やすみやすみみのチラシの裏

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大は小を兼ねるというけれど

2006.01.13 Friday | 雑記

「大は小を兼ねる」なんてナンセンス。
小だからこそ大好きな「小さいもの」しか収納しなくて済むのだから。
「○と×」の事ができるAさんと、「○」の事ができるBさんがいる。
ある事をこなす為「○」と「×」で分担できると効率的だ。
この場合、Aさんは「×」をお願いされる。

Bさんに比べてAさんは、できる事が多い分上位互換な立場に見える。
だが、実はAさんは「○」をやりたい人だったのだ。
Bさんは「○」しかできないので「○」をやる。
Aさんは「○」をやりたくても全体の利益の為に「×」をやるしかない。

「×」が出来るCさんが参加する。
しかし「×」の出来る人は多ければ多いほどいいそうだ。
逆に「○」は一人できれば足りるそうだ。
Bさんは楽しく「○」をこなす。
Aさんは相変わらず「×」だ。

Bさんが別の役割もこなせるように修行中だ。
修行した役割は「◎」だった。
「○と◎」が出来るようになるBさん。
Bさんは「○」やってみたり「◎」やってみたり。
Aさんは相変わらず「×」だ。

ある目的の集まりにAさん、Bさん、Dさんが集った。
Dさんも「○と×」ができるそうだ。
身体的に「○」に適正のあるDさん、「×」に適正のあるAさん。
Dさんは自らもまわりからも望まれて「○」を。
Bさんは「◎」を。
Aさんはやっぱり「×」をやる事に。

「×」の集会。
「×」のできるEさん、Fさん、Gさん…。
彼らとの活動で「○」が必要とされる事があった時こそ、
Aさんが唯一「○」を楽しめる数少ない瞬間。

Aさんに取って、「×」が出来る事は足枷でしかなかったのだろうか。
Aさん自身も「×」決してが嫌いではないのだ。
しかも、「×」が出来るからこそ「×」の集会に出会えたし、
出来ないより出来たほうがいいはずだ。
だが、現実は「×」が出来ない人が
Aさんのやりたいポジションを「それしかできないから」と奪っていく。
Aさんのやりたいポジションを「その方が効率的だ」と奪っていく。

恨むべきは、何だろう。
「×」が有用なのに「×」を修行しないBさんなのか。
「○」が好きなのに適正のある「×」をできるようにしてしまったAさんか。
「×」が重要すぎる役割となっているシステムなのか。
もしくは利益効率重視の社会なのか。

Aさんも、たまには「○」をやらせてもらえるだろう。
それは利益効率を犠牲にしたAさんのわがままだろうか。
どうして好きな「○」を気兼ねなく出来るようにならなかったのだろうか。
author : ヤスウェア | - | -