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» 「僧正殺人事件」読了 date : 2010/04/18
S.S.ヴァン・ダイン著「僧正殺人事件」読了。

先の記事でも書いたように、新訳「僧正殺人事件」を購入したのだが、それを読了。

以下あらすじ。

春先のニューヨーク、著名な数学者ディラード教授邸の裏庭で、教授の姪御ベル
の男友達、コックレーン・ロビンが殺害された。
胸に矢を突き立てられ、傍にはアーチェリーの弓が置かれているという状態で。
不可解な状況に困惑した地方検事マーカムは、親友のアマチュア探偵
ファイロ・ヴァンスに相談を持ちかける。
事件のあらましを聞いたヴァンスは、これが恐ろしいユーモアを持った邪悪な
殺人犯の仕業だと直感的に喝破する。そして、マーカムにある童謡を思い出す
ように促すのだった。
”だあれが殺したコック・ロビン? 「それは私」とすずめが言った。”
マーカムはヴァンスの指摘を本気としなかったが、現場の近くにはメッセージが、
そして、各新聞社にも同じメッセージが送られた。それは、ヴァンスの謡った童謡が
記され、”僧正”と名乗る人物からの犯行声明だった!
この手紙が、童謡連続殺人の幕開けとなったのである・・・・。


自分は「僧正」はファイロ・ヴァンスものでは結構後に読んだ方だと思う。
まずズベズダ氏にジュブナイルで「グリーン家」を借り、その後創元文庫の
「ケンネル」をこれまたズベズダ氏から借用。ここまでが小学校時代。
中学に入って「カナリヤ」と「ベンスン」を購入、多分「僧正」を買ったのはその後
だから、順番としては5番目に読んだことになる。
このころ既に横溝正史の「獄門島」や「悪魔の手毬歌」を読破していたので、
影響下にある作品の方を先に読んでいたことになり、童謡殺人の元祖としての
「僧正」を実際に読んだのは逆鞘でずいぶん後になってからだった。

だから自分はてっきり「僧正」を陰惨な因縁劇から起こる殺人の悲劇のように
想像していたのだが、実際に読んでみると、ニューヨークのど真ん中の開放系で
理知的に行われる殺人事件である事を知って、意外に思った記憶がある。

ヴァン・ダインは、「グリーン家」のような因縁ドロドロの閉じた家族の悲劇を作る事も
出来る作家なのだが、「僧正」が”童謡殺人”というウェットなイメージになりやすい
素材を取り上げているにも関わらず、クールな描写を徹底しているという事実は
中々興味深い。

今回読み直してみると、その理知的雰囲気は、事件関係者がほとんど数学者か
その係累に連なる人間なので、ヴァン・ダインがその部分を重視して意図的に
醸し出したものなのかも知れないと思った。
その上で、理知的な雰囲気にそぐわない童謡(マザーグース)殺人が、不協和音
の妙をなして一層犯罪の不可解性を盛り上げている、と。

”童謡殺人”が持つ陰惨な雰囲気や不気味さ、恐怖感といった代物は、これに
刺激されたクリスティの「そして誰もいなくなった」や、日本では横溝正史の「獄門島」
や「悪魔の手毬歌」とったフォロワー達によって付与されていくわけで、
元祖たる「僧正」自体は、案外あっけらかんとしている。

中学時分は、これが元祖たるゆえのフォーマットの未完成からくるプロトタイプの
宿命のように捉えていたのだが、実はそうではないんじゃないか、と。

再読すると色々考えさせられる事がある。

ちなみに結末は完璧に覚えていたので、犯人当ての楽しみは皆無(笑)。
でも、最初に読んだ時の結末を忘れないという事は、それだけインパクトのある
エンディングだったという事で、意外性と驚きに満ちていることは保証できると思う。
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  posted at 2010/04/18 21:40:04
lastupdate at 2010/04/18 21:47:52
»category : 書評修正

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