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Live at Blue Note Tokyo
Last Update:04/11(日) 01:37

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リーダーMichel Petrucciani
リーダー楽器ピアノ
形態トリオ
場所国内
レーベルDreyfus
録音年代90年代
メンバーSteve Gadd(ds) Anthony Jackson(b)
曲目@Training ASeptember 2nd BHome CLittle Peace in C for U DLove Letters ECantabile FColors GSo What
解説者なおき
写真・画像など1081614922.jpg


 ▼Comment
今まで何度もレビューで取り上げようと思い、その度に挫折してきたのが今回のテーマ“Michel Petrucciani live at Blue Note Tokyo”です。僕がこの演奏の内容を言葉で表現しようと思って何度も挫折している理由、それは僕の言葉が彼の音の一つ一つに対してあまりに無力だからでしょう。いくら言葉を捻ったとしても、多分この圧倒的な存在感のあるサウンドを僕の能力では言葉として表現し切れないだろうという諦念。今までレビューで取り上げてきた作品たちについても、僕が的確に表現できているなどというおこがましい事は思ってはいませんが、この作品に対して抱くその種の感情は別格といえるでしょう。しかしながら、やはりこの作品を自分の言葉で表現してみたいと言う欲求は常に持ち続けていました。不完全なものではあるかもしれないけれど、今回は敢えて、この偉大な作品について語ってみたいと思います。
聖書の中で用いられる言葉の中に「福音」というものがあります。「喜ばしい知らせ」という意味から転じて「イエスの起こした様々な奇跡を通して啓示された救いの教え」という意味合いを持つ言葉です。僕はPetruccianiの演奏を聴く度に、この言葉を思い浮かべます。重い病を抱え20歳まで生きられないと言われ、身体的にも多大なハンデキャップを背負った彼が36歳まで生き続け、他の誰にも作れないような素晴らしい作品を数多く残したことの意味と、それに付随して引き起こされた様々な奇跡のような出来事。この盤に刻まれた演奏を聴くだけで、それらを十分に感じ取ることができるでしょう。彼の演奏は、晩年に近づけば近づくほど、祝祭的なまでに明るく、力強く、希望とエネルギーに満ちたものとなっていきます。与えられた限られた時間の中で、最後に彼が見出したものが何だったのか。彼の口からそれについて語られることはありませんでしたが、彼の音楽は言葉という範疇を越え、十分過ぎるほど饒舌にそれらを物語っています。晩年のPetruccianiのサウンドの中にあるものは、「福音」という文字通りの「素晴らしい音」であり「喜ばしい知らせ」であり「救いの教え」そのものであるといえるでしょう。
音楽を聴いて、理由も無く無条件に涙を流せる、素晴らしい一枚。“Listening is Believing”とにかくこんな薀蓄を読むだけで納得せず、自分の耳で聴いて感じて、その奇跡を確認して頂きたい作品です。

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Miniりすと v4.01