マグラの草子

(11月分)

 


11月30日(日) エンジンパワーがONかOFFになってしまいます。(無理したらクラッチすぐ終わる --;)

 で、今日もKX125で下市です。コースは思いのほかマッドで、ラインをトレースできないと、何やってるか分からない状態になります。

 でも、午後からは、それなりに楽しめるコンディションになり、ビッグダブル前の左バンク等を満喫しました。kanatani師匠に勝負を挑んだりもしましたし。

 ただ、エンジンが不調で、クラッチが滑っている雰囲気だったので、クラッチスプリングを交換。ましにはなりましたが、なんか変。どうもまたシリンダーヘッドから冷却水が燃焼室に入り込んでいるようです。今朝、なかなかエンジンがかからなかったし。

 なので、帰宅と同時に整備。ピストンリングとシリンダーヘッドのOリングを交換しました。結構時間かかったので、組みあがってはいませんが。

 フォークオイルが左右ともだだ漏れで、ブレーキがほとんどききません。リアブレーキも、別の事情によりきき悪い。リアショックも、既に窒素ガス抜けていたようです。(昨日、同じガレージの方に充填してもらったら、いきなり動きが変わりましたもん)

 シール等の部品はいっぱいあるので、足回りも早急に整備せねば。

 来週は、気持ちよく乗れるのかなあ。



11月29日(土) 最近のお気に入りは、やはりアンジェラ・アキのOne Melodyです。(なんというせつない歌なんでしょう)

 2週間目もちゃんと出社しました。どうしても必要だった日は残業もしましたし。

 ほんで、結局通常出社開始時点で「こういう本来の業務を今回のような特殊な休み中に詰めて考えるのは間違ってる。こういう負荷のかかることこそ、通常の出社状態で考える余裕を持つようにしなければならないのだ」と考えて、結局出社後1週間経っても真剣に考えていなかった「今の自分がすべき最大の仕事」も、とうとう昨日の部署内の会議で実行しました。

 「社内で、私しか提起できない、そもそも自分もそれを推進していた、しかしもう完全に動き出して止められない方針について、問題提起し、大雑把な対策を提示する」という内容です。

 そのかわり、その最も重要な業務を遂行するためには、今まで最優先事項としてやっていた業務は、到底自分にはできないし、既に私がやるべき段階ではなくなっているので、テーマの担当者から外してくれという希望も出しました。

 問題提起をしたからには、今後、今まで以上にプレッシャーを感じながら非常にしんどい目に遭うかもしれません。

 でも、一番心配していたのは、「提起した問題をみんなに『些細なこと』としてしか捉えてもらえず、『じゃあ、そんな会社に自分は居る必要がない』と感じて、無気力化してしまう」ことだったのですが、それは免れました。そしてこういう時、やっぱり自分が普段から好きな先輩というのは、真剣にその心配事を受け止めてくれました。

 こういう先輩、後輩が居る限りは、やっぱりいい加減なことはしたくないです。

 私生活の方は、また鬱病チックな状態に突入しそうになっていたのですが、こちらもなんとか逃れられそうです。

 で、今日はゆっくり寝て、昼から車を洗車してバリアスコートていうのをやり(これって、中身がどんなもんか分かるので、会社の備品使えばすぐ出来そう ^^;)、常時ハンドル装着車をYZFからKXに変え、KXのリアタイヤの向きを変え、YZFからガソリンを抜きました。(タンクよりキャブから抜かなあかんやろと思いましたが、よく見たらキャブは今ないのだった。^^; ちなみに、YZFは今現在、欲しいという方が1名既にいらっしゃいます)

 KXですが、よく見たら、リアのブレーキディスクが、今にも折れるんじゃないかというぐらい磨耗していました。

 しかし、それでもKXは捨てられんのよね。(^^;





11月23日(日) 時間がないので、無理して連続で走ったら、やっぱり胸(肺?)がしんどくなってしまった。(--)

 ダラダラ起きて下市に行こうとKX125を積もうとすると、ハンドルが動きません。(てか、今現在メインのマシンになっているのに、スペースの関係でガレージ内ではハンドルは装着されておりません。さっさと450のハンドルを外して、扱いを逆転させねば)

 「?」と思いつつステアリングヘッドを見ると、シールが浮き上がって5mmぐらいの隙間ができております。

 ここでやるよりはと下市に向かいますが、渋滞。到着と同時にステアリングヘッドを分解。先週のマッドコンディションと洗車で、ヘッドベアリングは大量の砂と泥水で錆錆。(TT)

 そんなこんなで走行開始は14:00。

 コースはマッドのところもあるものの、基本的に非常に走りやすく、ソフトなおかげで轍が適度に出来てて面白い。特に先週レースでこけたビッグダブル前のレール風左バンクが最高に楽しい。トリプル手前の左の轍や、逆バンクの轍や0コーナーの轍(これらは難しいが)も楽しい。特にトリプル手前は、小さな4連ジャンプをどちらもやや寝かした状態で2個2個で飛びつつ、着地したら即轍の準備に入らないといけないので、その忙しさがなんとなくスーパークロスチック。(^^)

 で、逆バンクの轍を450では考えられないスピードで通過できてるので、「このスピードからなら125でも飛べるかも」とチャレンジ。見事どショート。(サスペンションのしょぼさのせいか、ショートした時の衝撃は125の方がきついですな。そのかわり、そこまでの衝撃がこないジャンプだと、よれててもかなり楽に耐えられるのですが)

 しかし、轍自体は毎回ハラハラドキドキしながら通過できてるので、「さっきは立ち上がりの硬いギャップで躊躇したからな。躊躇せずに行くか、座って飛んだらいけるやろ」と次周再びチャレンジ。さっきよりは距離伸びてるけど、まだ届かない。(また少し躊躇したし、立って飛んでしまったし) 着地の衝撃に耐えられる自信がないので、もうわけわからず、空中でエンジン吹かしまくってました。

 2回連続失敗して懲りたものの、でもやっぱり轍の中盤まではいい感じでいけるので毎回飛ぶ気でコーナー立ち上がりましたが、立ち上がりが難しくて、結局以後チャレンジせず。他のジャンプも含め、中途半端なジャンプばかりして、両手首が非常に痛いので。(たぶん、両方ともこの1年ほどの間に傷めたやつをひきずっていますな)

 最後はライバルmorimoto氏の後ろを走ってる時に、ここだけは頑張るぞと、ビッグダブル前のバンクを攻めたら、立ち上がり手前でマシンを抑えきれず、轍を乗り越えそうになり転倒。

 まあ、今日も怪我なく、しかも得意セクションで攻め過ぎてこけただけなので、ご機嫌で帰宅できました。

 あ〜、もう125最高!

