4.ルターの聖餐論と強調点
歴史的に見ると、洗礼に比べ聖餐は、はるかに多くの問題を教会に投げかけてきた。東方教会でも西方の教会でもそうであったし、あらゆる角度からなされた[1]。16世紀のローマカトリックの状況はこうである。そしてこれは、現在にいたるまで概ね代わることはないのだけれども、「キリストの体そのものが司祭の手によって真に保持され、裂かれ、そして信者の歯によって噛み砕かれる」というランフランクス(1089)の、「物素において、力によって現臨する」という、いわば「象徴的解釈」に対する勝利に由来し、トゥールのヒルデベルトゥスによって「化体説」と名づけられた(1133)。そして、1215年、第四回ラテラン公会議において採用され、信仰箇条となった。改革者たちはみな、この中世の犠牲的化体説を、それぞれの立場で排除することにおいては同じであった。
・ローマカトリック教会に対する疑問
・ツイングリーらに対する批判
・カルヴァンとの関係
・ルターの主張
の順に考察を進めることにする、圧倒的な「キリスト教社会」におけることである、ということを前提にしなければならない[2]。まず、ローマカトリックの聖餐理解に対する批判であるが、当初、聖書における設定辞どおりに、主のテスタメントとして、最も強調されたものであり、罪のゆるしと永遠の生命に関する、「契約」として理解していた。たの、本質的ではない、人によって作られたさまざまな、美しい歌や、装飾、オルガンや祭服とは何の関係もない。本質的な、固執すべき印として、弟子たちによって継承されていったものとして理解していた。ルターは忠実にこのミサを守っていたが、ローマ教会への、問いから抗議へと改革が成熟してゆく中で、明確に、ローマカトリックの礼典主義への抗議へと変わっていった。[3]
ローマカトリックの理解は、ミサの犠牲をささげることによって、主の晩餐を執行するたびに、司祭がキリストの体に変わったパンと、その血になったぶどう酒によって、もう一度そして、そのたびにキリストを犠牲の子羊として神にささげることを意味していた。要するに、神のみが成しえることを、代わって執り行おうとしたのである。[4]
次に攻撃は、熱狂主義者と、その聖霊主義に向けられることになった。問題は、晩餐におけるキリストの現在になった。現在しないのだから、それはあくまでも象徴であり、「である」と聖書にあるとき、それは、「のようなものである」とか、「の意味である」というふうに理解した[5]。
ルターの問題意識は、熱狂主義者に対しても、ローマカトリックに対しても、聖餐の従ってキリストと信仰者との関わりを、そのどちらの手からも、取り戻し、キリストに帰することに向けられている。ラテン語から、ドイツ語やその他の、人々にわかる言葉での説教を、強調したことにもこのことは見られる。
カルヴァンについてはこうである。「象徴」であることは認め、一方では、キリストの効力によって[6]、現臨することを認めた[7]、「中間的立場」と考えられている。霊的臨在説などと呼ばれることもあるが、明確な内容がない限り、「このように理解した」と内容をデータとして記すべきであって、ルターのパンとぶどう酒の理解を、共在説[8]とか現在説と言うこと自体には、誤解が付きまとう。カルヴァンの場合、その生い立ちの、ルターとは異なること、直接の接触がまずはなかったことなども、考慮しなければならない。ルターが賞賛したように、「聖餐は、実体と結びついた表徴であって、むなしいただの象徴ではない・・・」[9]とも述べている。ルターに関して、より多くわれわれが意識するのは、現代諸教会に伝えられている福音的遺産と言うことであろう。特に、聖餐論もそうであるが、罪と救いに関する予知・予定の問題(『綱要』の三巻二十一章)が、多くの理解と「運用形態」に結びついていったことに、注目すべき面でもあろう。
そしてルターの現実的な力点はここにあった。これは「十字架の神学」と切り離して、理解しないほうがよい。なぜなら、「栄光の神学」に対して、人間的な理解では、それに逆らうような中に、神の恵みを見たからである。キリストのことばにもとづいたパンとぶどう酒による二種陪餐の回復がもとめられ、また功績を積むために個人的に献げるミサは否定されて、会衆の礼拝における聖餐が、みことばの説教と共に守られることが強調されたのである。ルターが、何か新しいものを教会にもたらしたか、と言うことについては、「正しく執行されること」というべきであって、今の教会にも問われているのである。「今目の前で行われていることを正しく理解し、キリストをよろこぶことの大切さ」であろう。
