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» ナンシー関 date : 2007/04/11
故人の話になってしまうのだが、ナンシー関というコラムニストがいた。
本業は消しゴム版画家という訳の分からない職業であったが、
TV的に「あり」とされているものと、世間一般の感覚とのズレを指摘し、
舌鋒鋭い毒舌を繰るTV番組の評論家としてそれなりに名を馳せていた。

自分はこの人の評論が好きで、一時期新刊がでるときっちり購入してたり
したのだが、ネット社会に突入するに及んで、どうもこの人の価値観が
怪しくなり、購入をやめてしまった。

この人の名言で、
「いまさら「花形満って中学生のくせにスポーツカー乗ってるんですよね」
みたいな使い古されたコメントで番組が成立すると思っているのか」
というものがあるのだが、
この人の評論も、「いまさらこの人を叩いてコラムが成立すると思っている
のか」状態になりつつあったから、多分面白くなくなってきたのだと思う。

それは、ネット社会になって、個人のサイトや某巨大掲示板などで、
ナンシー関よりも舌鋒鋭く、的確にTVの欺瞞や価値観のおかしさを指摘する
人間が増えてきたので、彼女のコラムの特異性が薄れてしまったことに
一因があると思われる。

たとえば、彼女がプラスの評価をしたシャ乱Q、竹中直人、古館伊知郎なども、
ネット上において功罪両方とも、より深く掘り下げられて考察されている。
そこでは、ナンシー関が指摘した以上の鋭さで、「何が駄目か」を
きっちり指摘したものもあり、以前に存在したナンシー関のコラムの特異性
を失わせるに十分なものがあったからだ。

晩年は彼女自身、ネット上にコラムを展開して活動の場を広げてはいたが、
そうなるとますます他のネット住人との差異がなくなっていく訳で、
ナンシー関にとって辛い時代になっていくのではないか、と予感させるもの
はあった。ただし、そういう時代になる前にナンシー関は若くして鬼籍に
入ってしまったのだが。

ただ、自分がTVを見ていて一回だけ「ナンシー関が生きていたら!」と
歯軋りしたことがある。

いかりや長介さんの葬儀で、参列した木村拓哉が、いかりやさんの娘さんを
いきなりぎゅーっと抱きしめたシーンがあったのだ。
娘さんといっても、それなりの年を重ねた分別盛りの女性である。
(おそらく木村拓哉よりも年上。)
それを、いきなり、むぎゅーっ、である。
おおっ、自分自身がナンシー関風の書き方になってるなw

このときばかりは、ネット住人たちもいかりや長介という日本を代表する
コメディアンの死という巨大な喪失感に打ちのめされ、個々の事例まで十分に
批判しきれなかった所があった。もちろん批判はあったけど、いかりやさんが
亡くなったという事実の方が重く、小さい声はあっさり流れてしまっていたのだ。
実際自分も亡くなった事自体は非常に残念だったし、それはそれで仕方のない事
なのだが。

しかし、それだけに、
「ナンシー関が生きていたら、このままでは捨て置かないものを!」
と思い知らされた一幕でもあった。
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  posted at 2007/04/11 23:55:03
lastupdate at 2007/04/11 23:55:49
»category : 日記修正

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