 って、完全ドライだとこうはいかんような気がしますが(^^;

11月18日(火) 最後にいきつくのは250Fになるのか? (4stなんか出てこなかったらよかったのに・・・)

 昨日より通常出社しております。そのかわり、今週はリハビリと割り切って、書類整理とか、今やらんかったらもうやることなさそうな過去の遺産の整理などしかしておらず、当然、定時速攻で帰宅しております。

 あと、社内回覧物の中に、自社株の持ち株会(毎月\1,000単位の積み立て金を払って購入)の案内パンフレットがあって、よく見たら、出資金の8%が補助されるとのこと。8%とな!? と驚きまして、早速申し込み書をもらってきました。しかし、最近は自転車操業状態の家計(ここのところ、かなり金を使っていたので、今月末、来月末のクレジットカードの請求額を想像するのも恐ろしい)なので、そこにまわす金などあるのか?というところではあります。毎月の赤字をキャッシングで補填なんてことになったら、本末転倒ですから。

 まあ、何ヶ月か前から、社会情勢に興味を持つためにも、100万円ぐらいを元手に、株か外貨預金か国債購入かなんかしてみようかなあなんて、漠然と考えたりしてましたしね。

 まあ、うちの会社の株は、値上がりすることもなけりゃ、値下がりすることもないという感じのもんじゃないかと思うので、貯蓄代わりと考えれば大損することはなさそうだからええかなと。

 とまあ、堅実路線の考え方なんかもし始めてますから、大丈夫でしょう。

 そんなわけだし、KX125が非常に気持ちよく乗れたので、'08YZ450Fもだんだんと真剣に売りたくなってきました。

 いろんな意味で、このバイクを持ち続けるのは、自分には贅沢すぎると感じるもので。

 売るとしたら40万円ぐらいですかねえ。

 もし興味のある方がいらっしゃいましたら、ご連絡下さい。

 まあ、ホントに売るかどうかは分かりませんが。

 だって、このバイクじゃないと、現状、トリプルジャンプは飛べませんから。(--;;;;







11月16日(日) いや〜、KX125最高!

 そして雨の下市にやって来ました。ウエスタンに出たいということではないのですが、下市以外走りたくないのよね、なんとなく。

 予報、大外れで、かなりの雨です。

 おかげで、路面はシャバシャバで、結構走りやすいし、125向きでもあります。おかげで、公式練習から全開!

 オーバー30に出ましたが、当日エントリーの私がいなかったら、不成立の5台。しかし、全員国際B級。特にランキングトップのライダーは、オヤジだけどオヤジじゃない経歴を持つライダーです。

 ヒート1、1速スタート。最下位。しかもいきなり離されていきます。なんとか単独最下位にならんように頑張ってたら、前のライダーが転倒して、4位に。よしよしと走ってたら、公式練習ではうまく走れていたビッグダブル手前のバンクで転倒。手も体もびしょびしょ。復帰する間に再び最下位。必死こいて走りましたが、結局最下位のままゴール。

 なんで絶好調のオレが最下位やねん!って腹立ってしょうがありませんでした。近畿選手権より悔しい。

 ヒート2。硬い路面が出てる轍を選び2速スタート。今度こそスタートで前に出るべく気合を入れましたが、やはり出遅れ、1コーナーに到達する以前に既に視界がほとんどゼロ。

 またもやいきなり離されていきますが、1周目に前のライダーが転倒。黙々と走っていたら、ランキングトップのライダーがコースアウト。いきなり3位です。(どんだけ少ないねん!)
結局その順位のままゴール。

 総合4位で、なんと賞状と副賞までもらいました。(ええんか?こんなんで?)

 まあしかし、走りは終始よかったので、これが実力ですかね。

 怪我せんでよかったわ。2週間も会社休んで、怪我したら、立場ありませんもん。(^^;





11月15日(土) '09CRF250のパワーにびびりました。450いらんやん。

 え〜、諸事情により、明日のウエスタン下市に出ることにしまして、本日はKX125で練習してきました。

 いや〜、たのし。(^^)/

 久々にMXというものをやったという感じです。

 速い遅いとかはこの際どうでもよいですが、飛べるジャンプが少ないということを除き、非常におもしろい。ジャンプも、ちょっとしたものを飛ぶのにも、かなりの緊張感を伴いますので、これもある意味おもしろい.

 で、450と比べて楽しいのが、なんとバンク(レール風)を使ったコーナーリング。特にタイトになればなるほど差が出ます。

 ライダー対マシンの重量比からか450は全く修正がきかず、入り口で決めたバンク角というかバランスが不適切だと、簡単に轍を乗り越えてしまったりするので、ものすごく慎重にならないといけないし、そもそも綺麗な弧を描く轍なんてあまりないから、結局途中で乱れてしまうのです。

 125だと、フラフラはするんだけど、フラフラしても簡単にはこけず、体力の消耗も少ない。450だと、ふらっときた時点で終わってるんですよね。

 重いものを寝かすって、厳しいんだなあと実感しました。

 あと、ジャンプをいっぱいいっぱいで飛んでるので、特に今日のやや滑りやすい路面だと、着地でよれてたりするんですが、結構耐えれてしまう。車に積み込むのも断然楽。

 ただ、ガスを食うのが難点?

