大した事のない特集、第十二弾!!(01.02)
 

SEGAドリームキャスト生産中止果たしてセガの敗因は?(中編)

今回も長文。引き続き覚悟してね。


  同じゲーム業界に存在しながら、「ファイナルファンタジー」というタイトルの持つ重みが理解できず、無為無策のままセガサターンの後退を許したセガは、「ドラゴンクエスト」というもう一つのビッグタイトルも獲得できず、完全敗北への道を自ら切り開いた。

 もともと日本市場しか視野に入れていなかったセガサターンは、海外市場でも不振を極めた。これは、セガサターン用に主力キャラである「ソニック」等のアクションゲームに全く力をいれず、欧米の市場を軽視した結果、導き出されたものである。
 せっかくメガドライブ時代に欧米で培った「ソニック」人気を自らドブに捨て、立場をいっそう苦しくする事になる。
だから、「ナイツ」なんぞ作ってる場合じゃなかったのにー。ああいう冒険は、胸突き八丁の勝負どころで為す行いではない。

 プレイステーションは、「ファイナルファンタジー8」の開発も発表し、いよいよ地位を固めだす。
 「ファイナルファンタジー」「ドラゴンクエスト」という二大タイトルを失った任天堂は、全く底に沈むかと思われたのだが、「開発時間に6年間もかければ、誰だっていいゲームを作れるよ。」と任天堂スタッフが馬鹿にしていた「ポケットモンスター」に人気の火がついて、ゲームボーイで起死回生を果たす。ここらはツキのないセガと違って、神風としか思えない・・・。
 

 この八方塞がりのセガの状況に、まず「SOA」(セガオブアメリカ)が悲鳴をあげた。「ソニック」を主な武器としてプレイステーションを上回る機能を持ったハードを作ってくれ、と、強力に日本本社にプッシュをしたのだ。
 セガサターンはシェア競争でプレイステーションに敗れたとはいえ、日本国内でトータル数百万台の売上があり、ソフトを作りつづけるだけでも十分にペイすることは可能であった。
 しかし、SOAとアメリカ市場を見捨てることができなかったセガは、この要求を飲んで新機種の開発を立ち上げることになる。
 サターンの際は日本市場の事情が主導だったが、今度はアメリカ市場が主導の新機種開発である。
 このように欧米市場と日本市場の戦略が合致しないのがメガドライブ以来のセガの大問題となっていた。

 正直、ドリームキャスト発売の報を聞いたとき、自分は「あ、セガは終わったな。」と思ったものだ。せっかく数百万台売ったセガサターンを自ら「敗戦」と決め付けて、あっさり切り捨てるような愚を犯したからである。数百万台のユーザーに向けて,良質のゲームをこつこつと提供し、シェア争いの愚を捨てるならばセガにもまだまだ生き延びられる可能性はある、と自分は考えていたからだ。
 安易なハードのモデルチェンジは自らの命脈を縮める。SOAが無理な要求をするのなら、SOAを切る、くらいの大胆な戦略が必要ではなかったのか。

 もっとも、ゲーム業界でのトップシェアを目指すのであれば、「ファイナルファンタジー8」「ドラゴンクエスト7」といった強力ラインナップの発売を控え、容易にモデルチェンジに踏み切れないプレイステーションの機先を制するためには、1998年という発売時期は確かに妥当な選択と言えた。

 こうして、1998年11月末、セガの最終ハード、ドリームキャストはついに発売される。当初はプレステとの比較で自虐的な広告を展開し知名度もアップしたドリームキャストは、まずまずの人気を見せる。
 しかし、ここでセガに気の毒な現象が起きる。ドリームキャストのコアとも言うべきCPU、SH4と、グラフィックチップのPowerVR2が、それぞれ日立とNECの事情により十分に供給されなかったのだ。せっかく派手なCM広告を打ち、まずまず好調な売上を見せたドリームキャストであるが、十分な数が販売できずに、勢いの減殺を強いられる事となってしまった。

 さらには、発売直後に間に合ったキラータイトルは「バーチャファイター3」だけで、期待の「ソニックアドベンチャー」も「セガラリー」も発売時期はそれぞれ1〜2ヶ月延期されてしまった。
 

 このように、ハード、ソフト両面で失策を抱えたドリームキャストは、来るべき次世代プレイステーションに対して十分なマージンを稼ぐことが出来ずに1999年という年をただ漫然と送ってしまったのだ。そして恐怖の大王がやってきた。
 

「プレイステーション2、2000年3月21日発売決定!!」
ソニーという会社は本当にこの手の宣伝が上手で、ゲッペルスもかくやと思わせられる手腕を発揮する。効果的な時期に効果的な内容の広告を打ち、確実にライバルの反撃の芽を潰していく。

 さらには、ユーザーの保守化によって「ファイナルファンタジー」「ドラゴンクエスト」等の一部大作ソフトしか十分な売上を得ることが出来ず、いかにドリームキャストが良質で斬新なゲームソフトを作っても大多数が全く振り向かなくなってしまったのである。
 これはドリームキャストの危機というよりもゲーム業界全体の危機であるのだが、トップシェアを得たソニーと、「ポケモン」景気に沸く任天堂では、感知するとこが出来ないでいる。
 セガ一人のみが、このゲーム業界の危機を一人背負い込み、転げ落ちて行く。
 

 過去を振り返るに、セガハード戦争敗北の遠因はメガドライブ時代の欧米市場と日本市場のアンバランスに求められるとはいえ、直接的な原因となればやはり、1995年末から1997年初頭までのプレイステーションとのシェア競争に敗れたことが挙げられるだろう。
 セガは、スクウェアの「ファイナルファンタジー」一本に死命を制せられたのだ。
 同じゲーム業界に身を置きながら、「ファイナルファンタジー」の持つ大きな意味に気が付かなかったセガの愚かさは十分糾弾されてよいだろう。
 とにかく、エニックスにお百度参りをしてでも「ドラゴンクエスト」をセガは自陣営に引き込む必要性があったのだ。95年末から96年末の間にこれを実行できなかったセガは必敗の立場に立ったと言っても過言ではない。

 セガ、創業なかば成らずして、中道に崩そせり・・・・。
 

まだまだ続くよ、セガ特集!!
 

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