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2003年07月29日

蓮見圭一「水曜の朝、午前三時」

汐留で購入した本、第二弾。
「水曜の朝、午前三時」[amazon]というタイトルに随分前から惹かれていた。このタイトルが物語の中でどこまでの意味を持つのか、興味のあったところなのだけれど。読み終わった今では、かなり微妙だ。

肝心な部分の心の動きに関する記述が少なすぎる。いや、そういう現状に直面したら、多くの言葉では語れないものか。確かにそうかもしれない。けれど。
そして、主人公が犯した過ちは、もしかするとものすごくありふれたものではないの? それ以外の過ちと同じように。

誰だって、「あの時、もしも」と思う瞬間が幾つもあり、「もしもなんてありえない」という言葉を自分自身に言い聞かせて生きていく。「もしも、もしも、もしも……」 ほんの一瞬のことであっても、1日だってそれがよぎらない日は、多分ない。少なくとも、私は。

例えば恋愛であれば。この年齢になればさ、その時に付き合っている誰かがいたとしても、「忘れられない誰か」がいることはたいしておかしくはない。それは、永遠の片思いの相手や、逝ってしまった人、あるいは自分から別れた人、きっとそれぞれ。自分が死に直面した時、何を(誰を)思うのだろうということは、ふと考えるけれど。きっと、後悔はする。どんなに幸せに暮らしていたとしても。

けれど、それを何かの形で残そうとは思わないな。特に主人公のような状況に身を置いているのならば。だから羨ましいとは思うけど、とても私にはできない。色んな意味で、ね。

うーん、感傷的だ(笑) 夜はいけない。余計なことまで思い出すし。

投稿者 kaori : 2003年07月29日 23:59

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コメント

なるほどこういうシステムになってるのか。

蓮見圭一は、この「水曜の朝~」を出たときに買ったものの、本の山に埋もれていまだ発掘できず、けっきょく第二作の「ラジオ・エチオピア」を先に読んでしまった。
蓮實の分身とおぼしき作家が、ファンだという東大卒でセレブな女に言い寄られて不倫に走り、で、ぐちゃぐちゃになる……のだが、何がぐちゃぐちゃしているのかよくわからないまま終わってしまうという。サイコな感じもあるのだけれど、感じだけで実を結ばない。一言でいうと……、

なんじゃこりゃああああ!

欲しかったらやるぞ。着払いで送ったげよう。いまなら漏れなくわたくしが読み終わって処分待ちになっている小説の単行本&文庫本が百冊ほどつきますので、お見逃しなく。

いやでも、香ちゃんはいい読者だね。うん。

投稿者 くりはら : 2003年07月30日 05:16

うーわー、栗原さんだー。
そうか、そういう可能性があるのか。しくじった(笑) そりゃそよね。
今朝ふと思ってさ、ちょっと修正しようと思ったら、すでにコメントがついていた。一番、怖い人から(汗)

でも、栗原さんの「なんじゃこりゃああああ!」ってのも判る。結局、何が言いたかったのかって感じはあるし。

>>いやでも、香ちゃんはいい読者だね。うん。

はいはい、私は素直な(=バカ)人間ですもん。
可愛がってくださいね(笑)
でも、本はいりませんから。
ウチは、廃品回収屋じゃなーい(笑)

ああでも、栗原さんね。もう少し慎重に書き飛ばそう……。
冷や汗かいたよ、久しぶりに。

投稿者 kaori : 2003年07月30日 09:56

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