 あと、キックが軽過ぎて、うまく蹴れません。(圧縮がなくなっているというものあるのかも)

 当分125に乗ろうかなあ。





11月14日(金) 450だと、凡人では完全にマシンに乗せられてる感じにしかならんのですよね。(--) それよか、そろそろ仕事のプランを・・・。

 いよいよ有休消化日も終わりです。めっちゃ短かったなあ。ただのゴロ寝なんて日は、この2週間近くの間に、2日ぐらいしかなかったし。

 ある意味、仕事行くよりしんどかったわ。(でももう、ストレスの原因が完全に明確になったので、大丈夫です)

 今日もとってもよい天気だったので、昨日に続き、念入りに毛布、タオルケット、寝袋等を干し、KX125の整備の続きもやり、最後は、アパートの自転車置き場(他の人の分も含めて)の掃除までやりました。

 疲れたので、既に飲んでおります。

 KX125は、結局以下の整備をやりました。

 ・リアブレーキフルードの補充(漏れてなくなっていた!)。
 ・エアクリーナ交換
 ・ミッションオイル交換
 ・キャブの掃除(ついでにMJを430→440に変更)
 ・クラッチワイヤー、アクセルワイヤー注油。アクセルホルダーの掃除。
 ・クランク室および燃焼室へのモリブデン混合オイル注入。
 ・ステッカーチューン。
 ・エンジンマウントボルトの締めなおし。
 ・外装磨き。
 ・振動ですぐ抜けるプラグキャップの締め付け。
 ・スポーク増し締め。
等です。

 びびったのが、リアサスがすかすかだったこと。慌てて、めいっぱいにアジャスター締めたら、今度は全くと言っていいぐらい動かない。

 1年強の間にエアが凝集されていた模様で、アジャスターを元どおりにしつつ、何度もストロークさせてるうちに、「まあこんなもんやろ。だいたい小排気量車は、サスペンションなんかこんなもんでよいのだ」てな感じに落ち着きました。

 さあ、このマシンで、「このマシンを速く走らせてるのはオレだ!」と感じながら走りたいです。(今でもそんなんできるかなあ--;)



11月13日(木) 今日は、やはりアンジェラ・アキの「On&On」がお気に入りです。

 これ以上ない快晴・無風・超快適温度&湿度の素晴らしい行楽日和の今日、午前中は掃除したり、mixiの某所で展開中の「MXの閉塞感なんとかせーや」的テーマについて真剣に意見したりしてました。

 で、午後からは、この日和にのんびりボケ〜っとしてる場合ではないということで、来客用の布団をマメに裏返しながら干したり、毛布を2枚洗ったり、タオルケットも洗ったりしつつ、KX125の整備の続きをしました。(忙し〜 ^^;)

 布団は、自分は寝たことないけど、ダブルやし、スペースはさらにあるから、父ちゃん母ちゃん、兄ちゃんオネエサン&健史、姉ちゃん、いつも帰省したら相手しに来てくれる従兄弟の義也、その他親類以外でも何でも誰でも、気が向いたり、困ったりしたらいつでも泊まりに来てや〜。そのかわり、グダグダ王子の異名をとる私の酒の相手をせんとあかんけど。(^^;

 ちなみに、うちの爺さんは、酒を飲んでない時は、超真人間やったらしいけど、酒飲んだら超グダグダやったらしいです。でも、グダグダなのは、真人間の裏返しなのですよ、自分の経験から考えても。だって、グダグダ爺さんの一番の被害者の婆さんが、いよいよ爺さんが死ぬ時の枕元で、「私もすぐに逝きますけんな」と、その時以外見たことのない表情で語りかけてたのを、今もはっきり思い出せますもん。そして、なぜそう言ったのか、なぜその後婆さんが、自分が死ぬその日の朝まで野良仕事をやり続けたのかも、はっきり分かります。

 ちなみに、爺さんのことをあまり誉めないし、平和主義と思われる婆さんが、当時を思い出しながら興奮ぎみに私に何度か語ってくれた印象的な話があります。

 「爺さんは、昔、部落の会合の席で、自分になぐりかかりそうになった相手をみんなの前で逆に投げ飛ばし、『オラをバカにすんなよ〜!』と叫んだと。」

 その話をするときの婆ちゃんの顔は、恋する乙女状態でした。(^^;

 で、近頃いいことばかり書いているうちの親父だって、神様か仏様みたいなとこばかりではないのですよ。(本人は、神様と苦しんでいる人の仲介を、押し付けにならないようにしながらやっているだけだと申しております)

 自分らのコロコロ変わる適当な都合を押し付けようとする、筋の通らない役人チックな人達に、必ず釘を刺し文句をタレる私の親父は、田舎のことですから、役人チックなものどもの陰湿な工作で、「あいつはボロだ」という噂をたてられようとも、彼らに対しては動じませんでしたが、家では、子供の私にさえ、その苛立ちをそのまましゃべっていました。(今思えば、やっぱりそれがウレシイんですが。子供ながらに、「オレの父ちゃん」をバカにするやつに腹が立ちましたし)

 いやいや、そうじゃなくて、人前でオナラをするなど当たり前の話やし、母ちゃんも全くいっしょに農業をやってるにも関わらず、炊事も洗濯も何もしない。農繁期以外は、誰よりも遅く起き、誰よりも早く寝る。(自分にしか出来ない力仕事等は、もちろんやってましたが)

 だからこそ好きなんだけど。

 その超平和主義のはずの父ちゃん、母ちゃんでも、私(私よりさらに人のよい兄貴にも)に、暴力を勧めたことがありました。

 小学生の頃、みんなに無視されいじめられ、「もう学校に行きたくない」と泣く私に、「パンチっていうのは、こうやってやるんや!」と教え、さらには、生きるための武術とも言える恐ろしい技まで伝授してくれました。もちろん、その当時は結局何もようせんかったし、人を殴ったことは何度かありますが、「恐ろしい技」は未だかつてやったことなどありませんけどね。

 まあそれはそれとして、今日はとうとう最後にKX125に1年数ヶ月ぶりに火を入れました。

 うぉ〜、めっちゃ興奮する〜!

