帝国学園で打ち合わせをするために電車に乗る。電車が緊急停止しなければ、余裕をもって帝国学園の練習場に着くはずだ。
学園から出てくる制服の学生たち。男子校らしい華のない光景はあの頃と同じ。せめて風にゆれるスカートがあれば目の保養にでもなるのに。「学園内禁煙」の看板を目にして時の流れを知る。久しぶりの帝国学園中等部。校舎に続く葉桜の植え込みの形だけは変化がない。毎年刈り込まれているに違いない。
「不動」
サッカー部の練習場はまだ先のはずだ。あの頃とかわってなければ、こんな中途半端な駐輪場の横で声をかけられることはない。振り返ると声の主がちょうどデカイ黒い車から出てくるところだった。
「わざわざ帝国まで、すまないな」
「いや、こっちもいつも借りてる練習場使ってるから打ち合わせ場所なんてない。帝国学園の密閉空間は助かる」
本来は帝国学園の正面玄関にある車寄まで運転手があの黒い車を転がすんだと思うが。鬼道クンは共に歩いて正面玄関に向かう。あのデカイ黒い車はいつの間にか消えていた。
正面玄関を通り、先を行く鬼道クンについていくと次第に人のいない総帥室の廊下に進む。ここは半地下で空調は快適だが、毎度毎度の陰湿な雰囲気だ。照明が目に痛い。
「不動、佐久間のことだが」
「何」
革靴の音、スニーカーの音。2つの音が密閉の廊下に響く。
「あまり困らせるな。あれは冗談が通じない面がある」
「なンの話?」
間を空けた鬼道クンが、言いよどんで無言で総帥室のカードキーを開ける。電子ロックが解除されて静かに自動ドアが開いた。このドアは、カードキーか在室主の操作でしか解除できない。カードキーを持ってるのは、鬼道クンと佐久間くらいか。チームキャプテンには渡してないはず。
「男同士で、キスしたいとか。どうとか」
「はぁ?」
───鬼道ちょっと聞いてくれよ、源田と不動が真・帝国組と飲み行った時、あいつ、源田でキスの練習しようとしたんだ。信じられるか?酔っていても男同士だぞ?それで最終的には、男の俺とキスしたいらしい。なんなんだあいつ。ホントだったら殴りたい。
「だそうだ」
少し佐久間の早口気味なモノマネをしながら鬼道が総帥のデスクの椅子につく。片肘ついて俺を見た。
「お前と違って、あれは帝国の箱入りなんだ、だから不動・・・」
「いや、俺、あの時、車で帰るから飲んでねぇし。そんな話してねぇけど?」
嘘だと思ったら、小鳥遊に聞いてみろよ。小鳥遊のやつを宿泊してるホテルに送り届けてやったんだ。お礼に郷里の銘菓ももらってる。箱じゃなくて、個包装だけど。
「じゃぁ、なんで源田が、そんな話を」
「あ〜・・・」
なんでそんなことするのかね?あんな女にモテるのに、どうしてそんなに婉曲に裏手を使うかね?
鬼道クンは、無表情のまま書類を開きはじめた。
「どちらにしろ、佐久間が困ってる。自分で説明しろ」
「いやだよ、こういうの高校ん時に、秒で殴り合いなるの、鬼道クン見てるでしょ」
総帥室の廊下から、新しい革靴の音がする。カードキーを持っているらしく、しばらく扉の前で人の気配がした。
「佐久間、不動が来てるぞ」
鬼道クンが遠くに響く声で廊下にいる者に教えると、非常にわかりやすい苛立った靴音でその場を去っていった。
「不動、追いかけろ」
「めんどくせぇ、こんなトコまで来て口論したかねぇよ」
さいわい半地下のこの部屋でも携帯の電波は十分にひろえた。着信履歴から源田の番号を呼び出す。もしもし、ああ。不動か。源田ののんびりした声が聞こえる。今は福岡だ、どうした不動。
「どうもこうもねぇよ。てめぇがついた嘘、佐久間に電話して自分で弁明しろよ」
『嘘?嘘じゃない、あれは冗談だ』
鬼道クンは手元の書類を眺めて、1枚めくって万年筆でサインしてデスクに置いた。
「源田てめぇ、アレには冗談が通じねぇの知ってんだろ。俺の名前だして巻き込むなよ」
『不動』
そして間髪入れずに間延びした言い方で。
「俺が佐久間に殴られたら、お前を傷害教唆で訴えてやらぁ。鬼道クンっていう正直野郎の証人もいるし、スキャンダルだなぁ、プロリーガーのキーパーさんよぉ」
『わかった』
通話はそこで切れた。
”正直野郎”と言われた鬼道クンは、苛立つかと思ったらどうも何かまんざらでもない様子で、やや口元が緩んでいた。
十分後、軽快な靴音を立てて佐久間が総帥室に入ってきた。楽しそうで、嬉しそうな目元を久しぶりに見た気がした。
「源田から電話きてさ」
嘘をついたのを謝り倒してきたらしい。俺と鬼道クンは、やや早口な佐久間の話を黙って聞いていた。「あいつ、なんであんな嘘を」と、その言葉で締めた。
「佐久間、何の話だ」
鬼道クンが初めて視線をあげた。佐久間が、ああ、と前置きして口の片端だけあげて皮肉げに笑った。
「源田がキス、したいんだってさ」
まぁ、それの確認のダシに使われたわけだ。俺の名前が。
「佐久間、どういうことだ」
「いや、鬼道。源田がさ、キスしたいそうなんだよ」
鬼道クンがなるほど、と相槌し、佐久間が俺をまっすぐ見つめて赤くなって口元を抑えた。
「不動と!」
源田!あいつ、なんて嘘を!