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2004年04月18日
グリーン車の謎(違う…)
東京駅の新幹線乗換え口を出たあたりから、かすかにちらほら目には入っていたのだけれど、中央線のホームへと向かうエスカレーター、ただし反対側はもうオレンジ一色。ええ、今日はアルビレックス新潟が国立で試合だったわけですね。まさか、彼らはこれから新潟に戻るとか言わへんよな。言うのか? すごい情熱だ……。
というわけで、ちょっぴりピンポンダッシュ的実家訪問をしてまいりました。金曜日の夜に会社から直接東京駅へ向かい愛知の実家へ、そして今日の夕方東京へ。
何時に会社を出られるのか直前まで予測不可な為、指定席予約もできずに東京駅へ向かったところ、案の定普通車指定席は満席。疲れているは、なるべく早く帰りたいわで、待って自由席に乗る気力もなかった私は、とうとうグリーン車という選択肢を選んでしまったわけ。人生の中で最初で最後かもしれないグリーン車。しばらく前までは、指定席すら滅多に使うことのなかった私。だって、ひとりだったらたいてい自由席でも座れたんだもん。なのに、なぜか最近ホントに座れない。何でだろうなあ。
というわけで、4,000円も通常上乗せした座席に座ってみたのですが、(そんだけの値段するのかどうか微妙だけれど)やはり普通よりずっといい。特に背もたれの頭の部分。非常に寝やすい。あとフットレストね。靴を脱ぎたくなる人(私だ)にとっては、とーってもありがたい。しかし、発車してすぐに配られるおしぼりはなー、出来れば普通のタオル地のものにして欲しい。紙のおしぼりじゃ何か味気ないじゃないの。
車内では、私と同じで普通車が満席のためグリーン車に乗った名古屋のおばちゃんが、隣に座ったビジネスマンのおじさまと終始おしゃべりをしていた。典型的な尾張のおばちゃん(笑)もう尾張弁を駆使しまくった自慢話とも何とも言えない会話は、私の夢の中にまで追いかけてきて、うるさいとかそういう次元を通りこし面白すぎた。60歳はゆうにこえているらしいおばちゃんだけど、いまだ現役キャリアウーマンらしい。自分の事務所だから定年がないんだと、豪快に笑ってらっしゃった。バイタリティがすばらしい!
ところで、グリーン車の車内販売のお姉さんは、やはりパッセンジャーサービスの人なのかしら? それともJR職員? グリーン車の車内販売だけはきっちりとスーツを着たお姉さんがカートをひいている。でも、男性は普通だったなあ。それでも、外国人のお客様には流暢な英語で対応をしておったので、やはりグリーン車はそれなりにそれなりの人でないと任されないのだろうね。車掌さんも女性。何か妙な感じを受けるのは私だけ?
そして最大の謎。グリーン車内って、トンネルの中でも携帯電話圏外にならへんの?
メールを送信しようとしてふと窓の外を見たらトンネル内。それなのに何故か私の携帯アンテナは3本たっており、トンネルを抜けるまで消えることはなかった。えー? 私の気のせい? それともホントにそうなの? 多分もう二度と乗らないから確かめる術はないんだが。
名古屋駅に到着するあたりから、従姉が携帯にメールを送ってきていた。何だろうおかしいなあと思っていたんだけど、地元の駅に着いたら何と従兄夫婦が迎えに来てくれていた。おお、すげえ、豪華お出迎え付きだよと思ったけれど、直前までうちの実家で飲んでいたらしい従姉は既に出来上がっていた。とても嬉しいけれど、改札の前で大笑いするのはやめた方が……それと、いきなり人のおなかを掴むのも(以下略:笑)
しかし、こんな夜遅くにわざわざありがとう。すごくすごく嬉しかった。地元はいいね。
あ、ちなみに運転していた従兄はもちろんアルコール一滴も摂取しておりませんので(笑)
そういえば、従姉も先日矯正ストレートを初めてかけたようですが、「何で、矯正ストレートまでかけたのにノーメークなのー??」などという問いはしないように(笑) これはあくまで楽をする為にかけたのです(きっぱり:笑)
翌日は、とーちゃんとばーちゃんと、えーそれから、母親に言われるまで全く気づいていなかったのですが、中学生の時に亡くなったじーちゃんの法事でした。それぞれ、1周忌、3周忌、17周忌(!)なり。まとめてどん!です。
集まった親族がじーちゃんの葬儀の時の話をしていて、よく覚えている人、忘れてしまっている人様々ではたから見てると結構面白かった。私はと言えば、部屋の隅で笑って聞いていただけなのだけれど、実はあの時のことは結構しっかり覚えている。というか、どうでもいい記憶力は抜群なのだな。(そのかわり単語の暗記とか全くダメでさ、結果今の私が……まあいい)
中学3年生の夏の朝、ほぼ寝たきりだったじーちゃんの様子がおかしいくて、入院かもね、という母親に見送られて学校に出かけたけれど、おりしも三者面談の最中で半ドン。部活(っても放送部だけどさ)の前に昼食だけ食べて学校戻ろうと思って帰宅したらば、自宅の門柱の前には葬儀センターの車。居間には既に親族がちらほらと集まっていた。おいおい、学校に連絡しないのかよ、と突っ込みを入れそうになったのだけれど、「どうせお昼に帰ってくると思ったし」という母親の言葉にくらくらした記憶がある(笑)
自宅で行った通夜では、線香の火を切らしてはいけないと本当に皆が交代で番をしていた。すっかり忘れちゃったわ、と言っていた伯母は、二階にあった狭い私の部屋で一緒に仮眠をとっていた。葬儀は、近所のお寺。お寺までお棺を運んだのは確か従兄達ではなかったか。とても暑い日だった。お寺の境内に集まっていただいた弔問客の方々も炎天下でさぞかし大変だったことだろう。
従兄姉達の中でも一番年下の私は、ただのほほんとしていれば良かった。ぼんやりと、人が死ぬのって怖いなあと思っていただけ。死者を悼むとかそういうのではなくて、この間までいた人が既に仏壇やお墓の下におさまってしまうという恐怖。しばらく仏間に近づくことができなかった。その後、ちょっとした幽霊騒ぎもあったしね(これは全くの勘違いだったのだけれど)
でも、実は30歳にもなった今でもそれはちっとも変わっていない。あかんね。いつまでたっても子供のまま。これじゃ母親に説教されてもしゃーないわ、と思いつつ実家を後にしてきたのでした。でも、また明々後日には実家に「泊めてもらう」んだけどさー。仕事だし。あまりに頻繁に帰りすぎてイヤな顔をされてしまった(笑) ま、いっか。カッコだけでも娘を邪魔にできる位には、楽しく生活をしているのでしょう。それはいいことだと思うしね。ていうかさ、私がいても、正直猫の手にもならん。彼女の仕事が増えるだけで、娘は帰ってきてご飯食べて寝るだけ、ときたもんだ!(笑) そりゃ、イヤな顔のひとつもするわなあ……。かーちゃん、ごめんなさい~。
投稿者 kaori : 2004年04月18日 23:59
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