後醍醐天皇略伝(前編)  天皇即位〜討幕運動の展開まで

  鎌倉幕府を倒した張本人であり、日本史上でも皇室史上でも重要な位置づけがなされる後醍醐天皇について、その略伝を記します。(下部肖像  清浄光寺蔵、「後醍醐天皇像」)

後醍醐天皇  正応1年(1288)〜暦応2年/延元4年(1339)

1.中継ぎの天皇として即位

  大覚寺統、後宇多天皇の第2皇子。諱は尊治(たかはる)。父の後宇多上皇は長子後二条天皇の子で孫にあたる邦良親王の即位を望む。邦良親王が幼少の為にその中継ぎ的存在として、尊治親王は持妙院統の花園天皇の跡を受け延慶1年(1318)に即位した。この時、天皇は31歳。

2.天皇の独裁を目指し、朝廷の改革を断行

  後醍醐帝は、朱子学などの思想を取り入れ天皇親政による独裁政権を目指し、数々の朝政改革に着手した。貴族の序列にとらわれない能力主義による人材登用を実施、吉田定房、万里小路宣房、北畠親房、日野俊基、資基らを要職に就け、朝政の刷新を図った。この人事は家格門閥を重視する貴族より大きな反発を受けたが、本来は対立者たる持妙院統の花園上皇からの支持も受け、後醍醐帝の新政はまずまずの滑り出しを見せた。
  また、それまで国家の建て前であった農作物からの年貢よりも、商業、流通業者からの上納金を重視する革命的な政策の転換を行ない、凋落傾向にあった朝廷の建て直しに尽力した。

3.正中の変

  こうした朝政の実績を上げていくにつれ、天皇独裁による日本の全国支配を目指す後醍醐帝にとって、東国を中心に大きな勢力を誇り、天皇の即位にすら大きな発言権を持つ幕府との対立は不可避のものとなっていった。
  帝は無礼講と呼ばれる大宴会を連日開き、宴会にかこつけて日野俊基、資基、武士の土岐頼貞、多治見国長らと語い、討幕の計画を練った。正中1年(1324)、無礼講に参加していた武士の一人、土岐頼員の寝返りによって討幕計画が発覚、計画の中心メンバーであった日野俊基、資基は捕縛、土岐頼貞、多治見国長は斬罪に処せられる。これを「正中の変」という。   当然鎌倉幕府の捜査の手は真の首謀者たる後醍醐帝にも伸びてはきたが、帝は弁明のために鎌倉に万里小路宣房を勅使として遣わし、幕府の慰撫に努めた。天皇が武家に告文を出すのは前代未聞の出来事である。朝廷と同じく弱体化の方向にあった幕府は、ここで帝と全面対決の姿勢を打ち出す事は得策ではないと判断、帝の弁明を受け入れて、日野資基を佐渡に配流するのみの穏便な処置にとどめた。

4.元弘の変

  しかし帝はこの失敗に屈しなかった。息子の護良親王を比叡山延暦寺の座主に据え、東大寺、興福寺との連携を強めたりと、僧兵達を戦力として動員出来るように画策した。更に律僧文観を交渉者として、河内の土豪楠木正成、幕府要人の伊賀兼光らの味方引き入れに成功する。また、米価、酒価の公定、関所の廃止を行って商工業者の支持を得、日野俊基を各地に派遣して悪党海賊、反北条派の武士の調略を行った。
  こうして討幕に向けて周到な計画が練られたが、元弘1年(1331)、未だ幕府の実力を恐れる帝の側近、吉田定房によって幕府に密告され、計画は再び瓦解した。吉田定房は、事が後戻り出来ないほど深入りする前に計画を発覚させて、正中の変の時のような穏便な処置を幕府に期待したらしい。しかし幕府は今回はこれを許さず、日野俊基らを捕縛、鎌倉へ移送、次に帝の処置を検討し始めた。
  追いつめられた後醍醐帝は笠置にて挙兵、楠木正成も河内赤坂城にてこれに呼応した。しかし頼みの延暦寺が幕府側についてしまい護良親王らは比叡山を脱出する羽目に、楠木の赤坂城も幕府軍の攻勢の前に落城し、笠置の帝も捕らえられてしまう。これを「元弘の変」と呼ぶ。

5.隠岐への配流から伯耆船上山での再起

  幕府は、後醍醐帝を退位させ、承久の乱の故事に倣って隠岐へ配流し、持妙院統の量仁親王を立てて光厳天皇となした。後醍醐帝の各皇子も配流され、日野俊基、資基は斬罪に処せられた。承久の乱の首謀者後鳥羽上皇は、隠岐へ配流された後はすっかり意気消沈し世捨て人として失意の余生を送ったが、後醍醐帝は不屈の闘志を持ち配流程度では全く挫けなかった。また、幕府の強硬な処置が反幕府の気運を一気に高め、畿内周辺にて幕府方六波羅探題に対する反乱が頻発した。幕府の追討を逃れた護良親王は吉野山で挙兵、各地の悪党、海賊、反北条派の武士に討幕の綸旨を飛ばす。楠木正成も千早城を建てて反幕府軍の拠点となして抵抗運動を続け、播磨では佐用荘地頭職赤松則村が護良親王の綸旨に呼応して京に攻め入る大戦果をあげた。こうした状況の中、後醍醐帝は隠岐の脱出に成功し、伯耆の豪商名和長年に迎えられて船上山に拠り、討幕の綸旨を各地に発し、鎌倉幕府と対決する姿勢を見せてゆく。
 
 

討幕の成功と建武の新政以降は次回の講釈にて。

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