ルターの理解は、ミサに対して項であった。パンと、ぶどう酒が犠牲であるという理解を完全に排除した。ささげられるのは、「感謝と賛美をするわれわれ」である。私たちの天の大祭司であるキリストにより、ささげられるのである。と言うのがその三つで、ミサの祭司かみ言葉の宣教者かと言うことにもつながることである。
「今われわれの教会が何を見、どのように理解しているのか」を問題にすることの大切さを教えてくれてもいるようである。あるがままのものを、聞こえるものを無批判に、見えるものを無批判に受け入れえしまうことの危険性について、再確認すべきであろう(バルト、『掲示・教会・神学』、著作集U)
(ツイングリーら)反対者たちは、「パンとぶどう酒がどうしてキリストのからだと血であるのか、またほ、そうなるのか」と問いただした。イエスが「これは、わたしのからだである」とおっしゃった時、当然それは「これは、わたしのからだの象徴である」という意味である。「である」は「の象徴である」という意味である。イエスは、「わたしはまことのぶどうの木である」とか「わたしは羊の門である」とおっしゃやっている。イエスはぶどうの木そのものであり、門そのものであるだろうかとツヴイングリは言っている。
これに対してルターは、私は聖書のことばどおり信じていると答えている。「キリストの晩餐についての告白」(一五二八年)の中で、ルタTは、ツヴイングリの反論を取り上げている。どの国のことばでも「である」は「である」であってそれ以外ではない。もし「である」が「を象徴する」という意味をもつ国語を一つでも示したなら、私は敗北を宣言しよう。「である」はどこまでも「である」である。ルタIはさらに続けて言う。「わたしはまことのぶどうの木である」と言う場合、実際には、象徴的な用語がある。これらの単語のうち一つのことばは「新しいことば」である。すなわち「新しいことば」とは「ぶどうの木」であり、「門」である。たとえば「キリストはばらである」と言ったとしよう。その時、「ばら」が新しい意味をもつようになったのである。しかし「である」は決して「である」以外のものになることはない。キリストほ神の小羊である。その場合、キリストは神の小羊の象敏であるというだけでほ十分ではない。キリストは神の小羊なのである。
(ルターとツイングリーに関して)
カルヴァンは中間の立場を取った。彼は主の晩餐におけるキリストの身体的場所的そして実体的現臨を全く否定することではツヴイングリと一致した。しかし彼はこのスイスの改革者の見解に対して、特に二つの点で反対した。それはすなわち、ツヴイングリが、(1)このサクラメントにおいて神の恵み深い賜物よりも、むしろ信者の能動性を強調し、またしたがって主の晩餐を一面的に信仰の表明の行為と考えているということ、そして、(2)キリストの体を食することの中に彼の名を信じる信仰と彼の死に全く信頼することとの表明以外の何ごとも、またそれ以上の何ごとも見ないということである。カルヴアンは一方では主の晩餐におけるキリストの身体的場所的現臨を否定しながら、キリストがその全人格において現実的かつ必然的に(really and essentially)現臨し、またそのようなものとして信仰者たちによって受けられるという点では、ルターと一致した。彼の見解についてシェルドンは簡潔に、また正しく次のように言っている。「彼の説を簡単に言えば次のとおりである。キリストの栄化された人性が霊的徳能または効力の源泉である。この効力は聖霊によって信仰をもって聖餐の物素を受ける者に伝達される。したがってキリストの体は効力の故に聖餐の中に現臨する。キリストの体を食することは全く霊的であり、信仰という手段を用いてなされ、信仰を持っていない者はそれにあずからない。また〔信仰を持っていない者がキリストの体を〕口で噛み砕くことは問題にならない」(『キリスト教教理史』第二巻,p.207)。この見解は改革派のさまざまな信仰告白の中に取り入れられ、改革派神学の共通の財産となった。英国教会の三九箇条はこの問題についてはあまり明確ではない。
*このベルコフの記述には、訳者による解説があり、「キリストの場所的限定的現臨を否定したが、身体的および実体的現臨は認め、この点でツイングリーを批判した。従って、身体的実体的現臨を否定したとするベルコフの理解は間違っている(赤木善光)」とある。