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2004年01月21日

「四季 夏」森博嗣

随分と前に購入していたのだけれど、何となく読まずに放置されていた1冊。そのあいだにあちらこちらから感想が聞こえてきたりして、どうしたものかと思っていたわけですが。先に、「四季 秋」を買ってしまい、しかも「四季 秋」は創平と萌絵の物語ときた日には。そりゃ「夏」を読まざるをえない、というわけで手にとった次第。

確かにね、最近の森博嗣の作品は、理屈っぽいを通り過ぎてはるか彼方にひとりでいっちゃっている感が漂っているので、そういう部分に関してどうにも入りこめないものはある。どーなんですかね、ついてこれない人はどーでも良いと突き放されているのか、それとも単に突っ走ってしまっているだけなのか。や、でも、まあそんなことは別にどうでも良くて。(そこで思考を停止するなと言われるかもしれないけど)

話にオチがつかないと気がすまない、伏線がそのまま放置されているのが気にかかって仕方がない、謎が謎のままになっていると後々まで続編が気になってしまうという、情緒や想像力のカケラもない私なので、そういう意味でこのシリーズ(厳密に言えばシリーズではなくて、4章だての話が別れて出てるだけで、そのうち1冊のハードカバーで出るらしい)は、好奇心を非常に満たしてくれるわけだ。

「すべてがFになる」の中で触れられていた、「真賀田四季が自分の両親を殺した事件」。この事件に行き着くまでの過程が「夏」で描かれている。正気で読めば、なんでそんなことで両親、ていうか人を殺すかなあと頭を抱えたくなるわけだけど、彼女にとってはそういう考え方には意味がないのだろうねえ。徹底的に人間的ではなくて、でもどこかやはり人間的な思考。天才だけれど、それが故に感じる特殊な孤独? それとも、天才であっても人間的な孤独を感じることもある? でもって、読んでいるこっちは混乱。理解力のない私には作者の意図がつかめません。天才の思考回路は理解できません、ってあたりでいいのかしらね?(良くないかもしれない:笑)

そんなこんなで、「すべてがFになる」の副読本ということで。(自分の話にはオチがないのだった)

投稿者 kaori : 2004年01月21日 23:59

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