reload
«« 帰省中 | main | 録画でボウケンジャー「生きていた男」見る。 »»

«« カテゴリ内前記事(車雑誌の編集長) | 書評 | カテゴリ内次記事(「オーデュボンの祈り」読了) »»

 
» 「江戸300年「普通の武士」はこう生きた」読了 date : 2006/06/27
八幡和郎、臼井喜法著「江戸300年「普通の武士」はこう生きた」読了。

八幡和郎氏は、江戸時代の悪口ばっか書いてる割には、江戸時代の本ばっか
書いて儲けている不思議な人である。
中身には面白い記事が多いので時々本を購入してるのだが、
日本の躍進の源泉は明治維新にあり、江戸時代を美化すべきではない、という
(必要以上に強烈な)思想があり、感情的に見えるくらいそういう意見が
繁出するので、うっとおしい事がある。

今回も教育制度について、江戸時代の教育制度が優れていた、などというのは
嘘っぱち、江戸時代の旧弊を捨てて西洋風の近代的制度を取り入れたから
あれだけの躍進が出来たんだ、という意見である。

しかし、私見を言わせてもらえれば、
義務教育に関しては身分制のきついヨーロッパでは二次大戦後
ですら不完全。
日本の明治の教育制度は身分を問わない強力なもので、西洋にも類を
見なかった事を考えると、そういったものを生む土壌として、
すでに江戸時代になんらかのベースが用意されていたと考えなければ
理屈が合わないと思うのだが。

もちろん明治になって教育制度は圧倒的に進歩した訳だから、
江戸期の教育制が抜群に優れていた、などと言うつもりはないが、
貴族子弟とブルジョア階級のみにしか教育制度が長く普及しなかった
ヨーロッパを完全なお手本にしたところで、明治期の改革なんぞ
完遂できるわけがない。

そういった意味で、寺子屋とか町人に対する読み書きの教育というのは
決して馬鹿に出来るものではないし、江戸期の制度が西洋諸国に比べて
著しく貧しいものとも思えん。

どうも、著者のとりあえず江戸期を貶められればそれでいい、っつーような
感情的意見に思える。
Trackback URL -->
クリップボードへコピーする場合は こちらをクリック(Win+IEのみ)
  posted at 2006/06/27 1:40:38
lastupdate at 2006/06/27 1:46:33
»category : 書評修正

:: trackback ::


:: pplog ::