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» 「秀吉の接待」読了 date : 2008/07/01
二木謙一著「秀吉の接待」読了。

天正16年(1588年)、上洛を命じられた毛利輝元の上洛記(家臣記録)
を基に、豊臣秀吉の接待内容を明らかにする本。時代の空気、雰囲気というものも
推し量ることができ、なかなか面白い本だった。

四国と九州を平らげて、残すは関東の北条と東北の諸将のみ、という天下統一直前の
豊臣秀吉が、これまで忠実な同盟国として働いてきた毛利輝元を改めて幕下に加え、
臣下の礼をとらせるという重要な局面。
秀吉は輝元に上洛を命じ、忠誠を誓う事を強要するのだが、これには毛利家中も
相当の緊張があったと思われる。

先に急逝した毛利家中の重鎮、吉川元春は反秀吉派の急先鋒、もし彼が存命だったら
親秀吉派の小早川隆景と衝突し、ひと悶着起こっていたかもしれない。
恐らく毛利家中でも秀吉に対する抵抗論は相当あったと思われるが、当主の輝元は
上洛して秀吉に謁見することを選択し、軍門に下ることを肯んじたようである。
とはいえ、上洛の過程を見るに付け、輝元も相当ピリピリしていたことが分かる。
配下の船団に、何があっても争いごとを起こすな、と厳命したり、秀吉の勢力圏に
入った後に、せっかく黒田官兵衛が用意した宿を拒否して船上で寝泊りするなど、
輝元にも何らかのわだかまりがあった事を想像させる。

秀吉にしてみれば、本能寺の変以降、自分の天下統一に同盟国として協力してくれた
毛利家を、同盟者という形ではなく自政権に組み込んでおきたかったのだろうが、
当然毛利家中の反発も予想していたはず。
輝元に頭を下げさせて屈辱を与えるというよりは、秀吉政権の重鎮として迎え、
大いにもてなして輝元の面子を潰さない事に全力を注いでいることが分かる。

これまでの毛利氏の家格からは考えられないような高位を与えたり(毛利家の極官は
従四位であるが、三位相当の参議に叙任させたり)、連日祝賀の宴を開いて輝元を
大いに饗応したり、遅ればせながら北条家が京に使者を送ってきた時は、秀吉政権の
家老格としてその場に列席させたりと、とにかく「毛利がやってきたことを豊臣は
歓迎している」という雰囲気を作り、何とか毛利の不安と不満を取り除こうと
心を砕いている。

また、当時饗応に使われた食事のメニューやレシピの記録も書いてあったり、
毛利に伺候挨拶にくる大名のラインナップから、当時の豊臣政権内の順位みたいな
ものがおぼろげに分かったりと、桃山時代の史料としてもかなり興味深いものがある。

それと、全体の流れから、四国九州を制圧したとはいえ、まだ東国に敵を抱える
秀吉政権が、中国地方を支配する毛利を大変大事に扱っていること、また、戦国大名が
統一政権の軍門に下るときの緊張感といった状況なども良く分かり、時代の空気という
ものが良く分かるいい歴史書だと思った。

不満点としては、「輝元はそう考えたのではないか」とか、「輝元はこう思った」とか、
史料に推察できる文面がないのに、著者が勝手に輝元の心境を断定したりする場面が
多いので、「そんなの本人に聞いてみなきゃ分からねえじゃん」と言いたくなること。


アマゾンの読者ブックレビューで、「マニアックすぎて意味不明な本」と最低評価を
受けているが、戦国史に興味があるなら「面白い」と感じられる叙述が多い本なので、
最低ランクに評価されるような本では断じてないと思うのだが。
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  posted at 2008/07/01 22:51:20
lastupdate at 2008/07/01 23:03:26
»category : 書評修正

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