ある日の放課後、いつものように山葉堂でワッフルをとばかりに集まった学生たちは、そこで閉じたままのシャッターを見た。シャッターのど真ん中には『しばらくの間休業』とだけ書いてある張り紙が貼られているだけである。
 ある者は、ただ単に休みなのかと思っただけであり、またある者は急な休業の理由を訝しみ、またある者は代わりの店はどこになるだろうかと思案していたが、それらのどれであったとしても、それ以上店の前にいても仕方のないことであるという一応の結論を得て、ひとり、またひとりと去り、最終的に山葉堂前は、ただ単に流れる景色として埋没することになった。

 が、彼らは最初から最後まで、ひとり立ち尽くす女生徒の姿に気付かなかったのである。



『里村茜の 動 揺 』



「なあ、七瀬」
「なによ」
「最近の茜、なんかおかしくないか?」
「は?」
「……いや、お前に聞いた俺が馬鹿だった」
「どーいう意味よ、それ」
 珍しく、対遅刻マラソンに陥らなかった折原浩平は、ふへぇと気の抜けたため息をついて、すぐ前の席の七瀬留美に睨まれた。
「なに、何の話? 浩平」
 そこへ、珍しく余裕を持って登校できたため、上機嫌の長森瑞佳が会話に加わる。
「いやだから、最近茜がなんか変だって話」
「あ……そういえば、そうだね」
 口元に手をやって、こくこくと頷く瑞佳。その側で、どーせあたしはにぶいわよっと、留美がひとり拗ねている。
「昨日なんて、下履きのまま校舎に入っちゃったもんね」
「一昨日の昼休みの方がひどかった。男子トイレに入ってきたんだぜ?」
 中に入っていた男子(含む浩平)がいっせいに悲鳴をあげたのは言うまでもない。
「何か里村さんに悪戯でもしたんじゃないの? 折原」
「俺はしてない」
「本当に?」
「ああ。七瀬みたいに何してもその腕力で跳ね返すほどタフじゃないしな。茜は」
「ふんっ!」
 思いっきり留美にはたかれる浩平。平手でなく拳というのが、実に留美らしい。
「ふぉれみろ……」
 腫れた頬を抑えて浩平が指摘するが、留美はそれを無視して、
「とにかく、最近里村さんの様子がおかしいって事よね?」
 と、瑞佳に確認を取った。
「うん。まるで心が此処にあらずって感じかな……」
「まるで恋する乙女ね」
「間違っている上に迷惑だっての」
 そう浩平がぼやいた時である。
 ガラリ、と教室のドアが開いた。すぐさま目に入るのは特徴的な大きなお下げ。
 今までの話題の人物、里村茜である。少しうつむき加減で、顔がよく見えなかったが、浩平は片手をあげて、
「よう、あかっ――!」
 舌を噛んだかのように言葉を詰まらせて、そのまま硬直した。
 背中で、留美と瑞佳が揃って硬直しているのが気配でわかる。
「お早うございます。浩平」
 そんな三人を全く意に介せず、茜はそのまま自分の席に歩いて行った。
 彼女が教室を進むにつれクラスメイトたちが、ざわ……、ざわ……、とどよめく。
 無理もない。
 茜は、宴会か何かで使う、あの鼻眼鏡をかけていた。しかもちょび髭付きである
「……ひょっとして、ギャグのつもりか? あれ――」
「あたしに訊かないでよ」
 やっと硬直の解けた浩平の問いに対し、同じく硬直から解けた留美が返す。
「さ、最近の流行かも」
「んなわけあるかい」
 一生懸命考えたと言った感じである瑞佳の回答を、即座に浩平は否定した。第一瑞佳に負けず劣らず、茜も流行には疎い。
 そもそも、浩平には心当たりがある。
「オイ、下手人」
「はいはい。なに?」
 うわぁ、と瑞佳が飛び退いた。いつの間にか、浩平の席の隣に柚木詩子がいたのである。
「昨日、茜の家に泊まっただろ」
「うん。泊まったよ」
「ついでに朝、悪戯しただろ」
「うん。ただ、上手くいきすぎたね」
 いまだ鼻眼鏡をかけている茜を見やる。
「まっさか、学校につくまで気付かないとは思ってなかったよ」
 おずおずと話しかけた前の席の南により、茜はやっと気付いたらしい。手早く眼鏡を外すと、そのままキッと浩平――ではなく隣の詩子を睨み、すぐに視線を前に戻した。
「……なんか、心当たりないか?」
「う〜ん、あるにはあるけど。ただ、茜から直接訊いた方がいいんじゃない?」



 ■ ■ ■



 そして、二限目。
 浩平は、茜から直接聞き出せずにいた。
 それというのも、いつもなら疎通率100%を誇るアイコンタクトが全く効かないのである。
 それに、普段とは全く違う茜を見られるということも加わって、今ではやばいことにならない限り様子見ということにしている。
 それにしても、今日は今まで一番変だった。
 一限目の英語では教師の質問にフランス語で答え(どこで覚えたのか極めて謎である)、
 二限目の世界史ではイタリア半島と房総半島を間違えた(なんで世界史で房総なのか激しく謎である)。
 一体、何がどうしたんだか。
 頬杖を付きながら、茜を見る。と、
 二限目終了のチャイムが鳴った。
「起立。――礼」
 たまたま日直だった瑞佳の声に合わせて立ち上がり頭を下げるついでに座る。次の科目は数学。はっきり言って、眠いだけの授業である。
 心地良い睡眠のために、先にトイレにでも行っておくか。そう思って浩平が再び立ち上がろうとした。
 その時である。
 立ったままだった茜が、おもむろにセーターを脱いだ。
 この時、教室にいた誰もが、暑くなって脱いだのだろうと思っていた。
 が、綺麗に畳んだセーターを机に置いた後、リボンを外した段階で、誰もが頭に疑問符を浮かべた。最初から注視していた浩平は少し腰を浮かし、留美はそんな浩平と茜を訝しげに見比べ、瑞佳は嫌な予感でもしたのか、ゆっくりと茜に近づいている。
 そして、クラス中の視線が集まっている中、全くそれが見えてないといった感じで茜は、

