この作品は『結晶機関』同人誌 (文庫サイズの愛蔵版)に収録されています

 帝国学園という鋼鉄の大きな繭玉の中で、やがて思春期の彼らはサナギになり心も体も一旦アポトーシス───”予定された死”を迎え、心と体は再構成される。再構成という名前の第二次性徴を遂げて世界へ羽ばたいていく。帝国学園という繭玉の中で、そうして彼らの幼年期が終りを告げるのだ。

『鋼鉄クリサリス』


 通っていた帝国学園初等部では理科と社会の授業で、養蚕の体験があった。財閥系のパーティで父親が着ていた着物が、絹糸というもので作られていたとは知っていたが、その絹糸が虫の繭だとは知らなかった。着物のためにいくつの命が散ったのかと思うと、ゾクゾクとした恐怖と言いようのない興奮があった。それは多分、子ども時代の特有なもので、命を仕留める怖さと快楽の間の感情なのだと今では思う。反面、繭玉を茹でて中の蚕を”殺して”絹糸とするのだと、教師が説明した時たまらなく「なんとしてでも」という気持ちになった。そう、人の衣服の娯楽のために「命」を奪うなんて、「なんとしても許せない」そして「なんとしても1匹でも救わないと」と、そう胸に秘めたのだ。
 初等部の風通しの良い廊下、蚕は専用の棚で繭となっていた。俺は1つ、そいつをそっと摘んで、執事の袴田に用意させた小さな青い蓋の虫かごに入れた。子供心ながらに、あれは贖罪の気持ちと、同時に羽化した蚕を見てみたいという知的好奇心だったに違いない。自室に持ち帰り、数日は頻繁に確認したがやがて子供らしく飽きた俺は、クローゼットの奥にしまったまま夏を迎えた。ある日、そう、夏休みの宿題のために父から借りた辞書をクローゼットの奥をかき分けた時、青い蓋の虫かごがそこに小さく鎮座していた。あの日、袴田に用意させた小さな虫籠だった。ああ、しまった忘れていた、そんな可愛らしい感情ではなかった。虫かごの中を見たくない気持ち悪さと、同時にどうグロテスクになっているか気になってしょうがない残忍さが並行して足がすくんだ。こんなことを父にはとうてい相談できず、かといって袴田相手では、彼は父と直通すぎる。右斜め上を見て考えた時にすぐ思いついたのはクラスメイトの源田だった。源田なら、冷静に対処してくれるだろう。家の電話で源田の家に電話して理由を話すと、すぐに源田は駆けつけてくれた。クローゼットの中のアレに困り果てる俺を笑うことなく、一緒にクローゼットの中に入ってくれた。クラスの中でも大きな手をした源田の右手がクローゼットの奥にのび、虫かごを慎重に取り出してくれた。夏の夕暮れの黄色い西日の室内、俺たちは同時に「あ!」と声をあげた。
 美しい、白い生き物がそこにいた。
 美しく、全身が白い、生き物だったものが、そこにいた。
「綺麗だ」
 実物の蚕の成虫をみたことがない俺たちは、机の上に置かれた虫かごをしばし眺めた。ドレープカーテンごしの西日に照らされて金色のように輝くその蚕の成虫。標本の蝶のように、ピンとして美しかったが右羽根が欠損していた。その欠損以外は、完全な姿で、美しい生き物だった。ただ、悲しいことに、それは生きておらず、誰にも知られず死を迎えていた。今この時まで暗く静かなセントラル空調の、この自室のクローゼットの奥で、こうして片羽根を広げていたのだ。
 授業で無感情に眉の中のものを取り出していた俺たちだったが、この白い美しく哀れな生き物を埋葬することに決めた。生きようとして暗がりの中で1人羽化し、孤独に死んだこの小さな命のために。例え生きて虫かごから出られても、飛べなかった運命に。庭で埋葬中、使用人に何か質問されたが、源田が「飼っていたカブトムシが死んだからお墓を作りたい」と伝えると使用人がいくつか庭を掘り返す道具を用意してくれた。
 西日が藍色になり、暮れはじめ、夜を迎えた。白い生き物だった物が、静かな土の下に眠った。

