the great No.5

kinkiの宝 fujii AWS goro ちゃん

(NB250cc #6:2001年 #65:2000年


(悟朗ちゃん離陸するの図:スズキオートランド生駒 3連手前のテーブル)

 彼に出会ったのはいつごろだろう。まだ1年経ってないと思う。場所ははっきり覚えている。生駒である。先に話しかけたのはどっちだったろう。よく覚えていない。
 当時の私は、ようやく少し社交的になり始めたかどうかといった程度だったので、多分彼が話しかけてくれたのだろう。その時の会話の内容もよく覚えていない。覚えているのは、確か彼はその時既に私のことを知っていたということと、とても楽しくて思いの他長いことしゃべっていたことである。

 その後もコースで顔を会わす度に話すようになり、ある時など、練習終了後も真っ暗な中、夜8時ごろまで話し込んでいたような気がする。その後も榊原のレース前日の練習など、いろんなところで世話になった。

 彼はどんなときも明るく、周りの雰囲気まで明るくする力をもっている。無邪気な明るさ、一見そんな感じだが、それはきっと幾多の試練に裏打ちされたものである。彼のことを深く知っているわけではないが、そんな気がしてしまう。


(悟朗ちゃん飛ぶの図:スズキオートランド生駒 3連手前のテーブル)

 彼はベストテクライダーである。渡辺明先生のスクールに何度も通っているようで、matsuoさんバリのフォームを持っている。もちろん、ハンドルもベストテクバーである。以前から彼の走りはとても綺麗だった。NAに昇格してくれることを期待していたが、2000年に実現させることはできなかった。人がよいせいか、淡々とした走りで、気迫に欠けていた。まあ、人それぞれMX(特にレース)の取り組みには違いがあるものなのだろうと納得しかけていた。

 が、先日生駒へ練習を見に行ったとき、彼の走りは変わっていた。気迫というか自信というか、ともかくやる気がみなぎっているような走りだった。アクセルの開け方が変わっていた。躊躇している感じがなくなった。が、もともとテクニックはかなりのものを持っているので危なげはない。
 IBライダーについていこうとする姿勢が、そこにはあった。


(しびれるコーナーリングの図:スズキオートランド生駒 第1コーナー)

 さて、彼は唯一コース上において我がHP、J.D.M.'s spiritを宣伝してくれているライダーでもある。彼のマシンのスイングアームにはボロボロになったステッカーを今も貼ってくれていた。貼ったからといって何のサポートがあるわけでもないが、それでも剥がさず貼ってくれているところが悟朗ちゃんである(ちなみに彼は本来、結構格好にはうるさいはず)。それどころか、怪我が長引き凹んでいる私を会う度に励ましてくれる。要するにこっちがサポートしてもらっているのである。


(IBにアタックするの図:スズキオートランド生駒 フィニッシュ横180度バンク)

 最近、彼の親友のthe great No.4 matsuoさんが怪我をしてしまったが、悟朗ちゃんの力でいつの間にか直ってしまうことだろう。

 彼の大活躍を期待したいが、それ以上に、怪我のないことを祈りたい。