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おっさんらしく色々人間ドックで引っかかりながらも、長生きしたいオタク・・・。
ブログ自体はバージョン4。
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2014/06/15 :: W杯 日本緒戦負け
・
いやあ、負けたねえ日本。
コートジボアール強かった。前半リードしても、ずっと押し捲られてたし、後半ドログバを効果的に投入してきたサブリ・ラムーシ監督の采配もすごかった。
何より攻撃陣のパスミスが多くてカットされまくりだったし、ザッケローニの交代も後手に回った気がしていた。
最低でも引き分けておきたかった相手に負けちゃって、突破がかなり苦しくなった。
ギリシャ相手にまずは必勝しかなくなった。その後のコロンビアはエースのラダメル・ファルカオ・ガルシアを怪我で欠いているとはいえ、力量はギリシャ戦で明らかだし、難しいプランになりそう。
!!$img1!! !!$img2!! !!$img3!!
・
いやあ、負けたねえ日本。
コートジボアール強かった。前半リードしても、ずっと押し捲られてたし、後半ドログバを効果的に投入してきたサブリ・ラムーシ監督の采配もすごかった。
何より攻撃陣のパスミスが多くてカットされまくりだったし、ザッケローニの交代も後手に回った気がしていた。
最低でも引き分けておきたかった相手に負けちゃって、突破がかなり苦しくなった。
ギリシャ相手にまずは必勝しかなくなった。その後のコロンビアはエースのラダメル・ファルカオ・ガルシアを怪我で欠いているとはいえ、力量はギリシャ戦で明らかだし、難しいプランになりそう。
!!$img1!! !!$img2!! !!$img3!!
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■ Re:もし
└ 同じ境遇の者です at 2017/06/04 23:00:53
└ 山口 浩 at 2017/06/06 22:27:57
└ 同じ境遇の者です at 2017/06/07 0:09:51
└ 山口 浩 at 2017/06/09 0:39:19
└ 同じ境遇の者です at 2017/06/04 23:00:53
└ 山口 浩 at 2017/06/06 22:27:57
└ 同じ境遇の者です at 2017/06/07 0:09:51
└ 山口 浩 at 2017/06/09 0:39:19
■ Re:福井市の1980年代PC事情
└ バビロン王 at 2016/02/02 21:56:24
└ 山口浩 at 2016/02/04 23:16:39
└ バビロン王 at 2016/02/07 17:59:21
└ バビロン王 at 2016/02/02 21:56:24
└ 山口浩 at 2016/02/04 23:16:39
└ バビロン王 at 2016/02/07 17:59:21
■ Re:MSXのライバルたち その7。 MZ-1500
└ バビロン王 at 2013/02/22 10:08:17
└ 山口 浩 at 2013/02/23 1:38:07
└ へ? at 2016/01/30 15:08:54
└ 山口 浩 at 2016/01/30 22:13:11
└ バビロン王 at 2013/02/22 10:08:17
└ 山口 浩 at 2013/02/23 1:38:07
└ へ? at 2016/01/30 15:08:54
└ 山口 浩 at 2016/01/30 22:13:11
2013/02/17
MSXのライバルたち その4。 SC-3000
[オールドPC関連]
・
相変わらず需要なしシリーズその4、MSXのライバルたち。
今回は、MSXと全く同一世代、1983年にセガが発売したホビーパソコン、SC-3000。
アーケードゲームメーカ、アミューズメント設備メーカとしてトップの地位にあったセガが、多角経営の一環を図ったのか、パソコンマーケットの将来性を測ったのか、経緯は不明だがとにかく発売されたロープライスパソコン。
値段は29800円という、当時のパソコンとしては破格の安値だったが、当然これにはカラクリがあって、シャープのMZやX1と同じくクリーンコンピュータであったので、BASICのような言語やOSを搭載していなかったというのが大きい。
