» 「慟哭」読了 | date : 2009/01/15 | |
貫井徳郎著「慟哭」読了。 今更ながら、貫井徳郎のデビュー作「慟哭」を読了。 一件地道な捜査風景をリアルに描く警察小説のように思えるが、 終末の解決編に力点を置いたなかなか本格スピリット溢れる作品。 痛ましい幼児殺人が連続して発生するという、全体を覆う暗い雰囲気に救いようの 無い虚しさが漂う。 その悲哀を感じられるか否かが、この小説の賛否を分けるファクターになるような 気がする。 もちろん幼い子供を持つ親であれば、この小説内の事件の重みは十分に感じられる はずだし、登場人物の心境にも共感や反発を感じ取ることが出来、 リアリティ溢れる作風と受け止められるはずだ。 逆に年が若くて、まだ子供を持つ年齢とは無縁の人間や、独身の人間だとあまり 切迫感を得ることができず、逆に作り物めいた物語のように思えてしまうかも しれない。 自分はこれくらいの子供を持ってもおかしくない年齢ではあるが、未だ独り身という 不安定な立場なので、どこに立脚点を置くかは非常に難しいのだが、 少なくとも「作り物めいた」とか、「浅い」とか感じることは無かった。 この小説をそういう風に感じる人種は、多分人の親になったことがない若い世代では ないか、と推測するのだが、自分的にはそこまで割り切った見方を出来るほど 若さに溢れているわけではないので・・・。 かといって親的な立場で眺めることも、当然十分には出来ない。 自分が一番痛切に感じたのは、人を殺めるという行為を起こす一線と いうのは、何かの弾みで易々と乗り越えられてしまう曖昧な線引き なのではないか、という怖さである。 自分がいつ被害者になるか、あるいは加害者になるか。 簡単な線引きを軽々と超えてしまう瞬間が、そこらここらに転がっているのでは ないか、という恐怖感がどうにもついて回って嫌な感じがした。 自分自身、自分の理性というものに信を置くウエイトは大きいのだが、 その信を置くに値するほど、自分の理性というものが確固たるものなのか、 今もって常に自問自答してしまう。 自分が普段考えている事を、改めて突きつけられるような、そんな小説だった。 結末は今となってはややオールドファッションな感じがするが、出版された時期を 思えばこれもありだろう。 |
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posted at 2009/01/15 8:03:12
lastupdate at 2009/01/15 8:03:12 »category : 書評 【修正】 |
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