七夕は台風。
梅雨明けはまだなのに・・・

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   2000年7月20日(木)

お散歩

世間は 「海の日」で祝日なのだ。

koharuとオトーサンのお墓に 二輪の免許を取った報告に行く。
セローとGPX2台連ね 近所のスーパーでお花を買い お墓へ。

車では通い慣れた道だけど バイクではどんな気持ちで付いて来ているのかな?

お昼を回っていたので お腹が空いていたけど 目的までは我慢するつもりだった。
途中 ぽつりぽつりと雨が落ちて来て 丁度頭の上を黒い雲が通過しようとしていた。
通り雨だろうからとそのまま進むと 雨粒の大きさと量が増え セローでは痛い。
どうせならどこか昼食を取れるところで雨宿りと思ったけど 思っていたお店に到着するまでに
ずぶ濡れになりそうだったし koharuは いきなりこの雨は恐いだろうと 通りがかりのスーパーで雨宿り。
ほんの10分程で止んだけど 相当の雨だった・・・
お腹も空いたままだった・・・

いつもは静かな墓地 祭日とあって少し人出があって賑やかだった。

土曜日のミニツーリングの下見を兼ねて篠山方面に向かうことにする。

篠山で昼食を採って 母子(もうしと読む)まで 一車線のブラインドカーブの連続する山道。
途中 昇りの急なカーブを曲がると崩れた土砂が道路上に落ちて居て
koharuはちゃんとクリアできるか はらはらだったけど
なんとかクリアしてくれたので 胸をなで下ろす。(^^;

途中にある尼ン滝を見て R308で帰ることにする。

道の悪いところもあるけど 急な坂道はなくなっているので 少し安心。

青野ダムを通りかかると ガードマンが出ていて 何かイベントがあるみたいな雰囲気。
休憩を兼ねて寄ってみるかと入ってみると 三田市主催の水上のコンサート。
紙ふうせんがリハーサルをやっていた。

帰りを急ぐこともないので 真正面に陣取り 最後まで見て帰ることに。

三田市のオーケストラと インカ音楽のフォルクローレの「プカソンコ」の演奏と続く。
陽が落ち 湖面を渡る風が心地よくなって来た頃から紙ふうせんのライブが始まり
そのステージのライトにホタルが寄って来て ステージ周辺にはホタルの光の帯が光ったり消えたり
なんとも幻想的なステージとなっていた。

ステージ上の紙ふうせんの二人には あのライトの中では ホタルは見えなかったでしょう。
小学生の作った詩に紙ふうせんが曲をつけた歌も紹介され 小学生と一緒に唄うなど
市あげての企画だったようだ。
小学生達がステージから引き上げて行き 先に進めようとした舞台上だったけど 
歩きながらまだ歌い続けて居た小学生達の声が届いて来て
  紙ふうせん達も合わせて唄う場面もあったりして 終始和やかなステージだった。

紙ふうせんは知らなかったkoharuだったけど 思いがけないライブに出くわし ご満悦な様子だった。

楽しい一日だった ツーリングが癖になりそう と言い残して バタリと寝てしまったkoharu。

かなり疲れたのかも・・・


   2000年7月19日(水)

初乗りだぁ!!

koharu やっと免許の申請が済んだ!!
試験場から帰って来たら17時 セローはバッテリーを替えてやるとエンジンがかかった。
あちこちオイル注して ひとまず動くようにはなったので
  koharuはGPXに乗せ セローの後ろを付いて来させて その辺りを一周りして来た。

慣れないバイク 付いて来るのがやっとだったみたいだけど
  30km程走って 無事に帰って来た。

「必死だったけど それでも楽しい・」との感想。
それはOHARUが一番良く知ってるよ。
明日 また少し走ってみよう・・・


   2000年7月18日(火)

マスタングを洗った・・・

とタイトルになる位 洗ってなかった・・・・

時々 息子が洗ってたので それでお茶を濁してた。

とりあえず簡単にバッテリーを付けて帰って来ていたので またわっせわっせときちんと締め付けて
ひどく汚れていたので洗車して GSに行ったら 綺麗ですね〜と言ってくれた。

いつも汚いので たまに綺麗にして行くと 誉めてくれるのであった・・・・(^^;

これで満タン いつでも出撃可能だけど どうせ明日は息子が乗って行ってしまうのだ・・・

マスタングも 久しぶりに屋根の下で「はぁ疲れたぁ」と大あくびしているに違いない。

しかしエンジン回り ボンネット内はめちゃ汚れてたなぁ・・・
今度ゆっくり時間を取って綺麗にしてやろう・・・


   2000年7月17日(月)

マスタングが・・・

宴会で余り寝ていないので早めにベッドにもぐりこんだけど 夜中に叩き起こされた

出かけていた息子から マスタングが動かないと電話が入る。

どうやらバッテリーが死んでしまっている様だ。

大阪まで出かけて行きガソリンスタンドでバッテリーを探すも 同型はない。

JAFで運んでもらおうかと悩んでいたけど 自宅まで運んでもらうとざっと計算しても5万円。
これは厳しいので 結局近くの駐車場に入れて一晩置くことにした。

3時半になっていて それから帰って来たら空も白んできて5時になっていた。

結局 今朝からバッテリーをディーラーで調達し
koharuと二人付け替えに行って引き上げて来たら14時・・・・

koharuは2輪の免許の申請に行くつもりだったのに 行けなくなってしまって がっくりした様子。
明日はバイトなので 水曜日になるなぁ・・・

バッテリー代 19000円 この出費は 車検の時に交換しててもよかった位だから仕方ない。
駐車場代 5000円 JAF費用から思えば10分の1で済んだけど
夜中でなかったらすぐにバッテリーは調達できたから 払わなくて済んだのに・・・

息子はトラブル発生源・・・今までからも何度 こうして出かけたことか・・・
何がどうなってこうなるんだろ・・・疲れた!!