BASICについては別売りROMカートリッジでカバーするというスタンスで、RAM容量の大きさとステートメントの充実度合いによって何種類かに分けられ、RAM32KBを搭載した最高性能のレベル3は、15000円と、家庭用ゲーム機1体分の高額な値段が付けられていた。
とはいえ、BASICカートリッジをつけたところで45000円以下と、当時のパソコンとしては十分に安い価格を維持している。記憶媒体としてはデータレコーダを別売で用意、その他専用プリンタを接続できるなど、通り一遍の機能は保持していた。
性能については、これがもう、完全にMSXのクローン。いやMSXがクローンだったのかも知れないが。CPUにはZ80、グラフィックチップにすっかりお馴染みTMS9918、サウンドにPSG音源搭載と、全く同一スペック。
これで本当に機種を分ける必要性があるのか、というくらい瓜二つ。
発売されるROMカートリッジには、アーケードゲームの王者セガらしく、セガのゲーセンゲームが次々と移植された。”ボーダーライン”、”コンゴボンゴ”、”モナコGP”、”スタージャッカー”、”トランキライザーガン(サファリハンティングに変名)”、”ヘッドオン(パッカーに変名)”と、セガのアーケードタイトルがずらりと並ぶ。
まあBASICはROMカートリッジ売りだし、ゲーム屋の売るマシンだし(実際ソフトの過半数はゲームだったし)、パソコンとしての普及は全くしなかった。
しかし、これがゲーム機となれば話は別。SC-3000のキーボードを取っ払って、代わりにジョイスティックを付け、値段を15000円に下げたSG-1000を売り出してみたら、上記のゲームタイトルが威力を発揮して、セガ自身の予想以上に売れてしまった。
SG-1000を出した当初は、「5万台くらい売れればいいねー」なんて話してたらしいが、何と15万台も売れた。もちろんファミコンには及ぶべくも無いが、セガの弾いてたソロバンとは一桁違った数字が成果として出てしまったわけだ。
「家庭用ゲーム機は売れる・・・・・」セガの命運が良くも悪くもここで決まってしまったというか。
一方のSC-3000はまもなくフェードアウト。SG-1000にはオプションで付いていたキーボードとデータレコーダ、プリンタへのインターフェイスも、後継機のセガマーク3までは一応存在したものの、マーク3のマイナーチェンジ版であるマスターシステムで綺麗に消滅。セガはパソコン市場を諦めて、ゲームハードメーカとして本格的に歩み始める。
そんなこんなで、MSXのライバルたりえなかったというか、そもそも歩む道が違っていたというか。データレコーダとプリンタしか繋げないSC-3000と違って、強力なBIOS群(あるいは拡張BIOS)で様々な周辺機器を扱うことが出来たMSXは、汎用性でも圧勝していたし、パソコンという性格では、やはりMSXの方が優れていた。
とはいえ、絶対的な機能としてはほぼ同等なので、SC-3000/SG-1000からは、ゲームがほぼスルーパス状態でMSXにバンバン移植されていた。
当然同一機能なので、移植度はほぼ完璧という(笑)。
しかし、後継機のセガマーク3と、MSX2については、随分機能、性格が離れてしまった。ともに一応下位互換があって、それぞれの先代機のソフトが扱えるのは同じだが、よりゲーム機らしくなってファミコンを上回る性能を発揮したマーク3と、よりパソコンらしくなって、上位パソコンともグラフィックの精密さで遜色が無くなったMSX2とでは、ポジションが大きく離れてしまった。
それでも従来の関係から、マーク3のソフトは何本かMSX、MSX2に移植されたが、マーク3のゲーム機としての優秀さを再確認させられるだけで、両先代機どうしの良好な移植性に比べて、劣った結果しか出てこなかったという記憶がある。
ともあれ、ポジション的、性能的には発売当初近いところにいたはずのMSXとSC-3000が、代を重ねるごとに性格が違っていったというのはなかなか興味深いことではある。
結果的にライバルというよりも、ある意味仲良く共存していたというべきか。
相変わらず需要なしシリーズその4、MSXのライバルたち。
今回は、MSXと全く同一世代、1983年にセガが発売したホビーパソコン、SC-3000。
アーケードゲームメーカ、アミューズメント設備メーカとしてトップの地位にあったセガが、多角経営の一環を図ったのか、パソコンマーケットの将来性を測ったのか、経緯は不明だがとにかく発売されたロープライスパソコン。
