『出来ぬ尊さ』

 ジ・エンパイア戦から一晩たち、日課としている早朝のジョギングのため佐久間が鬼道と宿福の玄関で落ち合った時である。
 鬼道はランニングシューズに履き替えながら、確かめたいことがある、佐久間に告げた。
「ジ・エンパイア戦で、栗松が相手プレイヤーからボールを取り返すとき、着地の際に足を痛めた様子があった」
「足を?」
 そうだ、と上がり框に腰掛けてシューズの紐を締めていた鬼道が、自分の右足の脹脛から足首にかけて指を指した。
「”アンデスのありじごく”という技でフィールドの状態が悪化しているのを見た。あれに足を取られて、疲労を重ねたままプレイを続行したんだろう」
「ああ、あの技か・・・」
 ジ・エンパイア戦の中継をみていた佐久間が”アンデスのありじごく”という相手の技で、フィールドの一部が流砂状態になっていたを思い出した。
「確かめて欲しいことがあるんだが」
「それはいいが、直接、栗松本人に聞いてみたらどうだ」
「久遠監督が栗松本人に確認をしたそうだ。栗松本人がそれを否定している」
 鬼道は内心、栗松の気持ちがわからなくはない。代表選手に選ばれて、本戦まできたのだ。ここで故障とわかれば、悔しい気持ちを抱えたまま自分だけが帰国の途に着くこととなる。
「わかった」
 鬼道の意図を理解し、佐久間は宿福の玄関を鬼道と共に出た。
 結局のところ、案の定であった。
 午前のパスワーク練習の際に、佐久間が栗松に放ったすこし威力の残る浮き玉は、栗松の痛めた右足ではトラップミスとなり、ボールは軽く弾んでラインを割っていく。
 練習の合間に、吹雪が怪我から復帰してきた報告が入った。久遠監督が、吹雪と入れ子になる選手の名前を呼び、それが栗松だったのだ。選手やマネージャーからも監督に対して非難の声が上がった。
 栗松の離脱が決定した後、栗松はライオコットの病院で右足の診察と治療を受けた。静養とリハが治療の要となるこの手の怪我は、到底大会期間中に元に戻るものではなかった。
 空港の見送りの際、落胆している栗松に佐久間が声をかけた。
「少しいいか」
 小柄な栗松は佐久間を見上げた。栗松にとって、佐久間を含め帝国学園の関係者にはいい記憶がない。あの鬼道に対しても1対1の会話は未だに緊張する。
「練習の時に送ったパス、栗松の足下に行くまでに、威力を殺し切れてなかったかもしれない」
「そうでゲスかね・・・」
 困り笑いをした栗松は、じっとこちらを見てくる佐久間の視線に身動きがとれなくなる。
「試すようなことをして申し訳ない。足は、平気か」
「試す・・・?」
 正面からみてくる佐久間の顔が緊張していることに気づいて、栗松は虚を突かれたような顔で固まった。
 一体何を試されたのか、栗松には佐久間の意図がわからなかった。
「監督がお前と吹雪との入れ替えを宣言しなかったら、鬼道がお前の足のことを監督に具申する予定だった」
「具申、でゲスか?」
「チームメイトの怪我を、鬼道は誰より気にするからな」
「そんな・・・」
 実力不足で戦力外通告を受けた体をなしたほうが栗松にとっては少し気が楽だったのだ。
 怪我を隠して今後全力で守備の前線に立てるほど、世界大会は甘くない。
「久遠監督は自分が悪者になって、お前に戦力外の通告をしたんじゃないかと俺は思う」
 ポソポソと話す佐久間の声を聞き逃さないように、空港の廊下を歩いていると他のメンバーから声がかかり佐久間と栗松はその輪の中に入る時だった。
「栗松」
「はい」
 ポンポンっと佐久間は栗松の背中を叩いて、鬼道と不動がいる方向に視線を向けた。
「チームメンバーの中には、俺や鬼道の他にも、お前の怪我に気付いてるメンバーがいる」
「えっ」
 佐久間はふっと小さく笑ってうなずいた。
「だからお前の怪我に気付いてるメンバーは、見送りに泣きも笑いもしない」
───────無事に治ってほしい
 本当にそれだけだった。
 日本に向かう飛行機への搭乗口まではワイワイとしていたが、ついに栗松は一人で飛行機の座席に座った。飛行機の座席からは見送りロビーのガラスは西日に反射していて、見送るイナズマジャパンのメンバーの姿は見ることは叶わなかった。
 傷ついた身を案じ、傷ついたことの重大さを身に染みる者だからこそ。
 笑顔で送り出せぬことが出来ぬ尊さ、そういうものもあると栗松は知ったのだ。
 

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