「太平記」とは何か?

  そもそも「太平記」とは、後醍醐天皇が倒幕運動を開始した正中の変(1324)から、足利義満の将軍職就任(1367)まで、約40年間の戦乱を書いた、「平家物語」と並ぶ日本の代表的な軍記物である。
   「平家物語」が仏教の無常観を中心に戦いの中にも風雅に富んだ世界を描いているのに対し、「太平記」は因果応報の思想を基に秩序と理念なき戦いの顛末を殺伐とした筆致で、時には残酷なまでに描いている。

  明治以降特有の天皇家専制思考では、(現天皇家が北朝の裔であるにも関わらず)南朝方に忠節を尽くす楠木、新田の美化がはかられ、足利氏は逆臣に貶められるなど、「太平記」は政治的思惑にも利用されたりした。
  「太平記」自体は、後醍醐天皇をはじめ、北条高時や足利新田、楠木に至るまで賞賛と批判を両方載せており、一般的に思われているように南朝擁護一色の単純な書という訳ではない。

   また、「平家物語」と決定的に違う所は、この書物が現実の出来事と併走してリアルタイムに書かれた軍記であるという事で、登場人物である足利直義が「太平記」を見て誤伝が多いと憤慨していたり、同時代を生きた武将である今川了俊なども「難太平記」という書物を著して批判を加えたり、といった面白い現象が起きている。

   「太平記」は、本来万世一系を建て前とする天皇家が二分して争った南北朝時代の争乱を扱っているため、これを研究する事は即ち、今に続く天皇制の問題を避けて通ることが出来ない。平成の世を以てしてなお、危険な書物と言うことができる。

   足利直義が憤慨した通り、物語として脚色されている部分も多く、歴史の研究書としては信用できない記事が多いが、この時代の通史としては最も普遍的書物であり、一級史料として扱わざるを得ないというのが実状だろう。

 作者は一般的に小島法師と言われているが、詳細は不明。章によって筆者の思想的スタンスや主題の取り方が微妙に違うので、単一の作者の手に拠るものとは考えにくい。おそらく小島法師を含むこの時代の語り部達が連作して原型を作り上げた物と思われる。
 
 
 

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