地上29m、アンチパイラシィ

 鬼道クンが出席するパーティに付き合うからって出かけたコイツが帰ってきたのは日付が変わった頃だった。マンションの重い扉の玄関がしまる音、内側のいくつかの施錠がかかる音、廊下の足音。ここはまだ灯がついてるリビング。佐久間の独り言のような落ち込み気味の「ただいまー」の声と、ドサッと床に荷物を放り投げる音がした。
「不動はまだ寝てないのか」
「・・・今さっきまで寝てた」
 スマホから視線を動かさずに、適当に返事した。佐久間の顔は確認していない。どうせ沈んだ顔だろう。
 ”ふぅん”という返事のあと、足音が消えて風呂場でシャワーの音が響いていた。そうしてドライヤーの音のあと、廊下から湿気とともに佐久間が適当なグレーのスウェット上下で現れ、冷蔵庫の中の飲み物を物色しているようだった。
「あのさ」
 冷蔵庫の扉がパタンと閉まる。
「何だよ、何かあったかよ。パーティで」
 風呂上がりの佐久間が、落ち込んだ暗い顔でペットボトルの冷えたお茶を飲んでいる。
「だって、鬼道が知らない間に帰ってたんだぜ?」
「珍しいな。鬼道クンに何かあったのか?」
 一息ついた佐久間がソファに近づく。寝っ転がっていた俺の上にスッと乗っかってきやがった。
 ゆっくりと、その褐色の両手で頬やら肩やらを撫でていく。・・・何やってんだ、こいつ。
「不動、触っていいか」
「いや、もう触ってんじゃん」
 長い指と手のひらが上半身のあちこちをなでていって、至近距離にいる佐久間の上目遣いと目があった。なんか、触られてるんだけど、なんか、触り方がしつこいし、服の上から変にくすぐったいような脇腹やヘソあたりも触られて。
「嫌なら触らない」
「嫌とは言ってねぇじゃん」
 カチ合った目が、オレンジ色で澄んでいて綺麗で、乾かしたての髪の香りがこちらの嗅覚を刺激した。何なのこれ、何のシチュこれ。そのうちに、無言の佐久間の右の手指がこっちのパジャマの裾から入ってきて思わず片手でその手を掴んで、パジャマの裾から引っ張り出した。
「勃つからやめろ」
 佐久間のびっくりした目が数回瞬きして、「あ、わるい」と我に帰ったように俺の上からどいてソファの下の床に腰を下ろした。
「鬼道さぁー」
 もう、絶対そうだと思った。こいつが落ち込みを引きずる相手は鬼道クンしかない。
「鬼道、俺がこうやって触ると、避けるんだよ。露骨に」
「そりゃ避けるだろ」
 電源がついてないTVのほうを向いて、佐久間は解せないという感じで首を傾げていた。
「こんなに触れたいのに」
「ふぅん」
 適当に相槌してると、しまいには「こんなに尽くしてるのに」とか「まだ足りないのか」とかあげく「俺が男だからかな?」とか「魅力がないからかな?」とかセルフダメ出し大会がスタートした。そう、これは聞き慣れたテンプレみたいなものなので、終わるまで適当に相槌していた。
「じゃ、不動。お前、俺とキスできるか?」
「はぁ?!」
 ”だって、今日、鬼道とめずらしく2人きりになった時にさ”と、ソファに背を預けて三角座りして顔を伏せている佐久間。俺のパジャマの右そでが、ツンと小さく摘まれる。
「え、なに、お前。鬼道クンに、キス迫ったの?なんで?え?」
「・・・」
 で、鬼道クンはコイツより先に帰ってしまったらしい。「鬼道を不機嫌にさせてしまった」と深く落ち込んで後悔しているコイツなのだが、どう考えても鬼道クンは貞操の危機を感じて帰ったんじゃねーの?っていう。
 佐久間は”どうしたらいいんだよ・・・”と言いながら、こちらの手を握りこんでくる。ああ、もう、剥がすのも面倒だな、と放置してたら、その手が上に這い上がってきて、こっちがスマホ画面から視線を外すと、綺麗な水色がかった白い髪が目の前にあった。
「なぁ、佐久間さぁ。それって。人の体温が恋しいだけじゃねぇの?」
「わからない」
 褐色の肌の指先が、こちらの頬を撫でて、ゆっくり下がって首筋を確認して、鎖骨を撫でていく。ああ、残念なやつ。日照の少ない室内施設や地下施設にいるせいで、心が不安定になって、飲み慣れない酒も入っちゃって、敬愛と、寂しさと、性欲がごっちゃになって、しかも多分何も自覚してないわけだ。
「不動、触っていいか?」
「もう触ってんじゃん」
 パジャマの裾からゆっくり入ってくる指先を咎めず、そのままにしていると、肌あったかさを確かめるように背中やへそ周りが撫でられていく。女の細く華奢で柔らかい手指とは違う、筋のある同性の手指のそれだった。
「何これ、佐久間。俺は鬼道クンの代わり?」
「・・・うーんと」
 もう、こいつ基本的にバカなのは知ってるけど酔いが入ってると基本的に真っ正直な素直で、俺が悪徳な詐欺師だったら絶対に”鬼道クンが幸せになる壺”を6個くらいは余裕でコイツに高額で売りつけてる。
「鬼道には出来ないことを、不動にしてる」
「・・・おいー?」
 バカバカしくなって佐久間を引き剥がそうとしたら、佐久間の手指が、こう、男の繊細な下のパーツに触れて、反射的に俺の背中が反って後ろに逃げる形になる。
 それを見て佐久間が、何かに気づいたのか、一度天井をみて、こちらに視線を戻した。
「明日、早いから。寝る」
 そう1人で”うん、そうだった、明日早い”とか何回か頷いて納得したようで、佐久間は1人で寝室に引っ込んでしまった。
「くそがーーーーー!!」
 何なの?!
 アイツなんなの?!
 こっちは触られまくられて!
 あげく、男の繊細なパーツが繊細じゃなくなっちゃって!
 どうしたらいいのこれ!
 ああ!!
 ちくしょう!
 こういう行為は金輪際禁止だ!!
 今度、絶対仕返ししてやる!!

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