» 「キスカ 撤退の指揮官」読了 | date : 2009/09/18 | |
将口泰浩著「キスカ 撤退の指揮官」読了。 海軍兵学校卒業時の成績順で出世の全てが決まる旧日本海軍において、 成績118人中107位と落第スレスレの席次で卒業しながらも、数々の戦闘に於いて 武勲をたて、米軍勢力中のキスカ島に孤立する絶体絶命の日本兵5200人を 全員救出、中将まで上り詰めた叩き上げの名指揮官、木村昌福の伝記。 出世コースとは大きく外れながらも水雷艇(後の駆逐艦)における熟達した艦長として 一定の評価を得、援護、護衛、補給、救出などの地味な任務を黙々とこなした結果 補欠人事として便利屋扱いされた末の将官昇進だったが、失敗少なく功績大、 その名は国内よりむしろ海外で轟いているという名将。 以前より気になっていた人物ではあったが、本書で詳しい伝記を読むことが出来た。 八の字豊かに蓄えたカイゼル髯の外見どおり、性格は豪放磊落、柔道二段の豪傑。 酒と女に目が無くて、当時夫人同伴も珍しかった外出に芸妓を連れて歩くなど 破天荒。それでいて子煩悩で家族も大事にするという懐の深さを持つ。 軍人としては、敵にも味方にも死者を少なくして勝利を得ることを最善とし、 部下に対しては思いやりを持って接し、無駄な暴力やシゴキは一切否定するという 高潔な人格者でもあった。 補給艦を攻撃するときは、相手の救命ボートが避難するのを見届けてから艦船だけ を狙って沈没させるという攻撃を実行。 練習航海で伊豆諸島に近づいたときは、三宅島に近寄って汽笛を鳴らし、 何事か、と島民が漁船で慌てて近寄ると、三宅島出身者の兵士を船から降ろし、 演習先のハワイ土産を両親に贈らせたという人情味あるエピソードも。 無論、指揮官としても極めて優秀。その白眉が、敵国米軍をして”完全試合” (パーフェクトゲーム)と言わしめたキスカ島の全軍救出劇となる訳だが、 こういった稀有な指揮官が、日本海軍のような硬直した組織にもいたんだなあ、 と感心することしきり。 そういった人材を生かすことが出来なかったから、まあコテンパンにやられた訳だが。 |
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posted at 2009/09/18 22:06:18
lastupdate at 2009/09/19 3:16:01 »category : 書評 【修正】 |
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