 帝国学園の春休みは私学独特の長さがある。俺の誕生日の翌日が今年の始業式だ。入学式自体は、初等部から進学した内部組は免除される。この鬼道家では普段は折につけ来客を招いた会食やパーティもあるが、俺の誕生日のようなプライベートの催しはごく近親者と縁者で行われた。今年の誕生日も昼食会、そして爪弾ける者が有志で簡素に演奏し、静かで穏やかな拍手が送られる。毎年、この日が好きだ。俺を養子縁組して実子として育ててくれる優しい父親。その父の親族。少しの来客。その中に、小さな頃からサッカーを教えてくれる影山のおじさんがいた。中等部から彼を「総帥」と呼ぶように勧告されている。
 父が”部屋にプレゼントが届いているから、ケーキが仕上がる前に部屋を見て来なさい”、そう背中を押してくれた。毎年色々なところからプレゼントが届く。今年は何が届いているだろうか。自分にとってまだ使えないもの、また使う予定がないものはよけておく、というのが、この家のやり方だ。よけておいた物は、あとで使用人がまとめてくれる。
 部屋の扉を開けると、大小、色とりどりの「贈答品」の入った箱や包みのプレゼントが並んでいた。その中に、ひときわ白い大きな箱があった。大きな管楽器だろうか?弦楽器だろうか?そういうサイズ。リボンのかかってないその箱の上蓋をずらす。厚手のしっかりした紙でできたその蓋は意外に軽くすぐに外せた。中を覗いて、息を飲んだ。
 あの時の、羽化したまま美しく片羽根を広げていた蚕だと思った。
 中に入っていたのは、白に近い髪と白いシャツ、ふわりとしたモカ色のスラックスを身につけた「人間」だった。歳は同じくらい。ただ、肌は淡いミルクチョコレート色で、右顔を見慣れない眼帯で覆っていた。胸のやや下で両指を組み、白く柔らかいクッションに沈んでいるその姿は。
 ”棺桶だ”と、思った。
 蚕も、こうして、死んだのだ。
 あの初等部の夏の日のように、俺はそっと右の指先でその頬に触れた。蚕の成虫の、ふわりとした感触と同じで、この「人間」の頬がふわりと動く。肌は存外に暖かく、また息をしていた「人間」に安堵する。性別のよくわからない相貌、絹のように細く肩にかかる白い髪、人形のような造形だが、小さな呼吸と上下する平たい胸でこれが男だとわかる。
 (春奈だったらよかったのに・・・)
 無意識に声が溢れりそうになり慌ててきつく口を結ぶ。
 それをしばらく無言で眺めていると、それの白く長いまつ毛が揺れて左目が開いた。なんともいえない、冬の夕暮れのようなオレンジ色の目だった。棺桶のような箱を覗き込んでいた俺と目が合う。こちらを見て、それが不愉快そうに目を曇らせた。「だまされた」それは幼さの残る掠れた声で、舌打ちまじりにこちらを睨んできた。
「隠れんぼのつもりか」
 こちらもからかうように声をかける。
 そいつは棺桶のような箱から起き上がり、窮屈そうにそこの中に座ったままのそれに対し、眉を顰めて顔で「”ゆうと”というヤツを待っている」とフンと小さく鼻を鳴らした。何だこいつのこの態度。数秒、こいつをどうしようかと考えていたが、矢継ぎ早に「お前、”ゆうと”というヤツを知らないか。そいつの許可がないと、ここから出られない」と聞いてくる「”お前”ではない」と前置きしたあと「俺がその”有人”」だ、と伝えるとそれは目を見開いて、何度か瞬きをした。
「お前が、”ゆうと”?」
「さっさとその箱から出るといい。大方、父親の関係者が俺を驚かそうとしたんだろう」
 まったく、センスが無いな、と首を傾げてため息すると、白い髪の奴が箱の縁をまたいで、伸びをしながら箱から出てきた。横目を見ていると、それは眠そうにだるそうに床にあぐらで座っていた。
「お前こそ、ここで何をしている。どうして箱の中なんかで」
「わからない。なんだか入学式で、偉そうな大人が来て、”ゆうと”の隣にいろと言われた。それで、箱の中に居ろ、と。本当に、よくわからない。ここ自体、どこなんだ?帝国学園の中か?何これ誘拐?」
 面倒臭そうに部屋を見回す。プレゼントの包みや箱の山を見て、驚いたように、「なんだこれは」と、こちらを見た。
 ここが鬼道家の中で、ここは俺の部屋で、今日は誕生日。そして誕生日プレゼントという名目の「付け届け」だと説明すると、それが部屋の中のプレゼントたちを見回した。そうして、俺を見た。
「すごい量だな、これ、全部か」
「ああ。今から開封する。」
 そいつが”へぇ”と感心して、その指で手のひらサイズの小さな黒いプレゼントの箱を軽くつまんで揺らした。大方、俺が取り返そうとして、怒るのかと思ったんだろう。俺が何の反応もしないと、小さな黒いプレゼントの箱を、床に座っている俺の足元に静かに置いた。
「開封もこう数があると難儀なんだ。ついでだから、お前も手伝ってくれないか?何か好みのものがあったら1つ2つ持って行ってくれ・・・お前、名前は?帝国学園生か?」
「佐久間だ。佐久間次郎。帝国学園には今年から中等部に入る。有人も帝国学園か?」
 呼び方は”鬼道”でよい、と指摘し、自分は内部進学生であると告げると、「ふぅん」と返し興味なさそうにプレゼントのリボンを外し始めた。
