TVゲーム機前史(電子ゲーム機) 1975年〜1983年
 

 家庭用TVゲーム機が登場したのは、ちょうど1975年、エポックから発売された「テレビテニス」が嚆矢であったという事だが、実際にそれらのゲーム機はおもちゃとしては高嶺の花の上、遊べるゲーム内容も単純なもので、一般に普及するには至らなかった。

 しかし、テニス、ブロック崩し、インベーダーといったアーケードゲームの爆発的進化に対して、それらを是非家庭用で遊びたいという子供達の熱心な欲望があったことは間違いない事実である。

 黎明期のゲームメーカー各社ともこのマーケットを見過ごすはずはなく、発光ダイオードや液晶、FL管、果ては古典的なぜんまいまで使用し、比較的安価にゲーセンの雰囲気を家庭に持ち込めるよう、工夫をしていった。いわゆる電子ゲーム機の登場である。

 最終的には、任天堂のゲームウォッチが大成功を収め他を圧倒するのであるが、この時代の電子ゲーム機はそれこそ百花繚乱、各社がアイデアを競う一大実験場でもあった。
 このころ、アメリカでは既にアタリ社のTVゲーム機が家庭に普及していたというのであるから、70年代以降は勢い衰えたとはいえ、アメリカがまだまだ日本を凌ぐ先進国家であった事がよく分かる。

 やがて日本でも安価かつ非常に完成度の高い家庭用TVゲーム機「カセットビジョン」が登場し、それを追いかけて発売された「RX−78」「インテレビジョン」「ぴゅう太」「SEGA SG−1000」などが次々と市場を確立。やがて最大のヒット「ファミリーコンピュータ」で家庭用TVゲーム機は完全に市民権を得ることとなる。

 そういった本格的TVゲーム機の登場によって、ゲームウォッチをはじめとする電子ゲーム機は絶滅の危機を迎えるが、命脈は生きながらえ、数年周期で「バーコードバトラー」「たまごっち」などのブームを巻き起こし、現在ではニンテンドーDSやPSPに至る源流の一つとなっている。

 が、しかし、これら電子ゲーム機が輝いていたのは、「ゲーセンのTVゲームを家でやりたい!!」という渇望を埋めるために、さっそうと現れ、その後独自の進化を爆発的に遂げていった1975〜1983の数年間であるように思う。

 このページでは、自分が当時買ったにも関わらず親に捨てられ(´;ω;`) その後ヤフオクで買いなおした(笑)電子ゲーム機の数々を紹介していきたい。

 さすがに、この手の電子ゲームの熱心なファンはネット上にも数多く存在し、そのコレクションの質、量とも自分を遥かに圧倒、凌駕しているものがあるので、ここではその電子ゲームが全体的な市場でどのような位置づけにあったかを推測し、また自分がなぜそれを購入したか、当時の心境を推測していこうと思う。
 

最初に買ってもらった電子ゲーム機 「バンダイ LSIポータブルゲーム サブマリン」(07.6.1)
 

ゲーム史上に残る傑作 「任天堂 ゲーム&ウォッチ マンホール」(07.6.1)
 

日本物産公認の移植、「バンダイ FL クレイジークライミング」(07.6.4)
 

カラー液晶の威力 「任天堂 ゲーム&ウォッチ パノラマスクリーン ポパイ」(07.6.5)
 

この時期にしてバーチャルボーイを上回る完成度 「トミー 3D立体グラフィックゲーム スペースレーザーウォー」(07.6.6)
 

電子ゲーム機技術の最高峰 「トミー 3D立体グラフィックゲーム シャーマンアタック」(07.6.9)
「TANDY販売 SKY DUEL」画像も追加。(トミー 「ドッグファイト」の海外OEM版)(13.11.16)
 

電子ゲーム機を模した超絶技術ぜんまいゲーム 「トミー テクノボーイシリーズ」(07.7.17)(17.7.28、「吸血城」情報追加)
 

倒産玩具メーカ悲運の名機 「モリタニ マイコンベースボール盗塁王」(12.4.19)
 

非電源系の雄、ポケットメイトにも電子ゲームの影響が? 「トミー スタントサイクル」(12.4.26)
 

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