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» 「帝国以後」の考察つづき date : 2008/03/24
先ごろの書評に次いで、エマニュエル・トッドの「帝国以後」に含まれる諸問題
の考察をしてみたい。

書評では、自分なりに「帝国以後」の記述について疑義を呈したが、
アメリカという世界の保護者たるシステムが崩壊したあと、どのような世界秩序
を構築していくか、という著者の問題意識自体には特に異論はない。

ただ、こういう本を読むと、日本の一部の層には、
「アメリカはやっぱり欠陥国家だったんだ! ざまあみろ!」てなレベルでの
溜飲を下げてそれで満足してしまうような人たちが大勢いるような気がする。

アメリカの高圧的態度が常々うっとおしい、と感じている人たちは
相当数存在する訳で(自分もそうだけど)、そういう人種に、「帝国以後」のような
切れ味のよい米国の欠点を指摘する批評を与えると、嬉々として尻馬に乗り、
アメリカ批判に徹するような人士が大勢出てくるのではないか、という事。

これは、アメリカ(という秩序)不在という状況に対して、どういった戦略を
取るべきか真摯に考えているトッドの立場とは最も遠いところにあると思うのだが、
「生産効率No.1」とか、「真の大国」とかおだてられて有頂天になり、それだけで
満足してあとはアメリカを腐すだけで事足れり、とする日本人を沢山輩出しそうな
気がする。

また、アメリカの存在が後退した以後は、欧州、ロシア、日本が協力して
積極的に諸問題の解決に動かなければ、逆に世界的な混乱が煽られて悲惨な
状況が長続きしてしまうと思うのだが、日本人の中には、現状の閉塞感を
打破したいという欲求の余り、
「いっその事、世の中大混乱が起こってしまえばいいんだー!ひゃはははは」
とばかり、世情不安をむしろ期待するような感情が存在することも
注意しなければならないと思う。

まるで「北斗の拳」の世紀末的世の中を夢想するような感情がある事を
注視すれば、むしろ秩序を維持するシステムが欠損して混乱に陥る事を
期待する連中が、少なからずいると思うのだ。そういう夢想を持った連中は、
実際にそんな世界が創造されたら、せいぜいハート様に使われて「いてえよ!」
とぶっ殺されるような人種に堕ちてしまうと思われるのだが、重要なのは、
今いい目を見ている金持ちや政治家連中も等しく没落する事で
負の平等が実現するという事実なのだ。

そういった人士にとっては、アメリカの没落により世界を押さえる秩序が
なくなって不安定になったり、テロが頻発して治安が悪くなることはむしろ
歓迎すべき事項であると思う。

だから、「帝国以後」のような本は、「自分たちで世界をなんとかしよう」と
いう問題意識とは別に、「アメリカも日本も中国も、みーんなつぶれてしまえー!」
という”ネガティブなお祭り意識”を助長してしまうような気がするのだ。

これは著者が悪いのではなくて、そういう馬鹿な考えを持つ人間自身と、
そういう層を増やしてしまった日本の政治に問題があると思うのだが。
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  posted at 2008/03/24 23:28:19
lastupdate at 2008/03/25 0:03:42
»category : 書評修正

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