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» 「対話で分かる痛快明解経済学史」「脱貧困の経済学」読了 date : 2009/09/25
松尾匡著「対話で分かる痛快明解経済学史」、
飯田泰之&雨宮処凛共著「脱貧困の経済学」読了。

またまた経済学の本を2冊ほど。

「対話で分かる痛快明解経済学史」、これは古典派から現在までの経済学の
トレンドを対話形式で総ざらえしたもの。
痛快明解、という割には結構難しい。特に新古典派からマーシャル、ケインズあたりは
かなり難解だと思う。これだったら、自分が以前読んだ「誰がケインズを殺したか」
あたりの方が、通史としてもよく理解できた。
また、戦後金本主義から管理通貨制に貨幣制度が変わっているはずだが、
そこのところは巧妙にぼかしてあるような気がした。

しかし、古典派の主張が非常によく分かったのは収穫。

いずれにせよ、経済学者というのは基本的に市場を信頼しており、自由競争の
市場こそが全体の幸福に繋がる、という強固な理念を持っている。
彼らは、自由市場こそが貧困を救う道なのだと主張し、それによって貧困層を
なんとか救おうと考え抜いた、人格的にも優れたヒューマニストだったりする。

マルクスでさえ、資本主義はやがて貧富の差を無くした理想の世界に行き着くだろう、
と言い切っていたというから驚き。ただ、資本主義ではそこに至るまでの犠牲が
大きすぎるから、人々が理性で話し合ってファインチューニングしていきましょうよ、
というのが経済学的な共産主義の主張の骨子だということらしい。

それをレーニンが捻じ曲げやがったと(笑)。

それは共産主義にとどまらず、現在の自由競争、市場主義が、弱肉強食の血も涙も
ない思想のように捉えられているのは、ひとえに通俗経済学が、正統な経済学を
曲解しまくって、我田引水も甚だしく悪用ばかりしてるからだそうだ。

基本的に個人間においても国際間においても、自分とこの余剰物資を、それを
欲しがってるところに売っぱらって、自分の欲しいものを買ってるわけだから、
実際両者とも得してるのだ。
それを、「得の裏には損がある」と考え出すと、非合理的で他人を出し抜いてやろう
というさもしい考えになってしまい、結局自分も損してしまう。

そういう非合理性を排したのが経済学者達だった、という事はよく分かった。



さてもう一冊の方の「脱貧困の経済学」。
これは現代日本を捉える上で必読の本ではないか、と思える。

現在の不況で経済のパイは縮小しているわけだから、どっかに貧困のしわ寄せは
必ず来る訳で、それは個人レベルの努力じゃ埋めようが無い、と。
ワープアのような問題を取り上げると、その人の意思や能力の欠如を責める
日本的な「世間様に顔向けできるような生き方をしろ」風のステレオタイプな
失業者観が世の中に蔓延っているが、そういう無定見な考え方がどれだけ社会の
改善にマイナスになっているかという事、また、最下層にいる人々を自殺に
追いやる原動力になっているか、と。

日本人は、「あいつは俺より馬鹿だから」とか、「あいつは俺より努力してないから」
「だからワープアなんだ、派遣村なんだ。」とかいった感覚で自分を安心させるもの
らしい(笑)。以って自戒したいところ。

そして、政治は何をなすべきか、そういう点も所得再配分と財政金融政策の観点から
簡素ながら的確に問題を捉えている。

現代日本の病理を改善する処方箋として、虚心坦懐に読むべき本だと感じた。
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  posted at 2009/09/25 2:33:04
lastupdate at 2009/09/25 2:34:03
»category : 書評修正

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