XXは食卓にある

 不動がテーブルに煮物の小鉢を置いた。コトリと小さな音を立ててた器は黒い色の和食の小鉢だ。
「で?佐久間、お前、その女と付き合ったわけ?それで?」
 不動の部屋の食卓にいる佐久間。彼は目の前の小鉢の中を見た。それは煮物で、綺麗に透き通った冬瓜、そして同じような大きさの朱色の海老、差し色の緑の三つ葉がその横に添えられていた。白・赤、緑。和食の基本。黒の小鉢の中は鮮やかだ。
「不動、これ何だっけ?ウリの何か?」
「冬瓜(とうがん)・・・あ、冷めないうちに食えよ」
 佐久間は箸先で、ふわっと小さく湯気のたつ冬瓜を2つに割った。柔らかく綺麗に割れていく。
「で、佐久間、女、どうだったんだよ」
「どうもない」
「どうもないってなんだよ。だいたいお前。女から、”アタシのこと、好きじゃなくていいから付き合って”って、お前、それで付き合おうと思たわけ?」
 不動はキッチンで料理したまま、背をむけて話を続け始めた。
 昼前のTVは消されずに、食卓に流しっぱなしになっている。
「しつこかったから、仕方なく」
「しかたなく付き合いとか、ひっど」
 佐久間は冬瓜を食べながら、海老よりも鶏ひき肉がよかったと言い出す。それを聞いた不動がムッとした顔で振り返って、じゃ、海老は没収な、と、佐久間の黒い小鉢から海老2尾を別の小皿に回収した。
「不動、白米は?」
「まだ食うな」
 佐久間は最初に出された海藻サラダをしばらくいじって、梅のドレッシングの追加のためにキッチンを見た。不動はドレッシングを少量作っただけらしく、もうキッチンにはドレッシングのボウルはなかった。これは追加はできそうにない。
「しっかし、お前、好きでもねぇ女とよく付き合えるよな?」
「・・・不動だってそんな感じだろ?鬼道から色々聞いてるぞ」
「何だよ、それ、こっわ」
 食卓に、赤魚の煮付けの乗った皿が2つ置かれる。赤魚と一緒に煮た白いネギも付けられていた。
「骨あるのか?これ」
「魚だぞ?骨くらいあるだろ」
 不動も食卓につく。静かに1人、両手を合わせ箸をすすめる。
「いや、俺より人見知りな佐久間が、よく知らない女と付き合えるなって話」
「別に知らない女の人じゃない。サッカー用品のルート営業の人の友人らしい」
「いや、それ、普通に知らない奴じゃん。あれだ、顔とか肩書きとか、そんなだろ」
「ほんと不動は失礼だな・・・、まぁ、うん・・・」
 佐久間は箸の先端で赤魚の皮を剥がしながら、肩の力を抜いた。不動が鼻で小さく笑う。
 いつからか、2人とも知らない人に告白されることに慣れっこになっていた。
 そうなのだ。不動も高校に入った頃から髪を伸ばし始め、そこから学外で人気があったし、佐久間も中学の頃から性別問わず隠れた人気があった。
「彼女とデートとかもしたんだよ、ご飯食べたり、ドライブしたり。楽しいは楽しかったんだよ、ちょっと接待ぽい雰囲気もあったけど、当然、気を使う、というか」
「で?1回寝たら、別れ話になった?っていう?」
 不動が箸で佐久間を指しつつ、ニヤニヤと口の端で笑う。
 佐久間は表情を変えず、首を少しだけ傾けた。
「いや、その前に、”別れましょう”って言われて」
「はぁ?1回もヤってもねーの?お前、損すぎねぇ?」
 佐久間は赤魚の骨を確認しながら、不動の手元にある小鉢を見た。佐久間が”鶏ひき肉がよかった”と溢したせいで、不動の小鉢には没収された佐久間の朱色の海老が2尾入っている。照り色が綺麗で、美味しそうだ。
「不動、やっぱ海老、頂戴」
「佐久間がいらないって言ったじゃねーか」
「やっぱ、食べたくなった」
 不動はイラっとした顔をしたまま、無言で佐久間の黒い小鉢に海老2尾を差し戻した。
