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2003年12月30日

年の瀬に

ここのところ帰宅後は、NHKで「映像の世紀」を見るのが習慣となっている。たいては、ビーズアクセサリーを作るかたわらでの「ながら鑑賞」なのだけれど。特にどうしても見たい、というわけではないのに、何故か見ておかないと、という強迫観念に似たこの感覚は一体何なのだろう(笑) そんな気持ちで見始めているにもかかわらず、そのうちテーマ曲なんかを口ずさむようになってしまうのがおかしい(笑)

この番組、最初に放送されたのは8年ほど前になるの?
その頃、私はバイトして遊ぶしか能のないお馬鹿な女子大生だったか(今もたいして変わってはいない。働いて遊ぶしか能のないお馬鹿な会社員なわけで)、入社直後で仕事に慣れることに必死になっていたはずだ。自分を取り囲む半径何メートルかの世界にしか興味がなかった。いや、これは今も同じか。選挙に一度も行ったことがないというのに、自分の身に降りかかってくるであろう決定事項に対しては文句を言っている。正直、選挙に行かない自分に対してはあまり思うところはない。但し、それこそ自分を取り巻く物事に対して、知識があまりにもないことに対しては頭を抱えたくなる。それは例えば、年金とか保険とか税金とかそういったもの。(毎月、給与明細を見ると倒れそうになる:笑)

話を戻すけど、結局これは「争いの世紀」なわけだ。まあ考えてみれば幸せいっぱいのドキュメンタリーなんて見たことがない。そしてその争いの歴史は、特に20世紀に限ったことではないのでしょう。日本になくても世界では、いつもどこかで戦いがあって。だから、戦い方が大きく変わったということがこの世紀では特筆すべきことになるのかしら?
今度の世紀もきっと「争いの世紀」になるのだろうと。世界の平和とか人類の平和とかそんな大層なことを考えているわけでは決してなくて。今、自分が生きているやはり半径いくばかかの世界で、穏やかに楽しく生きていきたいというただそれだけの自己満足。けれど、たいていの人はそんなものではないのかなあ? それ以上向こうの、例えばブラウン管(今世紀でなら液晶になるのか)の向こうの世界は、考えさせられたり何らかの感じるものはあるけれども、最終的に私にとって非常に遠いものに思えてしまうから。もちろん、こちら側が同じ世界と化してしまう可能性がいつだってあるのだということを、判っているからこそ画面を直視したくてできない。そんな私がここにはいるのだけれど。

投稿者 kaori : 2003年12月30日 23:59

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