 どうせ走らないし、自分も走れない。

 それでも興奮する。

 だって、このマシンは、自分の魂そのものですから。

 死ぬまで手放す気はありません。

 (譲りたいヤツでも現れれば別ですけどね。CRはタダでやったし)




11月12日(水) のんびり、ボロボロの'05 KX125の整備してきました。(ハンドルぽん付けで乗れるはずやったのに、要整備箇所の多さにびっくり @@)

 実はですね。なんか最近、次々と人を不幸にしていってるような気がするんですよ。男も女も、会社もバイク友達も含め。
 で、それが、親父から「単なる事実、歴史」として昔から何度も聞かされた森永家のルーツを全ての人に隠していることに起因しているようで。

 隠しているのには当然理由があり、こんなことを書けば、「なんやこいつ。思い上がりやがって」とか、「アホかこいつ」と思われるのが必至と思われるからです。

 しかし、これまた思い上がりかもしれんけど、なんだか私が親父(その凄さを認識できないままに)を超えようともがいて挫折していたのと同じようなことが、私を超えようとしながら私を慕ってくれている方を挫折させているような気がするに至りまして、ここは大恥かいて、逆にみんなに軽蔑される恐れがあることを認識した上で、あえて「単なる事実」として念のために書いておくべきかと。

 うちの家は、うちの甥っ子で26代目となる家らしいです。今となっては、それをトレースできるのかと言われるとできないでしょうが、未だ朽ち果てることのない先祖代々の墓の数とその場所等がそれを暗に証明していると言えます。

 26代目ですよ。1代20年と考えたとして、約500年前まで素性をさかのぼれるということですよ。世間を牛耳るXX財閥などの現在の当主が15代であったり、日本で最も伝統あると考えられる天皇家でさえ、まだ2000年の歴史がないであろう中で。

 世間の方がまだ苗字を名乗ることを許されていなかった時代に苗字帯刀を許され、神主のような立場を勤めていたと聞きます。よって、今墓が存在する場所は、現在の森永家の私有地ではなく、部落の氏神様を祭った神社の敷地内にあると聞いております。
そして、爺さんの代の半ばまでは、労働者の方を雇っていた実際に裕福な家であったけど、農地改革のせいでGHQに土地を取り上げられ、今の状態になったそうです。

 24代目の跡継ぎが、次々と事故、病気で幼逝する中、23代目である爺さん婆さんが、最後にその氏神様にすがり、「この子は神様に差し上げます。どうかお守り下さいまし」とお願いし、食うものがない戦前戦後に生まれ育った24代目が、今私が「生神様か?」と崇める私の親父なのです。当時の幼い親父が、周りは食うものがない貧乏人ばかりの中で、一人この上ない愛情と好待遇を受けて育ったか。それは、人並み外れた超人的体格・体力を有しつつ、その力をただの一度も暴力としてふるったことがないことで分かります。学校に行ったら、弁当の時間に『本で自分の手元口元を隠し、弁当を食べているふりをしていた友達がいた』とか『弁当の時間になると教室から出ていく友達がいた』というような話を幼い頃に聞かされました。友達の前で味わった自分の待遇の申し訳なさを、一生忘れられないからこそ、今もその恩返しを誰かにするつもりで生きているのでしょう。

 バカな人をバカにするなという教えが、最終的に、誰を非難することをタブーと言っていることなのか、また、財産をお前にはやらんと幼い頃から繰り返し私の頭に叩き込もうとしたのは、なぜなのか。

 それらが、今となってははっきり分かります。

 一時、本当に裕福な人は田舎に居て、都会に出てきている人は要するにその恩恵に預かれない人だと考えたことがありました。それは今も変わりませんが、今は本当の裕福の意味の解釈が変わりました。自分の子孫が末代まで暮らせるように、財産を食いつぶすことなく質素な生活をし、子孫の誰もが親族以外も含め、誰とも食いつぶしあうことなく暮らしていくための術を「伝統として伝授できる」。そういうことだと思いました。そして、現実に、人生の半ばで外圧によって価値観の変更を迫られた爺さんの時代に、その方針が色濃く変更されたのだと思います。

 そして神様の子として育てられた親父に、親父自身の情緒が安定した人生の半ば以降に、(私が跡取りでないことを哀れみ)自分が受けた愛情をも超える愛情を注ぎ込んで育ててくれたのが私なのです。(実際子供の頃、とある親子で参加する野外活動の際、友達から妬みを込めてうらやましがられたことがありました。子供は正直です)

 その私が、ふにゃふにゃしたごく普通の信念のもとに動いているはずがありません。私が持つ信念には、そのルーツで明らかにされる確固たる根拠があるのです。それを自分が意識できているか否かに関わらず。

 その信念とは何か? ここのところ、危うく死ぬかという状況から救ってくれた友達たちのおかげで意識化できました。

 一言で言えば、私は「誠意の塊」です。

 誠意とは、他人を欺かない、他人の好意を無駄にしない、自分のついたウソさえも相手のために死ぬまで貫き通し真実に変えてしまう覚悟、そして、私の名前の通り、「清く司る」こと。(これは親父ではなく、爺さんがつけてくれた)

 したがって、「誠意」というこの一点において、そんじょそこらの方が私を超えようとしても、容易なことではないのです。それは、動物としての本能をも封じることが出来るまでに訓練され、第2の本能としてインプットされているからです。

 しかし、それは、そのような環境に育ったものにしか持ち得ないのか? そのような環境に育つことができなかった方は、私を上回る誠意を持てないのか?

