大した事のない特集、第十二弾!!(01.02)
SEGA、ドリームキャスト生産中止。果たしてセガの敗因は?(前編)
今回凄い長文。覚悟してね。
先日、かねてより噂のあったドリームキャストの生産中止が、セガより正式に発表された。ドリームキャストのソフト自体は今後も発売されていくそうだが、自ら死刑宣告を下したに等しいハードの命脈が、今後大して長くないであろうことは、何よりもセガの歴史がよく物語っている。セガが家庭用ゲームハードを作り始めて、今年で18年といったところか。あと2年頑張れば、晴れて20周年を迎えることができたというのに、矢折れ刀尽き、敢え無く撤退という事にあいなった。
今後業績がよほど好転しない限りは、セガが再び家庭用ゲームハードに着手することはまずないだろう。何よりもゲームハード作りというのはノウハウの塊なので、一度その流れを切ったセガが再び水準の高いハードを作ることができるのかどうか、疑問ではある。自分はゲームメーカーといえば、ソフト・ハード両面ともセガという会社に一番の投資をしてきた。購入した順番にハードを並べていけば、SG1000−2、セガMARK3、メガドライブ、メガCD、セガサターン、スーパー32X、セガマスターシステム(中古)、ドリームキャストといったラインナップになる。故障による重複買いを含めると、もっと金をかけた事になるだろう。かれこれ17年間のおつきあいである。
子供の頃、親のすねをかじって買ったもの、学生の頃、バイト代をはたいて買ったもの、社会人になり、金銭的な余裕が十分にできてから買ったもの、様々だ。そんな自分であるから、セガという会社に思い入れがないわけはない。しかし、ハード事業からの撤退という事実には、一抹の寂寥感は心の中に存在するものの、止むを得ない事か、と納得の心境に至ってもいる。
何故なら、ドリームキャストの発表当時から、この日がくることはある程度予見できたからだ。
セガは倒れたままなのか、セガは倒れたままだった。
セガの敗因はどこにあったのか。その事を考えるには、先ず二世代前のメガドライブというハードから把握していく必要性があるだろう。
セガというメーカーは、アーケードゲームにおいて次世代来る技術の模範を示しながら、それに追従すべき新型家庭用ハードにはその技術の盛り込みを怠るという訳のわからん欠点があった。
たとえば、だ。1986年あたりから、ゲームセンターではスプライトキャラクターの拡大縮小回転技術をふんだんに使用したゲームが目立つようになってきた。
セガでは、「スペースハリアー」「アウトラン」といったアーケードゲームでその技術に先鞭を付けておきながら、家庭用ゲーム機では1988年発売のメガドライブでその機能を欠落させる、といった失策を犯すのだ。
このときの開発陣のコメントが、「機能を搭載する費用に対して得られる効果が薄い。」とのものだった。
1991年、スーパーファミコンはこの機能をちゃっかり付属させて発売し(これはスプライトというよりも背景画面の拡大縮小ではあったが)、F−ZEROやパイロットウイングス等で凄いグラフィックス効果を上げて世人の驚きを得たものであった。
グラフィック機能に優れるスーパーファミコンは、先行していたメガドライブやNECのPCエンジンをあっという間に駆逐し、先代のファミコンに次いで圧倒的地位を手に入れることに成功した。
慌てたセガはメガCDにて画像の回転拡大縮小機能を付属させ、一応追撃の構えを見せはしたが、本体より高価な周辺機器にそんな機能を積んだところで、所詮は焼け石に水なのである。もう一つ、セガにはゲームメーカーとして大きな欠点があった。それは、イメージキャラクターをコロコロ変えたがる、という所だ。SG1000時代にフリッキー、MARK3時代にアレックスキッドといったマスコットキャラをすでに持っていながら、次代のハードでそれが不発と見ると、さっさと捨てて新しいキャラクターを創造したがるのだ。
マリオ兄弟が世界的なスターダムにのし上がるまで、いかに長きにわたって下積み期間を経てきているか。一朝一夕でスターになれる者など、人間にもキャラクターにもそうそうはいないのだ。
にも関わらず、セガは一度二度の失敗でせっかく定着しかけているイメージキャラを自ら潰してしまう。これは今でも猛省を促したいところだ。が、上記二点の欠点は、メガドライブの本質的失敗にはつながらなかった。何故なら、その欠点を埋めてなお余りある世界的ヒットが生まれたからである。
一朝一夕でスターダムにのし上がった幸運児が生まれた。ソニック・ザ・ヘッジホッグだ。
