大した事のない特集、第十二弾!!(01.02)
 

SEGAドリームキャスト生産中止果たしてセガの敗因は?(後編)

今回も長文。引き続き覚悟してね。


 今ひとつ、セガの不運を挙げるとすれば、底力のあるクリエイターに恵まれなかったという事だろう。

 無論セガも多くのヒットを放ったゲーム業界の雄であるから、鈴木、中、亙といった有名なクリエイターが存在する。しかし彼等は、任天堂の宮本、チュンソフトの中村、スクウェアの坂口といった長期間安定して活躍できるクリエイターと比較して、多少の見劣りがあった事は否めない。

 反論があるかもしれない。「ソニック」と「ナイツ」の中裕二、「バーチャロン」一発の亙はともかく、鈴木裕は長年セガのソフトを牽引してきた安定したクリエイターではないかと。

 残念ながら、鈴木裕氏は先に挙げた他のメーカーのクリエイター達と同列に並べることはできない。

 ここで、鈴木裕の作ったゲームを年代別に並べてみよう。(多少、発表年に誤差があるけど、許して。)

1985「ハングオン」
1986「スペースハリアー」
1987「アウトラン」
1988「アフターバーナー」
1989「G−LOC」
    「R360」
1991「バーチャレーシング」
1992「バーチャファイター」
1994「バーチャファイター2」
1996「バーチャファイター3」
1999「フェラーリF355チャレンジ」
2000「シェンムー第一章」

このラインナップを見て、いかがお感じになっただろうか。芳醇さや素朴さとは全く無縁の、シャープなタイトルばかりである。最後の2タイトルを除けばまず名作と呼んでもよいタイトル群ではあるが、作るゲームの傾向に大きな偏りがある。

 無論クリエイターの作る作品には一人一人偏向があって当然である。任天堂宮本氏なら「マリオブラザーズシリーズ」で一括りにすることができるし、チュンソフト中村氏ならば「ドアドア」から「シレン」に至るまでの流れを、なんとなく納得することが出来るだろう。それぞれ、クリエイターの醸しだす作品の色合いというものが良く分かる。

 しかし、それらの色とは別に、鈴木裕プロデュースのゲームには一定の傾向が見られるのだ。
 それは、常に技術的ブレイクスルーに寄りかかったゲーム作りをしているという事である。
 「ハングオン」では、大型筐体を動かして自車をコントロールする技術を採用した。
「スペースハリアー」では筐体シートを自機の操作に連動させるムービングシートを採用、さらにはスプライトの拡大縮小回転といった技術を用い始め、この二つの技術は「アフターバーナー」「R360」で頂点を極める事となる。
 「バーチャレーシング」ではモデル1と呼ばれる演算能力の高い基板を使用して、フォーミュラーカーの挙動を緻密に計算、またナムコのウイニングランに続いてフルポリゴンでの3Dレースゲームの世界を実現した。
 さらにこのモデル1基板とモーションキャプチャーの技術を組み合わせ、世界初の3Dポリゴン表現による格闘ゲームを開発。これが「バーチャファイター」である。
 さらにポリゴン性能を高めたモデル2基板が「バーチャファイター2」を産み、鈴木裕氏の盛名も頂点を極めた。

 こうして歴史を振り返ると、「筐体を動かしての自機操作」「ムービングシート」「スプライトの拡大縮小回転」「物理演算のできる高速プロセッサ」「ポリゴンによる3D表現」「モーションキャプチャーの使用」等々、技術的向上に乗っかったゲーム作りしか、鈴木裕氏はやっていないのだ。

「スーパーマリオ」「風来のシレン」等は時間がたってもなかなか色あせる度合いが少ないゲームだと言える。双方ともゲームの根源的な面白さを追及した作品であるからだ。「シレン」に至っては、コンピュータRPGの元祖「ローグ」が元ネタである。温故知新、普遍的な「面白さ」への追求がそこにはある。

 それに比べ、技術力のみに頼った鈴木裕氏のゲームは、時間の経過につれて新鮮味を失っていく事甚だしい。
「アフターバーナー」が、富士急ハイランドの「ガンダム・ザ・ライド」に臨場感と迫力で勝てるか。
「バーチャレーシング」が車の挙動のリアルさで「フェラーリF355チャレンジ」に敵うか。
「バーチャファイター」がその3D格闘ゲームとしての完成度で「ソウルキャリバー」に伍する事ができるか。

 鈴木裕氏の過去のゲームは、ノスタルジック以外の理由で再度プレイをする動機が見当たらないものばかりである。最新の技術で同じ物を作れば、確実にそれ以上の物が出来上がるはずだ。(これは「スペースハリアー」「アウトラン」をフェイバリットに思っている自分が言うのだ。)

 そして、技術革新が起きないと、鈴木裕氏は斬新なゲームを作りえないのだ。
 約10年前、ナムコの「ウイニングラン」を嚆矢として始まった3Dポリゴン化の波は「ドリームキャスト」と「プレイステーション2」で頂点を極めたかに見える。
 しかし、次世代のゲーム技術と目されるモノは未だに開発されていない。あるのは、ただポリゴン数をひたすら増やしていくだけの量的向上のみである。

 これは、ゲーム技術のブレイクスルーという追い風に乗って仕事をしてきた鈴木裕氏にとっては、全くの逆風だ。
 LSIの性能の向上とコストダウンによって新たに登場した技術を、ゲームという形にいち早く変換する名人、鈴木裕氏は、それがなければクリエイターとしての才能を著しく減殺されてしまうのだ。

 ポリゴン数がひたすら増加するだけ、という袋小路に陥ったゲーム技術の現状は、鈴木裕氏のゲーム開発にも変質をもたらした。

 それが結実した結果が「シェンムー」である・・・・。
鈴木裕は、「シェンムー」でたまたま失敗をしたのではない。現在のゲーム技術の状況が、彼をコケるべくしてコケさせたのだ。そしてそれこそが、鈴木裕のゲームクリエイターとしての限界であったとも言える。

 故横井軍平氏の有名な言葉に、「ゲーム(玩具)とは、枯れた技術の水平思考」というものがある。
 鈴木裕氏は、それに反して、「先端技術の垂直思考」でゲームを作り続けてきた人なのだ。それはそれで凄い事ではある。しかし、その姿は走りつづけてこそ美しかった。何故ならば、立ち止まった先端技術は、もはや先端ではないのだから。
 

次回、完結編! 今後のゲーム業界の展望。
 
 

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