「佐久間、メッセージカードがあれば、カードの右下にプレゼントの品名をメモして、この缶の中に。プレゼントの箱の中の小包装、ビニールとかは開封しないでくれ。」
「ん?メッセージカードへのメモはわかるが、開封しないとはどういうことだ」
 俺はメッセージカード保管用のクッキー缶の丸い底をコツコツと小さく叩く。
「身の丈に合わない物は、中の小包装を開封せず、部屋の隅にまとめておくんだ」
「・・・まとめて、捨てるのか?」
 いや、地方のチャリティオークション用に寄付をするんだ、と説明すると「慈善家だな」とキョトンとした顔で感嘆し、また佐久間が次のプレゼントの箱を開封していく。俺宛のメッセージカードはメモして缶の中、プレゼントの中身は佐久間の背中側に積み上がっていく。時々「これ最新のだ」とか「雑誌でみたやつだ」とか言いながら、「他人宛てのプレゼントの開封の手伝い」という事務作業に徹している。
「佐久間、欲しいものはないのか」
「別に、特にないな」
 開封した箱からサッカーシューズが取り出されて、手渡される。ご丁寧にサイズまでぴったりだ。どうやって俺の靴のサイズ情報を得たのやら。
「鬼道、サッカーするのか?」
「ああ」
 その後も出てくるサッカー用品を佐久間が興味なさそうに開封していく。プレゼントの半分くらいが開封され、半分以上がサッカー関係の物品だったが、佐久間は特に言及することはなかった。さっぱりしてそうな性格。そんなところは源田と似ているような気もする。人に興味がないようで、思慮はありそうな性格。源田は初等部から、影山総帥が引き合わせてくれた友人だ。総帥は「将来に向けて一流になるための情操教育の1つだ、チームワークを学べ」と話していたが、俺の父親は総帥の行動に違った感想をもったらしく、詳しくは教えてくれなかった。ただ、父の苦笑いをみると悪い意味ではないようにその時は思った。そのあと、源田に続き寺門という友人が紹介され、初等部の6年間は3人を中心としてサッカーに夢中になれた。この佐久間という者も、総帥が仲介した”友人”に成る者なのだろう。
 プレゼントにそえられたメッセージカード。右下にプレゼント名を書いていく。これは後日直筆のお礼状を書くためだ。付け届けのお礼こそ相手にとって重要だ。
「佐久間は、本当に大人に”鬼道有人の隣にいろ”と言われたのか?誰からだ?」
「う〜ん、確かカゲヤマと言ったか、あの背の高いサングラスのおっさん。今時で”総帥”って言い方もすごいな」
 じんわり批判されているようで、閉口しているとプレゼントが全て開封された。高価なもの、こちらの趣味や嗜好を知り尽くしているもの。なぜかある父親愛用の銘柄の葉巻など、おかしな物も少々。
「なんだ、鬼道。ほとんど”部屋の隅”か」
「ほぼ、毎年だ」
 佐久間が無言でこちらを見てくる。「どうした」と聞くと、佐久間は自らを指差した。
「お前が、どうした」
「俺も”部屋の隅”?」
 お互いが無表情のまま、部屋の中央で立ち尽くしていた。そうだ、そういえば、コイツも誕生日ブレゼントの箱の中に入っていたのだ。
「佐久間、お前はどうしたいんだ。チャリティに寄付されたいのか」
「そんなの仮に出たって二束三文だろ。片端だし、慈善の足しになるかどうか」
 その指がそっと眼帯を指した。
 単純に目を怪我しただけかとおもった。多分、こいつの言い方だと、二度とその目は治らないということだろう。今、理由を聞くのが正当か、またはここでは不躾か、俺は判断しかねて話題を切り替えるため「総帥の」と切り出した。
「総帥の言葉は絶対不可侵だ。総帥が、俺の隣に佐久間を置くことを望むというのなら」
─── 俺もお前の隣に居よう。
「ふぅん、いいんじゃね?」
 ああ。わかった気がする。総帥や父親が、この者を俺の隣に置きたい理由が。鬼道家の財力に諛う(へつらう)ことなく、俺のこの真っ赤な双眸に臆することなく。隣にいる者に興味がなさそうでいて、相手に思慮がありそうな奴。経験則で知っている、それが「友達」だ。
 プレゼントの仕分けも終わったことだし、”部屋を出よう”と佐久間を手招いた。
「広間にいこう。ケーキが準備されているらしい。そして、総帥に謝辞を述べたい」
「あー、ケーキか。いいな。その前に行きたいとこあるんだが、案内してくれないか」
 ひだまりの暖かい廊下を歩く佐久間の白い髪が揺れる。生きてる。あの日の繭から羽化した蚕ではない。夕暮れ色の大きな目、その下の頬が赤く染まる。白いシャツに陽の光が落ちて蛍光を帯びた白に光る。春奈とはまた違う、女とも男ともとれるような姿形。高めの声。動く人形のような色合いと、消えそうな儚さ。
「鬼道の家、トイレどこ、トイレ行きたい」
「トイレか」
 箱に入ってた時から、ずっと我慢してたんだ、と佐久間が笑う。
「そういうことは佐久間。早く言え」
「まじシッコ漏れそう!トイレどこだ?!鬼道!」
 人の家に来て、シッコだ漏れるだ、何だこいつは。
 ・・・全然儚くない。
 前言撤回、コイツは完全に中1の男子そのものだ。