「佐久間、あとで飯、つぐけど。漬物で苦手なのは?」
「特にない。セロリくらいだ」
「セロリは漬物っつか、ピクルスだろ、ありゃ」
 席を立った不動が、キッチンに立つ。もう火が止まっている鍋から湯気が立ち、その中から市販の茶碗蒸しプラ容器をトングで引き揚げてきた。
「具の銀杏ダメなら、口にいれる前に皿に出しとけ」
「不動、茶碗蒸しってこんなあっためるだけのがあるのか」
「佐久間、お前、コンビニにも行かねーの?茶碗蒸し売ってるぞ、コンビニでも」
「割といくけど。帝国学園の近くのローソン」
 あ、そ、と不動は話を切って、食卓の平皿にプラ容器の茶碗蒸しを乗せた。
 茶碗蒸しの横に、銀色の小さいスプーンが添えられる。
「金属だと、熱いから、木のスプーンがいい」
「はぁ?幼稚園児かよ」
 不動は、オフシーズンに帰国することが多い。そのたびにホテルに長期宿泊するのもナンセンスだとして、彼は都内の外れに安いアパートを一室借りた。
 この部屋は家財道具は少ないが、彼の趣味で調理用具は細かく揃えられている。この殺風景な部屋で、キッチンだけは見栄えがいい。不思議に思った佐久間が不動に聞いたところ、実は借りる前に大家に相談して、ガスコンロだった部分をビルトインにし、ついでにレンジフードも最新のものに改修させたらしい、もちろん不動の金で。
「あー、だいたいわかる」
 不動が茶碗蒸しの上蓋を全部剥がして、中の具をスプーンで探している。
「何がわかるんだ」
「佐久間、お前、女に”最低”とかいわれてフラれたんだろ」
「何でわかるんだ」
「もうちょっと、付き合う女に気をつかってやれよ」
「気を使ったさ。紳士を通したし、なんなら付き合った彼女の部屋まで行ったんだぜ?ご飯も作ってもらったし」
「食ったの?」
 不動のスプーンが茶碗蒸しの中の具を見つけて、掬い出す。可愛らしい小さな海老だった。
「彼女の作ったの、食べたさ。そこそこ美味しかったよ、ただ、パスタしか出てこなかったけど」
 笑うのを我慢できなくなった不動が口元を抑えて含み笑いをしだした。
「え?ちょ、何?パスタだけ?」
「パスタだけ!なんか高いスーパーで買ったレトルトをあっためて上からかけたやつ」
「大学生の昼飯じゃねーんだから、何それ。可愛いな、そいつ」
「だから、言っちゃったんだよ、つい」
「何を?」
「”俺の友達のほうが、料理がうまい”って」
 その佐久間の顔が、本当に真剣で、やや悲壮を帯びたものだったから、それを見た不動はもう失笑になり眉毛がハの字の下がった。
「で?」
「でって」
 佐久間は横を向きながら、モゴモゴと口先で何か言い淀んで、茶碗蒸し用のスプーンを摘んで黙り込んだ。
「何って、その女が、何を言ったんだよ。佐久間に」
「何をって、忘れた、忘れたから」
 皿の上の赤魚が綺麗に食べ尽くされている。佐久間の器用さと食事の作法の叩き込まれ具合が不動にもわかった。
 佐久間に白米用の茶碗を渡すと、そのままセルフで炊飯器にから白米を装う。
 蒸らし上がりたての白米が、炊飯器から香りたった。
「漬物は適当にキッチンの上からセルフサービスな。べったら漬け、全部持ってくなよ。ヒロトからもらったんだ、それ」
「お、ヒロトからもらったなら、いいヤツだな、べったら漬け」
「だから全部もってくなっつってんだろ、べったら漬け」
 不動は茶碗蒸しをいじりながら、佐久間へ偏食防止の釘を刺す。
「・・・だいたいさ佐久間、あれだろ、”俺の友達のほうが、料理がうまい”って、なんで比較したんだよ、可哀想だろ、その女、お前、バッカじゃねーの?」
「バカっていうな。違うんだ、料理が下手って意味じゃなくて、”友達の不動が料理うまいから、今度教えてもらえよ”って意味だったんだよ」
