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2005年07月25日
「姑獲鳥の夏」
見ないだろうな、と思っていたのに結局足は映画館へと向いてしまった。半分後悔。言葉で、想像力で、不足なくカタチづくられていた物語の世界を、何故に映像でまでみたいと思ってしまうのか。十分満たされているはずなのに、さ。別に活字至上主義なわけでは決してないけれど、映像が活字をこえることができるなんて、本当に少ないと思う。いや、活字の世界というより脳内想像の世界をこえることが難しいというか。自分の中で完全に完成していた世界があるのに、他者がその理解によって作り上げた世界を映像として提示されて、自分の想像を補完することができるのかどうか。「あー、違うなー」って思っちゃうこと、多いんじゃないかな。だからね。見ないでおこうと思ったんだ。
大学時代に(卒論書いている時に嵌ってしまって大変な目にあった)このシリーズを読み始め、ひとつ残らずお買い上げ~って感じなので、最後のオチもしっかりわかっているし、その謎にいきつくまでの過程も知っている。だから、ただのミステリーとして謎解きなんかで楽しむことができない。結局、俳優さんの演技や映像が、いかに原作の雰囲気を壊していない「忠実な」再現なのかというのを確認する作業に終始してしまうことになる。もちろんあんな分厚い本をたった2時間程度に仕上げるわけだから、割愛される場面だってたくさんあるだろう。けれど、どれを拾ってどれを捨ててどうすれば雰囲気をそのままに、原作を知らない人にもわかりやすく見せることができるのか、というところで今回のはどうなんだろうなぁ、と。
配役については微妙。私の想像の中では、登場人物に顔がない。誰か特定の人物を、あてはめて考えてみたことすらない。唯一、京極堂を除いては。やー、やっぱ京極堂は作者である京極夏彦が(笑) だから誰がきても「イメージと違う」とはならないはずだったんだけど。しかし、木場修はちょっとなー。宮迫が木場修って。うーあー。意外だったのは、永瀬正敏。彼はやっぱすごいねえ。確かに彼は割とダメな男役多いんだけど、今回の役は相当毛色が違うと思った。だけど、普段からは想像できないダメっぷりをいかんなく発揮していて、手っとり早く言えば、オーラが見えない、という。どんなダメ男役でも、いい男光線が出ている人がいるけど、それだとあかん場合もあるよね。で、今回がそんな感じ。ホントにダメじゃないといけないんだけど、永瀬くんの関口はホントにダメそうだった(笑)
結局、物語を知っている人にとっても、知らない人にとっても中途半端な感じ。どうなんですかね? 読んだことがない人は一体どんな感想を持ったんだろう。相当気になります。続き……次回作は作られるんですかね? 個人的には「姑獲鳥の夏」はあまり好きではないので、見られるとしたら次回作以降を期待したいかも。一番好きなのは「絡新婦の理(じょろうぐものことわり)」なんで、そこまで何とか辿りついて欲しかったりする。さて、どうなるんですかね。
投稿者 kaori : 2005年07月25日 23:48
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