 それは違います。

 例えば、先日私がある方に「神様のような匂い」を感じたことから分かります。このような方は、おそらく自分の命を絶って懺悔したいほどの苦しみを味わった結果、その誠意を獲得されたのだと思います。

 以上、私の存在意義が「誠意」という一点にあり、それは、私の場合特殊な環境から与えられたものであるということを、私を慕ってくれつつ、私を誠意の点で超えられず苦しんでしまう方に知って欲しくて書きました。
 (もちろん、人の存在意義は、誠意にだけあるのではありませんし、それらは私はあまり持っていないでしょう)





 なお、自分のため、手抜きせずにフォローしますと。

 「神様のような匂いがする方」だけが私にとってNo.1の親友なのか? というと、そうではなく、No.1の親友はもっといっぱいいると言える、というか居る。

 友達の人間性を見た時、それぞれみな個性があり、「それぞれの人の個性」といういっぱい存在する尺度で見た時、10人の親友が居たら、10人ともNo.1の親友と言って矛盾がないはずです。

 ・なんとなく最後までいっしょに居て欲しいという意味でNo.1
 ・一番言いにくいことを相談できるNo.1
 ・何でも気軽に相談できるNo.1
 ・自分がどんな状態であっても自分を信用してくれるであろうNo.1

 など。

 そして、1人しか親友がいないならば、それはそれで、その全てをその人が兼ねてるということでしょう。


 みんな、最後まで読んで不快感が残ってなければいいんだけど・・・。(--)



11月11日(火) 改造人間?

 精神状態はすっかり落ち着いて来たので、今週は体のケアに勤めるつもりです。風邪をひいているようでもあるし。

 昨日も今日も、昼寝をしたりなど、のんびり過ごしております。

 で、昨日会社の健康保険組合のいかついおっちゃん(バリバリの体育会系)に、「鬱病はさておき、私、数年前から胸が苦しくなる時があり、最近はとうとうそれが慢性化してきた」というようなことを相談したところ、「ワシもそうや。心配やったら循環器系で精密検査を受けろ。24時間の心電図計測等を入院なしで出来るから」と教えてもらい、ん〜、じゃあ、ちょうど今週は休みたおすのだから、今行ってみるのがベストと、早速近くの総合病院に行ってきました。

 循環器の専門医は、火曜の午前のみ診療のため、タイミングを逃してしまったのですが、受付で相談したところ、まず内科を受診すればよいということになり、夜診に行きました。

 期待以上に話を聞いてくれる先生で、さっそく「普通の心電図」、「24時間心電図計測装置の装着」をしてもらいました。よって今の私の体には、複数の電極とデータロガーが装着されています。明日、また夜診に行き、数週間後、「心エコー」とかいうのをやってもらいます。

 まあ、今日の心電図の結果では、異常ありませんとのことでした。

 毎日、よっぽど暇な生活してるんやろうと思われるかもしれませんが、これがそんなことはなく、今までした方がよかった「友達への小さなコミュニケーション」を、次々と思いつくままながら真剣にやっているので、意外と忙しいとすら言えるかも。

 あと、病気になる直前に中古で購入したアンジェラ・アキのCD2枚のうち、「MUSIC」と「This Love」って曲が今とても気に入ってて、掃除したり出かけたりしてるとき、常に聞いております。もう両方とも100回以上聞いていると思うけど、それでも気持ちがよい。

 食欲は、1回当たりは今まで以上のものを食ったりしていますが、3食食べるとまではいっておらず、また、まだ下痢ぎみなので、体重の増加はいまいちではあります。まあ、せっかくなので増えない方が嬉しいというのもあるが。

 肉体的には、食事回数が少ないせいで電池切れになる傾向はあるし、風邪によると思われる頭痛と微熱感と肩凝りはあるが、おおむね良好です。

 今週の予定としては、体のケアの他に、KX125の復活計画(こいつに乗って、当時はできなかった逆バンク後の座り飛びをやってみたい)、最後は、次週からの仕事のプランの立案です。

 そう考えると、もう火曜日っちゅうのは、あんまり余裕ないなあ。



11月9日(日) 今日は、帰りに大好きなパン屋に寄って、素直な気持ちを言ってあげました。めっちゃ喜ばれました。(^^)

 昨日は、「史上最大にバカバカしい、そしてそれがたまらなく楽しいMXレース、ごきもと」のお手伝いをすっぽかして、そんなものの存在など知る由もない、うちの部署のかわい子ちゃんを連れて、見学に行きました。

 何がバカバカしいって、あのポニョスタート。敵のみならず自分の戦意をも喪失させる様は、あの「酔拳」をもはるかに超える、格闘技の奥義としか思えませんでした。

 だって、私まであっけにとられましたもん。

 さんざんMXをやって来たこの私でさえ終日めっちゃ楽しめました。一MX普及活動員として、見て解説するのに専念してみると、解説しがいのあるなんちゅー面白いレースなんやと思いました。

 その他にも、昨日今日と書きたいことは山ほどありますが、最近の日記はあまりにも長いので、はしょります。

 で、日曜日、一番嬉しかったのは、「スタッフ業務すっぽかしてるけど、でも昼ごはんはスタッフの方々と食べたいなあ」と思っていたのに、どこに居てるのか分からず、あきらめて連れて行ったコと2人で自分の車に戻って食べるかと思ってトボトボと歩いていたところ、国際A級iinuma君達が素早く私達を見つけて声をかけてくれ、席も用意して大歓迎してくれたこと。嬉しくてつい既に20歳を回っているiinuma君のことをみんなの前で『この子』よばわりしてしまったのだけど、気にせず、その後も大歓迎してくれていた。もちろん、私としても、「自分が狂ったようにレースに打ち込んでいたNA時代に、彼が大人しい中学生ぐらいながら、なぜか私(たぶん他のライダーにも)に挨拶をしてくれていた」ことをつい思い出すから出た言葉なのではあるが。

 あと、先週、飯を食えない私を、友達みんなが「大事なものは壊れないようにそっと持つ」の言葉通りにそっといたわりながらご飯を食べさせてくれたマグロの店に行きたくなって、食べて帰りました。

