誰かのせいにしたいが自分の顔しか思い浮かばない

 練習中にスネを保護するレガース。佐久間は部室のベンチでそれを外してソックスを脱いだ。
 その動きが、ふと止まった。
「なんだよ、不動」
 あ、と気づいて「なんでもねぇ」とうそぶく。鬼道クンから佐久間のヤツの右スネに手術の痕があるというのは聞いていた。でも本人は気にしてないらしい。すっかり足の状態が良くなったのは、世界大会のプレイでも知っていた。傷痕は俺が見てる角度からは見えなくて、当の佐久間はさっさと裸足になって練習着姿でタオル片手にシャワー室に消えていった。
 ─── 足、本当に大丈夫なのかよ。
 ─── 傷つけて、悪かった。
 それだけの言葉なのに、世界大会で合流して今まで佐久間に言えたためしがなく。あの影山の死があったにも関わらず、俺、鬼道クン、佐久間の中では真・帝国学園の話題をすることはなかった。世界大会の他のメンバーも知っているはずなのに、誰もその話題を出すことはなかった。つまり、口裏合わせをしているということなんだろう。世界大会で戦うためチームワークを乱す話題は不要ということだ、それはエイリア学園や、ダークエンペラーズの話題を出さないのと似ていた。
 蒸し返すな、視界を制限するブリンカーのように真っ直ぐ前だけみろという不文律。
 今さら、どんな顔で、真・帝国学園のことを話せばいいのか。
 こみいった話を正面から話すまで、ここからなんと、実に十年かかることとなる。

 駅前の福引で温泉旅行が当たった時、一生分のラッキーを使ったと思って目の前が暗くなった。横で明るくはしゃぐ佐久間とガッツポーズする源田を置いて、頭を抱えた。お、俺、もうラッキーなことなんて無いと思っていた。多分、今、マイナスになった。
 温泉旅行のために3人予定を合わせて、宿の予約をした。源田がせっかくだからと客室を内風呂付きグレードアップを提案し、差額は佐久間と源田が折半してくれた(助かる)。いざ老舗の旅館に到着すると、本当に客室に内風呂(というかヒノキの露天風呂!)がついている。”飲むと面倒になるから、内風呂はいいな”と源田にお礼を言うと、後ろから佐久間が”飲んでから風呂入るなよ、あぶねぇよ”と小さく鼻で笑う。
 人のあまりいない時間に、3人バラバラに大浴場を満喫したあと、旅館の浴衣で温泉街の石畳を歩く。
 山の天気のせいか、ニワカ雨に祟られた。部屋に戻ってから、もう一度大浴場にいくのは面倒で、適当に内風呂を使うことになった。湯のたまるスピードが遅く、でも雨くさい自分の浴衣や髪に耐えられなくなり、適当に風呂に入る。露店風呂独特の、ちょっと熱めな湯に腰を下せば、自分の体積で湯のカサが増える。まぁまぁ入れる湯のカサだな、と露天の屋根からの間から、灰色の曇り空を見た。
 後ろの片引扉がカラカラと音をたてて開く。
「結構、湯、たまったじゃないか」
 短いシャワーの音の後、佐久間が湯に腰を下ろすために右足の指先が湯面に触れた。間近で初めて右足の脛を見て、そこにはなかなかの長さの白い手術跡があった。
「・・・なぁ、佐久間。源田が内風呂にしたのはさぁ」
 俺はそう言いながら、横を見てギョッとした。当たり前だけど、眼帯がなく、横髪も湯につかないように髪が大きめなクリップで頭上に留められていた。黒い眼球に、赤い瞳がこちらを捉えていた。真・帝国の時、あんなに見慣れていたはずなのに。
「源田のやつ、俺に気をつかったんだろ。目。俺は気にしないけど、源田は気にするみたいで」
 ”こんなの、気にしなくていーのになぁ”と間延びした声で、佐久間は前を向いて両手で頬杖をついた。俺の左側にいるせいで、普段は隠れている、黒い眼球と赤い瞳しか見えない。その横顔の印象は10年前とそんなに変わらないように見えた。
「いや、佐久間クン。源田が気にしてるのは、お前の足の痕じゃないか?」
「ああ」
 そっちか、と納得したようにうなづく。鬼道クンがあの時言っていたのだ。
 ”手術の痕を消すことを、佐久間自身が拒んだ”と。
 ミルクチョコレート色のスネに目立つ白い手術跡。
「佐久間クンさぁ、そろそろ消してもいいんじゃね?」
「何を?」
 俺は指で足の手術跡を”それ”と指す。「あーこれ」と佐久間の手指が傷を撫でた。隠す、かばうというより、何かを確かめるように。
「これは、いいんだ」
「臥薪嘗胆的な?」
 佐久間が「そうじゃなくて」と小さく笑った。
「ほんと、佐久間クンの右側は傷だらけだよな」
「・・・足の痕は誰のせいだとおもってるんだ、不動」
 黒と赤の目に睨まれて、俺は言葉に詰まった。
 ─── 足、本当に大丈夫なのかよ。
 ─── 傷つけて、悪かった。
 今だよ、言うなら、言えよ、俺。
 さぁ。
「あし、」
 と言いかけて、佐久間の声がかぶる。
「お前のせいだぞ」
 ”佐久間は多分、そう長くサッカーはできそうにない。プロリーグで同じフィールドに俺たちと立つこともない。”
 鬼道クンの言葉が脳裏によみがえる。
 すべては真・帝国学園の試合での負傷が原因だった。
 キャプテンだった俺が、その道を潰したのだ。
 佐久間の黒と赤の目が瞬きする。白いまつ毛が上下して薄羽みたいだった。
「不動のせい、で、あと、俺自身のせいと、鬼道のせいと、ついでに影山総帥のせいも追加で」
「飲み屋の注文みたいに言う?!」
 アハハと目を細めながら笑った佐久間がもう一度その指で足の手術跡を撫でた。
 俺もふいに、その傷跡にかばうように触れたくて湯の中の左手を動かす。が、背後の扉がカラカラと空いて慌てて手をひっこめた。
「おお!お湯、意外とたまってるな?」
 源田がシャワーで簡単にかけ湯した後、躊躇なく湯船に入ってくる。急にせせこましくなった風呂、源田の体積分、湯が湯船の外にバッサリと流れ出た。
 源田と佐久間はしばらく朝のバイキングの時間の話をしていて、静かな露天風呂だ。
 屋根から見える空、雨が上がってる。夕焼けっぽい黄色いセロファン色に染まった空。「なんか、思っていたより、内風呂って、湯が熱いな」と源田がバサッと湯船から出て行く。一気に風呂の水面の高さが下がる。
 佐久間が不機嫌な顔で源田を見て、ため息をついた。
「源田・・・お前のせいで、湯の量、メチャクチャ減ったんだけど・・・」
 源田がタオル1枚の姿で
 ─── それは悪かった!
 そう源田が素直に謝りながら笑って、部屋に戻るために片引扉をカラリと開けた。

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