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2003年07月15日

最相葉月「あのころの未来 星新一の預言」

仕事が終わり駅前にあるホテルにチェックインを済ませた後、近所のパスタ屋へ夕食をとりにでかける。しばらく前に手に入れて以来、出張時には持ち歩いているにもかかわらず、まだページを繰っていなかった本(「あのころの未来 星新一の預言」[Amazon])を取り出す。1ページ1ページゆっくり読み進む。

が、しばらくしてどうにも気持ち悪くなった。読み進められなくて本を閉じる。どうも、私は最相葉月の著書とは相性が悪いらしい。「絶対音感」[Amazon]は何とか読み通したが、実は最後のほうは苦痛だった。

星新一の作品はとても好きだった。勿論、今も好きだ。私はあまり難しいことを考えられないので、素直にあのブラックさが面白かった。(私自身は皮肉家になれないけれど、そういうものへの憧れは強かった。これも過去形ではなく、現在形だと思う)

けれど、星新一が描いていた世界は、私にとって実現されることのない未来であるはずだった。確かに未来は星世界の舞台に近づいているかもしれないけれど、警鐘を鳴らしていたのかもしれないけれど、でもやはり登場人物が抱く欲望や皮肉な結末は私には考えられないものだったのだ。勿論、時おり心に重いものも感じた。それでも……。

この本の中では、星の描いた世界が現実となったのだ(なりつつあるのだ)ということが、これでもかという位に書かれている。彼女の描く現在は、確かに今そこにある真実だと思うし、考えるべき問題も多々含まれているのだろう。けれど、煽られているような感覚が拭いきれない。
彼女の作品はどこか中途半端に自身の思い入れが含まれている気がする。おそらく社会派で括られているのであろうけれど、それが故に余計に微妙な居心地の悪さというかすわりの悪さというものを感じてしまう。

私は色々なものから目を逸らそうとしているのかもしれない。きっと、自分の半径500mの世界に目を向けて暮らしているだけなのだろう。もっと端的に言えば、私は社会派が苦手だ。気持ちが悪くなったのは、彼女の書くものが肌に合わないからなのか、それとも。

私は今度も最後まで読み切ることができるだろうか。

投稿者 kaori : 2003年07月15日 23:32

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