 昨日書いたたこ焼きのことと同じ心境で。

 先週もおいしいと思ったけど、今日は今日でまたおいしかった。てか、たぶんこの店単純においしいですね。(^^)

 で、本日月曜日は、宣言通り出社しました。ただし、「今日は仕事をしに来たのではない!」との意思表示を明確にするため、制服に着替えないで、普段出張の時にしか着ないスーツのまま朝礼に出て、

 ・休んだ理由、
 ・休む理由を言わなかった理由、
 ・今日はこの後、対外的業務の処理と私用を済ませ次第また帰宅し、体調不十分なため、来週からの出社とすること、
 ・そして今日わざわざ出社したのが、怪我してそれを隠すために休んでいるのではなく、心の病で休んでいることを証明するためであること

を、予定通り一切の謝罪の言葉を交えることなく、淡々としかし適度に鋭く説明し、帰宅しました。(1時間以内に退社するつもりだったけど、結局半日滞在したのだが)

 心配させたくなかった方達や、不在の間の後輩へのフォローも忘れずやったつもり。

 というわけで、今週は体の復調に専念し、来週から出社するつもりです。






11月8日(土) やっぱ、オレ危ないかも。だって、タイトルに「結果報告」って書きながら、アップする前に推敲したら、肝心の「結果」が書かれてなかったもん。(--;;;;;;;;;

 友達の友達に紹介してもらった心療病院に、今日ようやく行ってきました。

 とりあえずまず、一発目に行くのはココ!っと紹介してもらっただけあって、めっちゃ丁寧に話を聞いてくれ、病人のはずの私が、「こんな調子でここはやっていけるのか?」と心配するほどでした。もし近畿圏内で、「なんかそれっぽいので、一度そういうところに行ってみたい」と思われる方は、連絡下さい。

 結果は、「鬱病ではない。他の精神病の疑いも極めて低い。心配することはないと思うが、ストレスでいろいろな症状が出てるのは間違いないようなので、軽い薬を出します。睡眠を十分とってください。もし再診が必要と感じても、ここは遠いので、次回からは保険所で地元の病院の情報を入手して、そこに行きなさい。保健所は、あそこの先生はこう、というような情報をいっぱい持ってますから」とのことでした。

 先生に丁寧にお礼を言い、帰り際には、スタッフの方に、「いらんことかもしれんけど、仏様みたいなめっちゃええ先生ですね。そこで働いているあなたがたも素晴らしい人達なんでしょう。来てよかった。頑張って下さい。」と言わずにはいられませんでした。

 んで、梅田に移動した後、なんか歩きたくなって、結果的に梅田から上本町まで、寄り道したりしながら帰りました。その時は、何かふっきれたような感じで歩いており(ようするにそれは、家でのんびり掃除してるのと同じ状態)、すると、今まで目にとまることもなかったことに、いろいろと目を引かれながら、いろいろとまた悟りを開くようなことをノンプレッシャーで考えながら歩けました。

 たとえば、都会のちょっとした紅葉の下で、彼女のポートレートを撮影するのに夢中なカップル。遊覧船が狙った場所を通るのを、橋の上でずっと待ち構えているカメラマン。今まで何も感じなかった道端の芸術品に目を奪われ撮影する私と、それを見て、立ち止まる老夫婦や、何この人?みたいな疑問の目で私を見るカップル。

 数え上げればきりがないが、人間ウォッチングが趣味か?てな状態で歩いていました。いろいろ考えながら。

 すると、ふと、奇妙な数人づつの集団に出会いました。一瞬、何かの宗教か?と思ったのですが、次の瞬間、この人達は宗教的行為をやってるんではないなと感じました。今日は何にでも興味を示してしまう私は、信号待ちしているその方々に歩みより、
 「失礼ですが、何かの体操をやっておられるのですか?」とたずねてみました。すると、
 「そうです。これは、体の使い方を見直すためのプログラムです。修行中なので、このままの姿勢で話させて頂きます。」となり、
 
 「やっぱりそうですか。何かそんな感じがしたんです」で、以下省略てな感じで、いきなり会話が弾んできて、
 「私は森永と申しまして、プロではありませんが、モトクロスというスポーツにかれこれ10年以上にわたりエネルギーを注ぎこんだものでして、近年はあなた方が探求されているようなことに興味を持っておりましたもので、ちょっと気になりまして」と言うと、

 「森永さんですか。私の名前はメイジです。」となり、私が
 「メイジさん? 私よく自己紹介すると、あ、明治? いやグリコ?」みたいな感じでよくいじられます、と言うと、笑いながら

 「いや、だからそのメイジなんです」てな会話を修行中の格好を保ったまま、インストラクターを養成するために指導中の先生が話されました。

 このままいきなり飲み会に突入していろいろお話を伺いたいところでしたが、なんせ先方は業務の途中ですから、

 「これも何かの縁のような気がします。もしかすると、今後あなたの教室にお世話になることがあるかもしれません。ちなみに私も、『森永、モトクロス』で検索したら、それっぽいページにたどり着くホームページをかれこれ8年もやっております。また何かの縁がございましたらよろしくお願いします」と伝えて、その場を立ち去りました。

 以上の会話は、出来すぎた話ではなく、本当に、「どんくさい私が、10年以上にわたりほとんど全エネルギーを注ぎ込んでモトクロスに注力した結果、ようやく頭と体の両方で、『センス』の正体の片鱗をつかんだ」と自負しているからこそ、あの方々の行為の意味を直感的に理解でき、成立したと思っています。大阪に来てもう15年になるが、こんなところを歩いたことなどほとんどないのに。

 その後、東急ハンズに寄って、前々からしたかった買い物を、直感でやり、その受け渡しの待ち時間に、姉ちゃんへの誕生日プレゼントを直感で選び、電池切れになったところで電車に乗って最寄駅まで帰宅。