このハリネズミはヨーロッパとアメリカで爆発的な人気を得て、メガドライブをニンテンドー・エンターテイメント・システム(NES)と並ぶ代表的ゲーム機の地位に持ち上げた。
ソニックというゲームは、巷で思われているほど緻密なバランスで仕上げられた丁寧な作りのゲームでは全くない。ソニック最大の売りは、ゲーム性を無視したとしか思えないその主人公の驚異的移動スピードにあった。
豪快なスピードが欧米のユーザーの心を鷲掴みにしたのであろう、緻密なゲーム性を積み重ねていくマリオの発想からは、確かに生まれ得ないゲームである。
しかし、欧米のユーザーを虜にしたソニックも、職人的丁寧さを好む日本のユーザーには十分に通用しなかった。ソニックというキャラクターで、セガという企業のイメージは向上したが、メガドライブの販売台数にはなかなか結びつかなかったのだ。
ここで、メガドライブは二つの市場において全く別の地位を占めることになってしまう。欧米では、ニンテンドーと渡り合う力を持った強力なハードとして、日本ではスーパーファミコンに歯が立たない弱小ハードとして。1993年頃の話である。これが、引いてはセガを家庭用ハード撤退にまで追い込む遠因になっていく。
欧米では大成功を収めたものの、日本市場では任天堂に全く歯が立たないセガは、ハード性能的にも限界の見えるメガドライブを見切って対日本戦略のための新鋭機開発を始めた。
まずはカプコン格闘ゲーム等の高度なアニメーション処理が再現できる強力なスプライト機能を持ち、その次にセガやナムコが先鞭をつけていた3D立体表現技術のポリゴンにそこそこ対処できる機体を開発する、というコンセプトである。
ここでは、欧米戦略はほとんど視野に入れられていない。何故なら、欧米人は日本人より新しいものを選ぶ事に慎重で、すでにメガドライブで十分な成功を収めているセガとしては、その勢いをもう2〜3年引っ張れると踏んだからであろう。
かくして、日本で大人気となっていた3D格闘ゲーム「バーチャファイター」をキラーソフトに据え、日本人にのみ向けられたハード、セガサターンは1994年11月末に発売される事となった。ここで、全く未知のライバル、プレイステーションが同年12月3日に登場する。この機体は、スーパーファミコン用にCD−ROMを開発していたソニーが、任天堂に一方的な契約打ち切りという仕打ちを受け、世界的企業ソニーの体面を傷つけた任天堂に対して復讐戦を挑むべく作られたルサンチマンの塊、といった代物だった。
しかしそれだけにゲーム市場の動向をよく考え抜いて作られた機体で、ナムコなどの技術支援も受けつつ従来の概念を破る機能を持っていた。
それは、プレイステーションが、なんとポリゴン性能のみに特化した一点突破型のマシンだったという事である。
アーケードにおいてはゲームのポリゴン化に先導的役割を果たしていたセガが、家庭用ゲーム機(セガサターン)となると「バーチャファイター」や「デイトナUSA」で青色吐息の移植しか見せない。
それに比べて、「リッジレーサー」や「鉄拳」でゲームセンターと遜色のないポリゴンゲームを軽々と再現して見せたプレイステーションは、ゲームマニアから非常な好意を持って受け入れられた。
それだけではない。マニア以外の素人ウケを狙うために、美しい動画を再生できるよう、JPEGストリーミング技術を搭載し、旧態然とした粒子の粗いシネパック映像の再生しかできないセガサターンに大きく水をあける事に成功した。しかも、予想外なことに、プレイステーションは発売されるや否や、アメリカでもヒットして、飛ぶように売れたのである。これは、金融機関やパソコン業界が空前の好景気で、80年代の長期不況を脱しつつあったアメリカが、ゲーム機の分野でも購買意欲が回復していたという事情があった。
松下の3DOやプレイステーションといった新鋭機が飛ぶように売れ、メガドライブとそのファミリー(メガCDやスーパー32X)で人気を引っ張れると踏んだセガの予想を完全に裏切った形となった。だが、国内市場でのセガサターンはまだプレイステーションに完敗したわけではなかった。セガのゲーム機は設計がややこしいが、それだけに底力もあるのだ。プレイステーションの驚異的な性能を横目ににらみ、セガは物凄い努力で技術的困難を克服していく。
「鉄拳」並みのスピード(すなわち1コマ1/60秒)を再現し、アーケード版と遜色のないゲーム性に仕上げた「バーチャファイター2」、コマ数では「リッジレーサー」に及ばない1/30秒であるものの、リアルな車体の挙動が完璧に移植された「セガラリー」、従来の概念を覆し、背景と敵キャラをポリゴンで仕上げた軽快なガンシューティング「バーチャコップ」等、セガサターンの弱点とも思われたポリゴン分野で凄まじい成果を上げていく。
