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» 松平春嶽公の坂本龍馬評 date : 2010/05/29
以前、福井藩関係者がそろそろ出演する頃なので、NHK「龍馬伝」を見るって
話をしたが、その時に触れた福井藩主松平春嶽公が、坂本龍馬をどう見ていたか、
彼の龍馬評を書こうと思う。
出典は、春嶽公の回想録、「逸事史補」(人物往来者刊)から。

その前に、坂本龍馬って、歴史的にはどういう位置づけの人かという事を話そうと
思うのだが、龍馬というのは、今の世の中で盛んに言われてるほど、大きな功績を
残した人ではない、というのがどうも真相らしい。

龍馬の一番大きな功績として、当時犬猿の仲だった薩摩藩と長州藩を仲直りさせて
同盟を結ばせ、維新の原動力となるべく協調させた、という事が言われているけど、
これは別に龍馬の発想でも発案でもない。
実際は単独で倒幕が出来るかどうか若干不安を感じていた薩摩藩が、幕府に恨み
を持つ上に、かなり実力の高かった長州藩を誘って仲間に引きずり込んだという方
が真実に近いと思われ。

薩摩藩の雇われ仕事をよくこなしていた龍馬は、小松帯刀や西郷隆盛に頼まれて、
長州にアプローチをかけただけの交渉人だったというのが実像に近い。

それが何故後世になって存在がクローズアップされたかというと、明治に入って
長州と薩摩が藩閥政治の中で勢力争いをしたときに、薩摩閥が
「薩摩の倒幕に金魚の糞みたいにくっ付いてきただけの癖してデカい顔すんな」
という啖呵を切った時に、
「こっちは坂本龍馬がわざわざ説得に来てくれたから、仕方なしに薩摩の味方を
してやっただけじゃ。別に薩摩に恩義は無いわい」
と長州閥が反論したので、その後長州が藩閥の主流になっていくにつれ、龍馬の
重みが増してしまったという事らしい(笑)。

とはいえ、実際に交渉を纏め上げたのは確かに龍馬の功績でもあるので、
実務レベルで大きな働きをしたことは事実だと思われるけれども。

話を元に戻し、春嶽公の坂本龍馬評を、部分読みやすく改変。

「坂本龍馬は、土州藩なり。すこぶる勤皇家にして国の為に尽力せし人なり。
この人は暗殺せられたり、誰からという事分からず。
さりながら風聞によれば、一橋中納言(慶喜)の用人に原市之進という者あり。
すこぶる寵を得て周旋家たり。親王、関白へも毎々出入りをなし、賄賂などを
用いるもっとも策士なり。
この人、密かに誰かに命じて龍馬を暗殺せしと言う。真偽は保証しがたい。

龍馬は、余は最も知れり。毎々面会せり。その以前、余が政治総裁職たりし時、
坂本龍馬、岡本健三郎の二人が謁見を乞う。
余は面会し、天下の情勢と形勢を陳述せり。(彼らから)勤皇の志を感じるもの也。」

「逸事史補」は、春嶽公の著書の中でも明治の早い時期に書かれたもので、
この時点ではまだ坂本龍馬の名前はそれほどメジャーではなかったはず。
しかし、「最も知れり」とか、「毎々面会せり」とか、かなりご贔屓だった様子で、
個人的に龍馬のことを高く評価していることが伺える。
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  posted at 2010/05/29 6:31:39
lastupdate at 2010/06/07 2:20:21
»category : 日記修正

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