   2000年7月16日(日)

セロー

友人に貸していたセローが戻って来た

koharuとツーリングするにはセローがいる。
友人はほとんど乗っていなかった様で バッテリーもあがったままだから
明日はメンテをしなければ・・・・・
タイヤも交換しないと・・・・

タイヤ交換、オイル交換、他諸々 次から次・・・
バイクを維持するのって結構大変だな・・・


皆既月食・・・綺麗に月が欠けて行くのが見えた。


   2000年7月15日(土)

受かった!

koharu 卒検に受かったとメールが入った。

やれやれ! 第一歩・・・

やっぱり心配なのは事故。

自分の身は自分で守る運転を心がける努力をすることを一緒に走りながら覚えてくれたらいい。

お互い 後悔しないために・・・・


上方10周年記念 祇園M

koharuの卒検が遅くなった為遅れたけど これから宴会場へ。


   2000年7月14日(金)

ジーンズ

結婚した頃 オトーサンとOHARUは 同じサイズのジーンズを履いていた。
ジーンズは男性用と女性用があるけど 男性は女性用を履けないかも知れないけど
女性は男性用を履けるでしょ。
時々 オトーサンのジーンズを借りたりしていた。

オトーサンとの身長差は10cm。
背は高い方じゃなかったのでOHARUにとってはラッキーだった。
すそも折ることなく長さも許容範囲。
自分は足が短いのか・・?と苦笑いしてた。

しばらくして 子供の為にタバコを止め それが原因かどうかはわからないけど
オトーサンは15Kg程も太って サイズが大きくなったジーンズは借りられなくなった。

いま OHARUはオトーサンのジーンズを履いている。

いつの頃からか 知らずに徐々に細くなっていたジーンズ。
身体がどんどん細くなって サイズを合わせるのも追いつかない位。
ダボダボで不細工やなぁと言ったりしていたけど ジーンズは硬くて重いからと新調はしなかった・・・

OHARUが履いていた黒いコーディロイのパンツを 軽いし楽やし温かいから履いたら?と薦めた。
それは 男物で 少し分厚い目の生地で ストレートのシルエットでオトーサンの細い足を隠してくれた。

あの頃 ジーンズを合わせて新調していたら 細過ぎてOHARUは履けなかった・・・・
残ったブルージーンズとカラージーンズ。
もう3年以上になるから 膝が抜けて破れてしまった。
捨てる気になれずに リメイクしてもうしばらく履こうと思う。

黒いコーディロイのパンツも また 秋口になったら引っぱり出すよ。

ねぇ 物持ちいいでしょ!?>オトーサン


   2000年7月13日(木)

やっと卒検

koharuが見極めOKってことで 土曜日 やっと卒検。

自動車学校 OHARUや息子が通っていた頃よりかなり緩くなってる様で
追加教習なくて金銭的にはうれしいんだけど それはそれで不安になったりする・・・

免許を取ったらしばらく付いて走るつもりだけど・・・・
自動車の免許を取った時の思いが甦るな・・・
ともかく 大きな事故だけには合わない様にとひたすら願う。

世代交代も近いのかな・・・・koharuがモンスターで走る姿を見るのもそう遠い話ではないのかも知れない。

・・・★誕生日のメッセージ ありがとうございます。ホロリ・・・

   2000年7月12日(水)

誕生日

昨夜 koharuが突然 「居なかったから言えなくて忘れてたし 今言うけど おめでとう」
ん? 何? と聞き直したら 「誕生日やったやろ?」

しばらく考えて そうそう 白川郷に行った8日は誕生日だったんだ・・・
まぁ もう目出度いと言う年はとっくに過ぎてるけど・・・・

今年は 大勢の人達との宴会で楽しい誕生日の夜を過ごせたと言うことには違いない。

オトーサンのいない誕生日 もう4回目・・・・


   2000年7月11日(火)

母というもの

野球部の後輩を金属バットでなぐり 母親もなぐって逃走を続けていた少年が逮捕されたと言う。
自転車で1000km以上も走り続けていたと報じられている。

距離はそれほど驚くことはない。
体力的に一番強い時期が高校生だし 道は続いている訳だから・・・

罪を犯し それを母親が知ったら辛い思いをするだろうと 身体の弱い母親を殴って家を出たと聞く。

学生で まだ母親の気持ちなど考えもしなかった頃にある先生が言った言葉を思い出す。
人間は 罪を犯そうとしている時に 肉親が悲しんだり 苦しんだりする様子を考えたら 思い止まれる。

両親が離婚し 反抗期をそのまま引きずって 生きていても楽しいことがないし
いつ死んでも構わないと思っていた頃があった。
車を運転していて このままどこかにぶつかって・・なんてふと考えることもあったけど
母が 妹がどうするんだろう?と考えると とてもそんなことはできなかった。

あの先生はこう言うことを言っていたのだ・・と その時に理解したのかも。
自分の為だけに生きているのではないということを教えてくれた。

罪を犯してしまっても・・・・期待を裏切ってしまっても・・・
どんなに喧嘩をしていても 理解してくれない親だと思っていても
最後に頼るところは母親だっただろうに。

その気持ちを自ら壊して出てしまうということは 死ぬことへの歯止めを失っていたことになる。
ただ自転車で走ることしかできなかったのではなかったかと思うと哀れに思えて来る。

親は叱咤はしても 子を憎むことはない・・・・
いつか親になった日 そのことを知るけど
わかっているのかいないのか 狭間で揺れる年齢が17才なのかも知れない。

親は子供に対して無条件に手を差し伸べることができるということ
いつもそういう気持ちであることを伝えておく必要があるのかも知れないと思う。



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