 電池が切れたせいか、その頃には、朝と同じ憂鬱な精神・肉体状態になり、なんか食べないとやばいなあと思いつつも、やっぱり何も食べようという気にならない。

 ふと、「たこ焼き食べたいな。たこ焼きなら食べれる気がする」と安易な思いつきに身をまかせ、目の前のたこ焼き屋で500円分注文。注文してみたら、なんかこの場で食べてみたくなってきて、お店の前の道端の2人しか座れないベンチに一人で座って、道行く人を眺めたりしながらもぐもぐ食べてみます。最初は、見た瞬間「こりゃ、ここで全部は食べ切れませんね?」「そうですね」とめっちゃ若い店員さんと話していました。

 しかし、自分でも驚いたことに(たぶん、店員さんも、なんでこんな弱弱しい感じのおっさんが?とちょっと驚いたでしょう)、最後まで「うまいなこれ」と思いながら食べきれました。健康な時でも普通の人が一人で食べきれるような量じゃなかったはずだが。最後に素直な気持ちを言ってみたくなり、「食欲なくて困ってたんやけど、たこ焼きなら食べれるかなと思って食べたんやけど、そしたら全部食べれた。またそのうち来るわ」と若い店員さんたちに言うと、一人は「よかった」と素直な感想を返してくれ、もう一人は無言ながら、ニコニコしていた。

 まあ、そんなこんなで、今日は少なくとも3箇所で、素晴らしい方たちにお会いしました。

 いずれの方々も、仕事を単にお金をかせぐための手段と考えているとは到底思えない方達との印象を受けました。みなそれぞれに、その仕事がやりたくて、使命感(と言うとまるで自分を拘束するもののようなイメージがわくかもしれませんが、私の言う使命感というのは、全くその逆で、『だれかが背中を押している感じ』です)のようなものを感じながら、それを全うする心境で働いてはるんやろなあという感じ。

 最後は、「このたこ焼きを、もっと健康な時に食ったらどんな味なんやろう? 好きな人と2人で小さなベンチに座ってその場で食べたらどんな味なんやろう?」などど、未だかつて考えたことのないおめでたいことをふと真顔で想像してみたりしました。

 もちろん、今日も、さらなる悟りを開きました。ただ、それと体がすぐ復調するかどうかは、またちょっと別かも。(^^;




11月7日(金) 思わぬところで仲が深まるもんですな。

 昨日、使命を達成しようとする態度を、その態度を示すべき全員を集めて、とある飲み会の中で実行してきました。

 使命は一つではなく、この飲み会を発案する、幹事を決める、実行する、態度を示す、フォローする、さらなる使命があるか否か確認する、というステップ全てがそれぞれ使命なのです。

 使命であるからして、失敗してもよいのです。よいことはないが、したらしたでしょうがないのです。トライして失敗することが使命だったんであって、使命がなくなったと感じたら、その時はないのだから、また使命めいたことが浮かぶまでは、適当にやってればよい。
 
 「単にやりたいこと」、とかじゃなくて、「使命」として捉えることが出来たからこそ、ある種肩の力が抜け、一つ一つの使命が達成されるたびに無上の喜びを感じた。そして、最後に、昨日は完全に使命を全うしきったと感じた。その中で、ほんの少しのフォローをすべきだった相手に手を抜いてフォローしなかったために怒りをかって喧嘩になったが、最後は握手して帰ることができ、大成功に終わった。そして、使命の続きがあることも確認できた。

 そして道中、全く別の使命が自分にあることに気づき、それも実行した。結果的にそれをどう思われてもかまわない。使命だと思ったからしただけなので。

 不思議なもので、自分が病気であることを告白すると、次々と「実は私も・・・」みたいな方が現れてくる。もうこうなってくると、「鬱病じゃなかったら友達じゃない。鬱病じゃないやつは仲間はずれじゃ(笑)」ぐらいのおめでたさ加減で、鬱病というものを捉えられるかのような気すらしてきた。

 まあ、それは言い過ぎで、今の自分が軽症やからそんな安易なことが言えるのではあるが。

 しかし、軽症であれ自分が病気でなかったら、今まで自分の中だけの秘密にしていた人の苦しみを和らげてあげることなど、絶対にできなかったであろう。

 というより、できなかった実績が既にすぐ思いつく範囲でも2度はある。

 それ以外に、自分の周りで、今まで、鬱病ということになってる(あるいはオレにだけこっそり教えてくれた)人というのは2人しかいなかった。しかし、患者の一人から、実際には、サラリーマンの40%とかの人達が実際に鬱病の治療を受けているという事実を聞いた。
 今となっては、実はうちの会社にも隠して生活している人達がたくさんいるはずで、ぱっと考えただけでも、あの人とあの人は間違いなく鬱病の治療を受けているんやろうなあということを察知できた。

 みんないっしょか、と知るだけで気楽になるもんだ。

 不思議ですね。


11月6日(木) 親父が教えてくれたことは、全て真実やった。教えてくれたことがなぜ必要だったのかを実感した今は、感謝というよりただ尊敬するしかない。 

 実は私、今週月曜から理由を告げないままにただ「少なくとも今週1週間は休む!」と宣言し、毎日家(東大阪)でのんびり楽しみながら掃除をして暮らしておるところです。

 まだ医師の診断を受けていないので、今の段階で言うのもちょっと変かもしれませんが、私、仕事のストレスで鬱病になった模様で。(診察は土曜に予定)

 でも、ご心配なく。特に、父ちゃん、母ちゃん。
(自覚した時の状態はかなりやばく、自分も焦ったのですが、その後、神の思し召しとしか思えない展開が続いており、今まで無宗教的だった自分も、神様はホントにおるんかもしれんと感じたりしてるところです。僕にとって神様とは、あくまで「ご先祖様」って感じでした。となると、親父もまだ生きてるけどご先祖様なので、生神様となり、これも間違ってはいなかったことになる)