 息子の有人の誕生日。
 鬼道家の親類と縁者を呼び、1日ゆったりとした日だ。
 広間にいつも鎮座しているリフェクトリーテーブルの長机。
 真っ白いテーブルクロス。
 その上に、用意された大きなケーキが半分造作に食べられている。
 息子の有人と白い髪の佐久間少年は中庭でサッカーを始めていた。
 影山氏とともに、その光景を見る。食後の中庭のガゼボで嗜むものは、私は葉巻、影山氏は癖の強い煙草。
「友人・・・一流になるための情操教育、チームワークとリーダーシップの実学というところかね」
 影山氏は”そんなものだな”と低い声で返答した。
「我々、帝国学園としては。佐久間家に初等部の入学時にも声をかけたんだが、さすがに内情を知ってる佐久間家が簡単にあの白い髪の坊主を手放すわけもなく」
「まぁ、お互いそのあたりは色々あっても親心(オヤゴコロ)だろうなぁ」
 少年2人が興じるサッカー。
 影山氏の来歴は不明なところがおおい。しかし彼の眼差しは、あたかも息子を慈愛する父親とよく似ていた。おそらく影山氏は、有人に対し情操教育のみを施しているのではない、孤独な帝王にさせないための友達作りではないのか。
「鬼道有人には、鬼道家と日本サッカー界の背骨に・・・つまり一流になること。そして栄光を」
 影山氏が、独り言のようにゆっくりと続ける。
 ・・・初等部では寺門大貴と源田幸次郎で有人を守り、中等部から編入してくる辺見渡には処世術を、咲山修二には慎重さの手本を。影山氏は、一呼吸おいて、一服したあと、こう続けた。
「佐久間次郎には、鬼道有人の”人形”として」
「人形、か」
 煙草の煙を静かに吐いた影山氏が、「そうだ」と冷たい声色で言い放つ。

 この影山という男が、一流の作品と称した私の息子の有人を「依り代」に、自分の父親の亡霊の色で塗りつぶしていくことが発覚したのは、ここから1年後である。
 中庭には、少年2人が遊ぶ笑い声が響いていた。

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