» 三国志大戦で気になる事いくつか | date : 2007/04/13 | |
三国志大戦、今日は対人戦、CPU戦あわせて12回やりこんだのだが、 持っていないカード一枚も排出されず、ダブりだろうがなんだろうがレア以上の レート一枚も出ず、という最悪の引き。とほほ。 それはさておき、三国志大戦で使われている用語について、いくつかの疑問。 まず、計略名「魏武の強」などに使われている魏武って、何を意味しているのか。 魏武とは、普通に考えれば、曹操個人のことを指している。 魏武とは「魏の武帝(武王)」という意味なので、武帝とおくり名された曹操個人を 指しているのというのが普通。 例をあげると、今に伝わっている「孫氏の兵法」の原型は、曹操が編集したもの なので、「魏武注孫氏」と言われるわけ。 しかし、三国志大戦の中での使い方は、それほど曹操個人を意識したものでは なくて、「魏の武将の強化」という意味で「魏武の強」って使われているような ニュアンスがある。 あとは、呉軍の計略名である「孫呉の武」に使われている「孫呉」。 これ、大戦中の武将自身もよく「孫呉の天下のために俺は戦う!」とか 言ってるけど、孫堅一族の建国した呉を、「孫呉」と呼ぶ事って、 あんまりないような気が。 「曹魏」という言葉はある。これは春秋戦国から五代十国にかけて、「魏」という 名前の国家はいくつか建国されているので、後世の人間が区別のために、 「曹氏の建国した魏」という意味で使用しているケースはある。 呉も同じように何度か建国されているので、同じように「孫呉」もあっていい とは思うのだが、普通、「孫呉」って言うと、中国の代表的な兵法書である 「孫氏」と「呉氏」の二冊を併せて呼ぶことの方がメジャーだと思うのだが。 「孫呉の書を紐解いて、兵法を学ぶ」と言ったら、三国志の呉書を開いて 兵法を勉強するわけじゃなくて、当然、「孫氏」「呉氏」から兵法を学ぶ、という事。 ましてや呉を建国した当人達が、自分達の国を限定的に「孫呉」と呼ぶことなど ありえないので、一般的名称のように、「孫呉」と使用するのは いかがなものか、と思うわけだ。 ちなみに蜀も、正式国名は蜀ではなくて、「漢」になる。 劉備は漢王朝の復興を謳っているので、同じ劉氏として漢の伝統を継いだ、 といえば当然国号は「漢」になる。 ただ、全国政権だった前漢、後漢に比して、地方政権に過ぎない劉備の国を 「漢」と呼ぶのは紛らわしいので、区別のために「蜀に建国された漢」で、 「蜀漢」と言う。また、最末期の漢、という意味で、「季漢」と呼ばれることもある。 「季」とは、末と同じ意味。ちなみにあざなに「季」が付いていると、末っ子で ある事が多い。 同じように、「孟」とか、「伯」が付いていると長男、「叔」とか「仲」とかがあざなに 付いていると次男。 曹「孟」徳、孫「伯」符は長男、孫「仲」謀は次男である。董卓も次男なので 「仲」えいというあざなが付いている。 |
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posted at 2007/04/13 1:28:46
lastupdate at 2007/04/13 1:28:46 »category : TVゲーム関連 【修正】 |
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