 あっさりと、上着を脱いだ。

 心配そうに茜を見ていた前の席の南が、鼻血を吹いて倒れた。
 浩平がロケットのように飛び出し、遅れて男子が総立ちになる。
「うわわわわぁ!」
 訳のわからない叫び声をあげて、瑞佳が慌てて茜に駆け寄る。彼女はそのままセーターだけを手早く脱ぐと、素早く羽織らせた。
 露出時間、およそ7秒。なぜか記録を取っていた住井の貴重な証言である。
 また、ある男子――匿名希望。女子にボコられたくないため――はこう述懐している。
 淡い、ピンク色でした――と。
「カメラ片付けなさいよ、カメラっ」
 一斉にカメラを取り出した、アホな男子共に、留美が一喝した。ついでに両腕も唸り、シャッターを切ろうとした男子を叩き飛ばす。そいつらを助けようとした他の男子は、留美に加勢し始めた女子に阻まれ……ここに、教室全体を巻き込んだ壮絶なバトルロワイヤルが始まってしまった。
「長森っ、茜から目を離すなっ!」
 と、男女ともどもにもみくちゃにされながら浩平が叫び、
「大丈夫っ、ちゃんと確保しているよーっ!」
 と、茜を庇いながら瑞佳が叫ぶ。
 そして、ことの元凶となった茜はというと、
「どうしたんです? 長森さん」
 現状を把握出来ていなかった。
「それはこっちの台詞だよっ。どうしたの、里村さん!?」
 瑞佳の声が予想以上に高かったせいか、一瞬戦場が静かになる。皆が見守る中、茜はやはり周りが見えていない感じで、
「次、体育ですから」
「体育は次の次だよ!」
「後ね、」
 と、留美が引き継ぐ。
「男子が山のようにいるんだけど」
 そこからが、見物だった。
 ゆで蛸のように真っ赤になった茜はガッと上着を引っ掴み、ダッと教室を飛び出そうとする。
「里村さん!」
 あまりのことに眼を白黒している瑞佳の代わりに留美が叫び、
「茜! そのまんま外に出たらさらにまずいっ!」
 浩平も叫んで、団子状態のクラスメイトをかき分け、手を伸ばす。いまだに茜はセーターを羽織っているだけであり、袖を通していない。そんな状態で走るものだから、その……目のやり場に困る訳である。
 そんな茜に、浩平の声が聞こえたのかどうかはわからない。
 ただ、浩平の手は届かず、勢いのついていた茜は教室のドアを――、
 ――開けられず、そのまま頭からドアに激突した。
 ドコン、と景気の良い音が鳴る。
 それを見ていた、すべての人間が停止した。ついでに思考も停止する。
「……どうすればいいんだ」
 と、そのままくずれ落ちた茜を見ながら浩平。
「……そんなこと言われても」
 と、自分が痛そうに両手で頭を押さえながら瑞佳。
「とりあえず、保健室に運んできてあげなさいよ」
 と、留美。同時に没収したカメラから、次々とメモリーカードを抜いていく。
「あ、ああ」
 当惑気味なまま、浩平が茜を助け起こす。すると、
「う――うん……」
「お。だ、大丈夫か? 茜」
「……浩平?」
 茜はきょとんとしたまま浩平を見上げると、軽く頭を振った。やはり痛かったらしい。
「なあ、一体どうしたんだ?」
「……え?」
「え、じゃなくて。此処最近の茜、なんか変だぞ。特に今日は極め付けだ」
 いっせいに頷く、クラスメイト一同。
「そう、ですか……?」
「そーだよ。一体何があった」
「……なんでもないです」
「嘘つくな。俺は茜の嘘だけはわかるんだぞ」
「浩平……」
 茜の頬にぱっと紅が散る。後ろで、男子数名と留美が砂を吐いた。
「わかりました。……どうにもならないことですけど……言います……」
「おう。言っちゃえ言っちゃえ――って、茜!?」
 どーんと構えてた浩平だが、涙を目に浮かべ始めた茜に、3秒も持たない。そんな彼を、茜は見上げたまま、
「山葉堂が……潰れるって噂を聞いて」
「…………はい?」
「……心配なんです」
 浩平の顔が、ピカソになった。みれば、瑞佳と留美がダリになっている。その他のクラスメイトも、皆思い思い抽象派な顔立ちになっていた。


 この日の三限目、冒頭。
 予鈴ギリギリにやってきた数学教師は、オブジェと化した生徒達と、前衛芸術と言えなくもないとっ散らかった机とを展示する美術館と化した教室の中を一目見るなり親指を廊下に突き出して、
 浩平達のクラスはことごとく立たされることになった。
 で、ことの原因となった山葉堂であるが。
 その日からかっちり二日後に、何事もなかったかのように営業を再開した。どうも、厨房の改装を行っていたらしい。

 張り紙にでも書いてくれればよかったのに……とは、ほかならぬ茜の弁である。




Fin.






あとがき


 久々に茜を書いたら、なんか変なオチになってしまいました。ちょっとエッチだし;

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