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» 「フリーフォール」読了 date : 2010/03/26
ジョセフ・E・スティグリッツの「フリーフォール」読了。

ノーベル経済学賞受賞者の著者が、アメリカの金融界、証券界の構造的な腐敗を
鋭く指摘し、彼らに自浄作用がない事を事例を引いて暴いた上で、それらに迎合的な
ブッシュ前政権とオバマ現政権の政治的失策を厳しく糾弾する最新著作。
 金融証券界と政府を切った返す刀で、今日まで経済政策の先導役を果たして来たと
思われる新古典派の経済学をも滅多切りにしており、ケインズの系譜に繋がる著者の
意見こそが現行の不況に最も合致するものである事を主張する内容にもなっている。

うーん、スティグリッツはクルーグマンと並んで個人的にかなり信用している
経済学者ではあるのだが、本書は今までその著者と激しい学術的論戦を演じてきた
新古典派を叩きのめすために、必要以上に論敵の経済理論を貶めているような
気がしてあまり賛意が示せない。

まあ新古典派の親玉であるミルトン・フリードマンやら「非自発的失業などない!」と
言い切ったロバート・ルーカスやらが、今回の不況を作り出すときに市場原理主義者の
精神的支柱になったことは間違いなかろうし、それを積極的に正すこともしなかった
彼らの態度は十分糾弾に値するものだとは思うが、それと彼らが経済学上成し遂げた
学術的成果の評価とはまた別問題だと思うし。

フリードマンのマネタリズムも、ロバート・ルーカスの合理的期待の形成も、それ自体
は経済学の現象を理解する上において非常に重要な理論だと思うのだが。
スティグリッツが武器とする”情報の非対称性”自体が、合理的期待形成派が示した
モデルに一度乗っかった上で、彼らが言うような「政府の財政政策に即応した合理的な
市場反応」なんて期待通りに起こるわきゃない、という事を証明するために編み出された
理論だと思うので、ある意味リアクション芸に過ぎないと思うんだけど。

新古典派がどっちらけだったのは、自分達のモデル上の正確さが現実の経済と完全に
合致すると思い込んだこと自体で、それに対するスティグリッツの反論はまことに
尤もな話だと思うんだけど、新古典派が経済学に貢献した内容まで否定しちゃうのは
どうかと思う。

もともと本書の目的が何かを考えた場合、新古典派への攻撃はあくまで副次的な
もので主眼として置かれているのはアメリカの金融証券業界への徹底的な糾弾と、
それにロビイングでやられまくっている合衆国政府への攻撃だと思われ、その意味
ではアメリカの現状を認識するのには十分役に立つ本だとは感じた。

しかし、相変わらずスティグリッツは中国に超甘い幻想を抱きすぎなのではないか。
欧米インテリにありがちな中国への過大評価は何とかならんかね。
中国の内情はアメリカの腐敗より健全だとは言えないし、経済もアメリカより効率的
だとも言えないだろう。中国の成長は潤沢な労働力の供給と教育の伸びしろに
支えられた典型的なキャッチアップ過程に過ぎないと思われるし、その歩みは戦後
西ドイツや日本が果たしたものとはもちろん、韓国や台湾等が成し遂げたものと比較
しても速度はかなり遅いと思う。
それでもこれだけの経済成長が計上できるのは、ひとえに中国という国の巨大さから
来ていることで、僅かながらの漸進でも数値として出てくる成果だけはとんでもなく
でかいという一点に尽きる。

もちろん世界経済にとって中国という成長過程の巨大市場が存在することはまことに
ありがたい次第、アメリカ市場が後退しまくってる現在は確かに世界の生命線と言っても
いいくらいなのだけれども、「アメリカは腐敗してもうだめだー。中国は健全だから
大丈夫だー」みたいな妙な期待の仕方はあんまりしない方がいいと思うのだが。

(新古典派ってワルラスとかマーシャルじゃなくて、ここではシカゴ学派等のことね。)
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  posted at 2010/03/26 0:21:55
lastupdate at 2010/03/26 0:43:58
»category : 書評修正

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