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2003年09月10日

コンプレックス

絵画や映画の鑑賞や、あるいは音楽を聴いたり、本を読んだりする際の傾向として、私の場合、構造(絵画なら構図とか)やテーマ、そういった類の分析や読解が非常に苦手である。そしてそのことに対して、かなりのコンプレックスを抱えている。論理的に考える思考能力がない、というよりは、知識や言葉そのものを持たないということに対してより多く。
だから、言葉にして示してもらえる相手は尊敬するし、とても羨ましい。

(ええと、どちらかと言うと私は感覚的なのだと思う。だから普通に感じれば、「あれ、何となく良かったよねー。うまく言葉にできないけど」となってしまう)

例えば、「テーマが全てだったら、長々と物語を書く必要はなくて、全て1行で終わっちゃうでしょ」と言う人もいるかもしれない。けれど、それは極論だと思う。文章がいらないはずがないし。特に私なんかはストーリーや内容をとても重視するし。文章の味わい、というのは難しくて良く判らないけれど。

あとは、そうだなー。やっぱり物語が突拍子もなくて、あまりに現実離れしているとしらけてしまう。SFが苦手なのは、そういうところからきているのかも。だから、舞城王太郎は何がいいのか良く判らない。いや、普通に面白かったのは確かだけれど(読まされた、って感じかな)。

映画にしても同じで。先日観た「Catch me if you can」で、ディカプリオが、なりすまそうとした職業についての知識を得る大部分の手段が、「ビデオ」を見るというもの。「スピルバーグが、自分自身のこれまでを投影しているんじゃないか。だから、そこに何か迫るものがある」という意見もわからないではないけれど……。でも。

ええと、ちょっと脱線かしら。

つまるところ、「あれ、いいよねー」「うんうん、いいよねー」で完結する会話はできるならしたくないという。そういうことなのだと。何がどういいのか。できるならば、それを言葉に出来るようになりたい。ささやかで大きな願望がそこにはある。多分、そういうことなのかな。

投稿者 kaori : 2003年09月10日 23:24

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