八丈島の文化


玉石垣

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 大賀郷地区の大里は玉石垣の町並みがとても美しい。室町時代末期から明治時代まで380年の間行政の中心だった場所です。流人達の福祉政策として近くの横間海岸から石垣用1石1つ運び上げると、握り飯ひとつがもらえたという話を聞いたことがあります。それが本当だとしたら、大変な事です。海岸から1kmはある登り坂、石の重さは大人の男がやっと持ち上げられる程度。この界隈の美しい町並みは流人達が生きるためにギリギリの状況でつくりあげたのもなのかと思うと愕然とします。
 石の積み方は、どこをとっても1つの石の周りを6つの石が囲んでいる形になっています。セメントの存在しない時代に造られたので、当然石を積んであるだけですが、今でもキッチリときれいに積まれているので、大変な技術なのかもしれません。これだけ同じ大きさの石をどうやって集めたのでしょう。今となっては謎ですが、あれこれ想像しながらこの界隈を散歩してみるのも楽しいものです。


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この地区の一角に昔の家を再現した「ふるさと村」があります。数年前に放映されたテレビドラマ「海鳴りやまず」(中村トオル主演の時代劇)で家屋のシーンに使われていました。かまどや囲炉裏など昔の生活を覗いてみることができます。



黄八丈

写真 島に自生する刈安、マダミ、椎などで染めた草木染めの絹織物。黄色の地に赤、茶、黒などの縞柄で、江戸時代には年貢として江戸に納められていました。そのあざやかな黄色が御殿女中などの間で人気を集め、全国的に名を知られるようになりました。

 生糸の生産は現在では行われていませんが、染色、機織りは今も島の中で産業として行われています。昔ながらの染色方法は、海外の染色家からも注目され、技術を学びに来る人がいるほどです。すべての工程が手作業のためきものとしては大変高価で、なかなか庶民の手には届かないものとなってしまったようです。黄八丈は普段着に分類されるきもので、さわってみると意外に厚手で、日々の着用に耐えるようにしっかりしています。高価な割には外出用に着られないため、普段着としてきものを着なくなって久しい現代では、産業としてなかなか難しいものがあるようですが、その美しさは今も婦人雑誌や時代劇の中に時折登場しては、私たちの目を楽しませてくれます。

 右の絵は竹久夢二の代表作「黒船屋」(大正8年竹久夢二 伊香保記念館蔵)。『黄八丈は夢二好みのきもの。何かご所望はと問われれば黄八丈とこたえ、恋をした女性には黄八丈を贈ったと伝えられている』(季刊雑誌「美しいキモノ」97春号)と地元新聞の南海タイムス紙は報じています。

 近年では映画「あうん」のなかで主演女優の富司純子さんが市松の織模様で黄色一色の黄八丈のきものをとても素敵に着こなして、印象的でした。

 なにはともあれ、この小さな島で世界に名が知られるような伝統工芸品を今も生産し続けている事実には驚きます。世界文化遺産としても貴重な産業といえます。

絵画




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