ムービー映像の再生においてもJPEGストリーミングに対抗してトゥルーモーションという技術が使用されるようになり、追撃は整いつつあった。
サードパーティからも、女神転生外伝「デビルサマナー」等が発売され、このソフト群が一斉に売りに出された1995年の年末商戦はセガサターンの一方的な圧勝となった。
特に「バーチャファイター2」の売上は100万本を軽く越え、ちょっとした社会現象となる。
セガの悲願である家庭用ハードでの天下取りが実現した瞬間でもあった。
このままいけば、日本市場でプレイステーションに圧勝、そろそろ旧型機となりつつあるスーパーファミコンもしのいでセガが王座を入手する日も近いと思えた。
日本市場に圧勝すれば、欧米市場が追従せざるを得ないのは目に見えている。
1996年1月。クリスマス商戦に惨敗したプレイステーションは、目の前に立ちはだかるセガサターンを駆逐すべく、そして任天堂スーパーファミコンにとどめを刺すべく、水爆級の発表を行った。
「スクウェア、ファイナルファンタジー7をプレイステーションにて、1996年12月に発売。」
ユーザーは激震する。任天堂陣営不動の3番打者、王貞治に比肩されうる「ファイナルファンタジー」が、プレイステーションで発売されるというのだ。
風向きは一気にプレイステーションに靡く。多くのユーザーがプレイステーションに乗り換え、セガサターンとプレイステーションの両端を持していたソフトメーカーの多くも、敏感にその流れに乗り始める。例えば、アスキーはこの年の6月にプレイステーションで「ダービースタリオン」を発表し、ミリオンセールを獲得する。
この動きに対して、ひときわ鈍い反応しか示さなかったのが他ならぬセガであった。前年の勢いが目を曇らせたのか、もともと戦略眼がタコだったのか(おそらく後者だとおもうが)、本来ならこの動きに対してすぐにでも主力の「ソニック」を注ぎ込み、プレイステーションの勢いを少しでも減殺すべきところだった。しかし、ソニックチームが発売したゲームは「ナイツ」・・・。
セガ御得意の、またまた新キャラ大作戦である。もーええ加減にせえよ阿呆・・・。と言いたくなる瞬間であった。
「ナイツ」は確かに素晴らしい出来のゲームであるが、「ナイツ」というキャラが皆に浸透して親しまれるまでに、どれだけの時間がかかると思っとんねん、ボケが・・・。
マリオほどの力はないとはいえ、ソニックはセガ最大の看板キャラである。プレイステーションは大看板「ファイナルファンタジー」を掲げて、無党派層の切り崩しにかかっているのに、「ナイツ」などという冒険実験をやらかして、余裕をぶっこいている暇は全くないはずだ。もはやセガサターン敗退のカウントダウンはとっくに始まっているのである。
この時期、ニンテンドー64発売。キラーソフトにスーパーマリオを使ってきた任天堂の戦略は、セガとあまりにも対照的でなんだか笑えた。
危機感を持った古参で良心的なセガファンが、「ファイナルファンタジー」に対抗すべく、何らかの発表を準備せよ、とセガに迫る。セガの大将、鷹揚なもので、「まかせなさい。年末には凄い隠し球がありますよ。」と大見得を切った。
ゲーム界の王貞治、「ファイナルファンタジー」に対抗できうる隠し球となれば、もはやたった一つ。ゲーム界不動の4番打者、長島茂雄に比肩しうる、そうアレしかない・・・・。
んで、セガの大将が年末までに発表したソフト達。
「ファイティングバイパーズとバーチャファイターのキャラが一同に会します。夢の対戦が可能!」
へーえ。
「ついに、あの電脳戦記バーチャロンが、サターンに登場します!!」
ほおー。
「天才飯野が送るエネミーゼロ!!彼はプレイステーションから寝返って来てくれたんだよ!!」
なるほどね。
んで、肝心の隠し球はどこ?
「どこって・・・・。あれ? 今ので十分じゃん。ファイナルファンタジーを超える衝撃でしょ。」
なめとんのか、コラ!!!!
そんなロッテ木樽、阪急足立なみのラインナップで、「ファイナルファンタジー」が抑えられると思っとんのか、ワレ!!!ああああああ〜、無為無策。当初の予定より遅れたものの、1997年初頭、「ファイナルファンタジー7」発売。当然大ヒット。プレイステーション勢い爆発。セガサターンずるずる後退・・・・。
追い討ちをかけるように、「エニックス、プレイステーションにてドラゴンクエスト7開発決定!!」
ほら、ゲーム界の長島茂雄まで、移籍決定やないか・・・・。セガサターン、敗北確定・・・・。次回に続く・・・・。