「佐久間く〜ん、いずれにしても、普通の女なら傷つくわ、それ」
「・・・むしろ俺が、料理を作れば、よかったのか・・・?でも、彼女、あの時、自分が作ります!ってはりきっていたし」
「バカだね、佐久間。そういう時は、文句言わず食べて、次回から人に振舞う食事ってのはどういうものか、2人でイタリアンデートでもする口実にすりゃよかったんだよ。そしたら、夜、女とヤれたかもしんないじゃん?」
 つやつやした白米を食べようとしていた佐久間の口元がムッとして唇が突き出される。
「ヤるために付き合ってるわけじゃない」
「はぁ?じゃ、何目的だよ。」
「”私のこと、好きじゃなくていいから付き合って”って言われたから、友達感覚でいいならって、付き合ったんだ。社交でつきあったんだ」
「・・・だから、お前、”俺の友達のほうが、料理がうまい”って言っちゃったわけだ。友達感覚の社交だったから」
 不動も自分の茶碗に白米を盛り付け、漬物を数枚のせて食卓に戻る。
 お互い白米を食べながら少しだけ無言の時間が流れる。
「そしたらさ?不動」
「何」
 不動は急須の中の茶葉がちゃんと新しいか確認しながら相槌した。
「彼女、”なら、その友達と付き合ったらいいじゃないですか!”って」
「!」
 不動はその言葉に白米を吹きそうになって、慌てて食卓の上の小さなタオルを当てた。
「わらかすなよ!」
「笑い事なんかじゃない!”俺の友達のほうが、料理がうまい”の、友達ってやつ、これ絶対女だと思われたやつだよ!」
「いやいやいやいや、”俺の男友達のほうが〜”でも、”俺の女友達のほうが〜”でも、どんな言い方でも悪手だわ。なんでお前、そんな無神経なの?」
「なんでかな不動?」
「俺が知るかよ!」
 不動は、辺見から佐久間が大学に入ってからの話を聞かされることがあった。大学で出会う女性と付き合って、一週間ももたない話。それでも周囲は大学の4年間でどうにかなると思っていたが、どうも「どうにか」ならなかったらしい。
 全寮制の男子校で6年くらい過ごした男の、ダメなパターンのほうだ。縦の社交は抜群にできても、異性への社交が座学どまりなのだ。
「不動、この後、デザート何?」
「ん、ああ。桃。焼き桃とバニラアイス」
「あー桃、もう、そういうシーズンかー」
 佐久間は急須でお茶を蒸らし煎れながら、2人のマグカップにそれぞれ丁寧に注いだ。
 料理が微太一できない代わりに、飲み物をいれるのはうまい。敬愛する上司のために覚えたスキルだ。
「で、女にいわれた”その友達と付き合ったらいいじゃないですか!”って、お前どう答えたわけよ?」
「あー・・・」
 佐久間がまた言いづらそうに肩を落として、マグカップのお茶に口をつけた。
「”そいつとは10年くらい付き合ってるよっ”・・・て言ってしまった」
「佐久間くんは、バカなの?女、確実に二股だとおもうだろこれ」
 不動が食卓に頬杖をついて、体ごとゆっくり傾けて佐久間を煽っていく。
「彼女に、・・・っていわれた」
「は?何?聞こえないんだけど〜?佐久間くん〜?!」

「”もう、その料理の上手な友達と結婚したら!?”って・・・言われた!」
「!!」

 不動が食卓に雪崩て倒れた。

 タイミングよく、TVからお昼定番の3分間クッキングがはじまる。
 誰もが聴き慣れたオープニング曲が流れはじめる。

『♪♪♪3分間クッキング〜!♪♪♪愛は食卓にある・・・』

 の、ナレーションの言葉。
 無事、佐久間も食卓に突っ伏した。

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