・バークリーの「ジャンピングジェニイ」とシチュエーション は非常に良く似ている。田舎町の大邸宅で、地域の人を巻き込んだ大パーティが 実施される事は全く同じ、また、余興のために殺人事件を模した企画が行われる 事もこれまた同じ、そして余興のはずが実際に殺人が起きてしまうことまでも同じ である。 ただ、バークリーが半ば本格推理を小馬鹿にした迷探偵ロジャー・シェリンガムを 中心にドタバタコメディのような展開になるのに対し、もちろん正統派クリスティは、 ど真ん中ストレートの本格推理で勝負する。 しかしまあ、イギリスの大邸宅での事件といえば、お祭りのような大パーティの さなかに人が殺されるという展開が多く、色んな人間が出入りして被疑者の特定が 難しいという、到底クローズドサークルになり得ないシチュエーションが多い。 そのため昔ながらの威風堂々とした大邸宅が舞台になりながらも、囲われ感が 薄く、開放系での、のどかな雰囲気の中で発生する殺人劇というイメージが強い。 これがヴァン・ダインの「グリーン家殺人事件」を嚆矢とする、アメリカの大邸宅に おける殺人だと、ニューヨークといった人種の坩堝である大都会が舞台である事 が多いのに、殺人の起こる邸宅は関係者以外出入りの少ないクローズドサークル に変わってしまい、閉じた空間での陰湿な殺人劇になってしまう傾向が強い。 これは同じ旧家、名家を扱いながらも田舎町ののんびりした雰囲気を今に伝える イギリスの伝統と、貧乏人から金持ちまであらゆる人間が行きかう大都会の雑踏の 中、一個の独立した家を確立しようとすれば否応なしに他人から距離を置かざるを 得ないアメリカという国の環境との差を示唆しているようで中々興味深い。 じゃあ日本はどうかといえば、横溝正史の岡山県モノに代表される日本の田舎町の 事件では、村自体が閉じていて、よそ者を受け付けないという村落まるごと一つが クローズドサークルになっているという傾向が見受けられるように思う。 これまたそれぞれお国柄の違いという奴だろうか。 あと、クリスティの長編て大体訳文で300ページ前後に収まって、極端に長い奴や 極端に短い奴が無いように思う。 女性的な特徴なのかも知れないが、大体それくらいで納めておけば、あまり読者に 負担をかけないだろうという職人的配慮なのかも知れない。 ほら、男の作家は興に乗ると調子こいて500ページだ1000ページだと馬鹿な 長さになってしまうことがあるからねえ(笑)。 |
||
Trackback URL -->
クリップボードへコピーする場合は こちらをクリック(Win+IEのみ) |
||
posted at 2010/05/13 1:24:42
lastupdate at 2010/05/15 14:02:09 »category : 書評 【修正】 |
:: trackback :: |