値段は29800円という、当時のパソコンとしては破格の安値だったが、当然これにはカラクリがあって、シャープのMZやX1と同じくクリーンコンピュータであったので、BASICのような言語やOSを搭載していなかったというのが大きい。
BASICについては別売りROMカートリッジでカバーするというスタンスで、RAM容量の大きさとステートメントの充実度合いによって何種類かに分けられ、RAM32KBを搭載した最高性能のレベル3は、15000円と、家庭用ゲーム機1体分の高額な値段が付けられていた。
とはいえ、BASICカートリッジをつけたところで45000円以下と、当時のパソコンとしては十分に安い価格を維持している。記憶媒体としてはデータレコーダを別売で用意、その他専用プリンタを接続できるなど、通り一遍の機能は保持していた。
性能については、これがもう、完全にMSXのクローン。いやMSXがクローンだったのかも知れないが。CPUにはZ80、グラフィックチップにすっかりお馴染みTMS9918、サウンドにPSG音源搭載と、全く同一スペック。
これで本当に機種を分ける必要性があるのか、というくらい瓜二つ。
発売されるROMカートリッジには、アーケードゲームの王者セガらしく、セガのゲーセンゲームが次々と移植された。”ボーダーライン”、”コンゴボンゴ”、”モナコGP”、”スタージャッカー”、”トランキライザーガン(サファリハンティングに変名)”、”ヘッドオン(パッカーに変名)”と、セガのアーケードタイトルがずらりと並ぶ。
まあBASICはROMカートリッジ売りだし、ゲーム屋の売るマシンだし(実際ソフトの過半数はゲームだったし)、パソコンとしての普及は全くしなかった。
しかし、これがゲーム機となれば話は別。SC-3000のキーボードを取っ払って、代わりにジョイスティックを付け、値段を15000円に下げたSG-1000を売り出してみたら、上記のゲームタイトルが威力を発揮して、セガ自身の予想以上に売れてしまった。
SG-1000を出した当初は、「5万台くらい売れればいいねー」なんて話してたらしいが、何と15万台も売れた。もちろんファミコンには及ぶべくも無いが、セガの弾いてたソロバンとは一桁違った数字が成果として出てしまったわけだ。
「家庭用ゲーム機は売れる・・・・・」セガの命運が良くも悪くもここで決まってしまったというか。
一方のSC-3000はまもなくフェードアウト。SG-1000にはオプションで付いていたキーボードとデータレコーダ、プリンタへのインターフェイスも、後継機のセガマーク3までは一応存在したものの、マーク3のマイナーチェンジ版であるマスターシステムで綺麗に消滅。セガはパソコン市場を諦めて、ゲームハードメーカとして本格的に歩み始める。
そんなこんなで、MSXのライバルたりえなかったというか、そもそも歩む道が違っていたというか。データレコーダとプリンタしか繋げないSC-3000と違って、強力なBIOS群(あるいは拡張BIOS)で様々な周辺機器を扱うことが出来たMSXは、汎用性でも圧勝していたし、パソコンという性格では、やはりMSXの方が優れていた。
とはいえ、絶対的な機能としてはほぼ同等なので、SC-3000/SG-1000からは、ゲームがほぼスルーパス状態でMSXにバンバン移植されていた。
当然同一機能なので、移植度はほぼ完璧という(笑)。
しかし、後継機のセガマーク3と、MSX2については、随分機能、性格が離れてしまった。ともに一応下位互換があって、それぞれの先代機のソフトが扱えるのは同じだが、よりゲーム機らしくなってファミコンを上回る性能を発揮したマーク3と、よりパソコンらしくなって、上位パソコンともグラフィックの精密さで遜色が無くなったMSX2とでは、ポジションが大きく離れてしまった。
それでも従来の関係から、マーク3のソフトは何本かMSX、MSX2に移植されたが、マーク3のゲーム機としての優秀さを再確認させられるだけで、両先代機どうしの良好な移植性に比べて、劣った結果しか出てこなかったという記憶がある。
ともあれ、ポジション的、性能的には発売当初近いところにいたはずのMSXとSC-3000が、代を重ねるごとに性格が違っていったというのはなかなか興味深いことではある。
結果的にライバルというよりも、ある意味仲良く共存していたというべきか。
posted at 2013/02/17 1:19:28
lastupdate at 2013/06/16 12:04:31
【修正】
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