 土曜日に最悪の精神状態になり、それをバイク友達に囲まれながらの日曜日に思い出している最中、自覚しました。既に自分一人では食事を摂れなくなっており、体重はここ数日間で4kg近く減り、盆明けからのダイエットも含めると、7kgの減少です。自覚したら、「次のめまいが来た瞬間、自分はもう自意識を失うんじゃないか」と恐怖を感じました。そして、すぐ、自分の状態を知って欲しくて、目の前にいた友達に打ち明けました。この最初に打ち明けた方が、後で思えば、この時この人しか適任はおらんて感じの人(今思えば、なんかこの人も神様っぽい匂いがする)でした。おかげで、以後、友達みんなが助けてくれて、今、のんびりと休養しながら、こんな日記を打てておるわけです。

 親父は、小さなことは言わず、幼い頃から私に、同じようなことばかり繰り返し言い聞かせて、今思えば、私がそれを一生ほとんど呪文のごとく暗誦できるようにしてくれていたようです。

 「他人に可愛がられるような人間になれ」
 「貧乏人の気持ちが分かる人間になれ」
 「姉兄弟、仲ようせえ」
 「金、金言うな」
 等。

 ほんで、裕福でもないのに私を(地方国立程度のレベルと費用の)大学へ行かせようとし、
 「お前に財産は何もやらん。そのかわり、自分で生きていけるように、大学には行かせてやる。でも、バカな人をバカにするな。するんやったら、行かさん」と、当時世間知らずで、ちょっと出来のよい子供で、早く技術関係の仕事がしたくて、工業高校に行きたかった私には「別に行きたくないんやけど???」と思えることを繰り返し言っていました。

 ちなみに、私の推定では、うちは裕福ではないでしょうが、貧乏でもなく、財産を含めると世間一般から考えたら、資産がある方だと思います。
 しかし、うちの親父はいつも、穴だらけで股のゴムが伸びきりタマタマがほとんど丸見えの白のブリーフ一枚で、歩いて行ける範囲ならどこまでも出かけ、お客さんが来てもその格好で応対という、世間一般の常識では到底考えられないであろうことを平気でやっていました。

 今、なぜそんなことが出来ていたのか分かりました。

 あの人は、自分の存在価値(使命)にゆるぎないものを持っているので、何を誰に見られても平気なのだ。極端な話、そのブリーフ一枚すら邪魔だったと思う。タマタマがどうとか、そういうレベルの話じゃなく、自分の言動や、心の奥底まで全て。自分の姿を見られて何を言われても動じることはない。むしろ、自分を非難する人を哀れみ、可能ならよりよい方向へ導こうとするだろう。

 実際、僕が幼い頃は、宗教家の先生と信仰者の方々数名を招いて、座敷で月1回程度の集会を開き、集会後は必ず質素だが完全手作りの料理を出してもてなす(それは母ちゃんとか婆ちゃんとかがやっていたのだが)ということを当たり前にやっていた。
親戚の方々が、お盆等のたび、大きな家中にあふれかえるほど泊まりに来ても、家族全員がそれを喜びとして、質素だが完全手作りの品でもてなすということを当たり前にやっていた。

 そして、幼い頃からそれを当たり前のものとして見続けた私には、少なくとも自分の田舎のことについて振り返る限りは、無意識に発想が切り替わり、「それは当たり前のことというか、特に思い出す程のことでもない」としか受け取っていなかった。

 しかし今考えると、そこまでのことを喜びを感じながら常にやり続けている人など、他に見たことがない。

 年老いた最近は、「人の世は『愛』だ」みたいなことを満面の笑みで無邪気に繰り返し言っている。あまりにも無邪気そうな顔でそれを繰り返すので、「もう〜。分かった、分かった」みたいな、受け流すような気持ちでしか私は受け取っていなかった。

 しかし、あの人には、本当に愛があふれている。無尽蔵の愛が。


 ・・・・・・・・・・

 そして、自分が鬱病になった今、ふと、今の自分より少し年齢がいっていた時(僕が幼児で、ちょうどうちの大黒柱が世代交代の時期だった頃)、爺ちゃんがガンで倒れ、その後、今の私のような状態になったという話をしてくれたことを思い出した。そして、その後自分がとった行動も。

 社会人になって、挫折感を抱えながら帰省するたび、ただ黙ってオレが愚痴を言い始めるのを待ち、ただ聞き、糖尿病の治療を受けているのに酒の相手をし、何日間かの滞在中にそれとなく、その時には気づけない大事な自分の過去の経験談を話してくれたり、大好きなカラオケを一人でやるふりをして、歌にメッセージを込めてそっといたわってくれた。親父の歌は、常に私のために歌われていた。




 親父のようになりたいとずっと願いつつも、無理だと挫折感を何度も感じてきた。

 無理なのだ。親父とオレでは時代も環境も違う。それが全く同じ価値観で行動できるわけがない。ただ、それでも、誤ってはいけないことだけは、幼い頃に叩き込んでくれた。

 何でも素直に吸収できる幼児期に一生普遍のことだけを叩き込み、素直に吸収できない年齢に達したら、今度は、押し付けにならないよう、そ〜っと遠まわしに解決のヒントを与えてくれた。

 親父は、いつも田舎を発つ時に「危ないことは、すな」と今も言いながらも、後で「清司は、信用しとるから大丈夫だ」と、心配する母ちゃんに話しているという。

 そして、父ちゃん、母ちゃんともに、あんたには神様が決めたあんたの役目(使命)がある、と言っていた。


 今、ふと使命めいたことを感じている。僕にとっても、とてつもない大事なことなのかもしれないし、すぐに終わる些細な使命かもしれない。しかし、そういうものを感じた以上、やってみなくてはならない。

 ともかく、病気になったことで、今後の自分は変わると感じた。考え方が変わるとか、行動が変わるとかいうことではない。

 これからは、自分に自信を持てる。



 これが、鬱病のハイテンションから来た、病的な異常な思い上がりではなく、根拠のある自信であることは、全文を読んでくれた方には伝わると思う。

 人生において、意味のない時間などない。

 病気になってよかった。(^^)



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