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おっさんらしく色々人間ドックで引っかかりながらも、長生きしたいオタク・・・。
ブログ自体はバージョン4。
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2017/11/25 :: トークイベント参加
23日は、休日出勤の仕事を手早く片付けて、漫画家の喜国雅彦さんと杉本一文画伯のトークイベントに参加するために、特急に飛び乗り一路、新宿へ。
同じく絵を描く行為を職業とするプロお二人ならではの視点で、横溝表紙絵についての解説があり、興味深かった。
喜国先生ご本人から直接、著書を購入し、喜国先生のお財布からお釣りを貰う状況がなんとなくシュールだった(笑)。
!!$img1!!
!!$img2!!
!!$img3!!
23日は、休日出勤の仕事を手早く片付けて、漫画家の喜国雅彦さんと杉本一文画伯のトークイベントに参加するために、特急に飛び乗り一路、新宿へ。
同じく絵を描く行為を職業とするプロお二人ならではの視点で、横溝表紙絵についての解説があり、興味深かった。
喜国先生ご本人から直接、著書を購入し、喜国先生のお財布からお釣りを貰う状況がなんとなくシュールだった(笑)。
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■ Re:もし
└ 同じ境遇の者です at 2017/06/04 23:00:53
└ 山口 浩 at 2017/06/06 22:27:57
└ 同じ境遇の者です at 2017/06/07 0:09:51
└ 山口 浩 at 2017/06/09 0:39:19
└ 同じ境遇の者です at 2017/06/04 23:00:53
└ 山口 浩 at 2017/06/06 22:27:57
└ 同じ境遇の者です at 2017/06/07 0:09:51
└ 山口 浩 at 2017/06/09 0:39:19
■ Re:1988年2月、では何を買うべきだったのか?
└ `バビロン王 at 2015/01/09 8:03:50
└ 山口 浩 at 2015/01/11 23:04:17
└ 同じ境遇の者です! at 2016/04/18 10:20:19
└ 山口 浩 at 2016/04/20 0:03:53
└ `バビロン王 at 2015/01/09 8:03:50
└ 山口 浩 at 2015/01/11 23:04:17
└ 同じ境遇の者です! at 2016/04/18 10:20:19
└ 山口 浩 at 2016/04/20 0:03:53
■ Re:福井市の1980年代PC事情
└ バビロン王 at 2016/02/02 21:56:24
└ 山口浩 at 2016/02/04 23:16:39
└ バビロン王 at 2016/02/07 17:59:21
└ バビロン王 at 2016/02/02 21:56:24
└ 山口浩 at 2016/02/04 23:16:39
└ バビロン王 at 2016/02/07 17:59:21
■ Re:MSXのライバルたち その7。 MZ-1500
└ バビロン王 at 2013/02/22 10:08:17
└ 山口 浩 at 2013/02/23 1:38:07
└ へ? at 2016/01/30 15:08:54
└ 山口 浩 at 2016/01/30 22:13:11
└ バビロン王 at 2013/02/22 10:08:17
└ 山口 浩 at 2013/02/23 1:38:07
└ へ? at 2016/01/30 15:08:54
└ 山口 浩 at 2016/01/30 22:13:11
■ Re:疲れる
└ あばれるくん at 2015/11/02 1:12:58
└ あばれるくん at 2015/11/02 1:13:25
└ 山口 浩 at 2015/11/02 22:16:01
└ あばれるくん at 2015/11/02 1:12:58
└ あばれるくん at 2015/11/02 1:13:25
└ 山口 浩 at 2015/11/02 22:16:01
2013/06/15
昔あったもの
[日記]
・
不惑の歳を越してからもうそろそろ1年になんなんとしているが、一向にどっしりした大人の男性として成長する兆候もなく、相変わらずのドリフターとして人生を送っているわけだが。
孔子の言う”不惑”とは、平均寿命の短い昔の時代では40を過ぎたらそろそろ死ぬ準備をしておけ、という話らしいのだが、当然そんな覚悟が決まるわけもなく、毎日ダラダラとした日々を過ごしている。
自分が子供の頃の40代と言えば、太平洋戦争が始まるか終わるかくらいに生まれた人ばかりで、戦後の貧しい時期に子供時代を送って苦労してきた人種が多かった。
映画”3丁目の夕日”的な世界を身をもって体験してきた世代だが、美化された映画の中とは違い、日本全体が貧乏で犯罪率も高く、なかなかに荒んだ時代であったようだ。
そんな辛酸を舐めてきた世代とは違い、自分達の子供の時代といえば1980年代で日本が安定成長期に入り、平和かつ豊かな時代を享受してきたあたりの話で、まあ自分達の子供の頃は幸福な世の中だったと言えるだろう。
1990年代後半から近現までは、景気が思わしくなく真綿で締められるような時代が続いたので、若い連中は実際の生活はともかく、精神的にしんどい時代を送ってきたと思われるので、それはそれで厳しい話だと思う。
1980年代だと今から30年前のことになってしまうのだが、ファミコンなどのTVゲームが登場し、パソコン各種も原始的ながら登場するという、今も頻繁に使われるツールが出揃うなど、思ったよりも現代とは差が少ない。
スマホやインターネットなどはなかったが、移動体通信やパソコン通信もボチボチ実用化されていたのでそちらの技術に関しても多少は繋がりがある。
少なくとも終戦直後の1950年代と1980年代の差よりも、1980年代と2010年代の差異の方が遥かに小さいことは間違いない。
とはいえ、1980年代には、1950年代〜60年代の香りを多少なりとも残す事案があった事もこれまた間違いない。そんな案件をいくつか列挙してみる。
@お祭りでの見世物小屋
福井祭りの会場が足羽川原をメインにしていた頃、まだあったんだよねえ見世物小屋。
狼少女だの蛇女だの、何か変な生き物のミイラだとか。おどろおどろしい看板で客集めていたけど、親にはそういうところへは近寄らせてもらえなかった。
もっとも自分も子供なので、おっかなくて敬遠してたところはあるけど。
そのうち、多分、公序良俗に反する、ってんで追放されたんだろうが。
今思えば、そういう繁華な催し物の裏面にあるいかがわしさの象徴、みたいな感じで、あれはあれで風情があったな、と。
A乞食坊主
宗派も定かではない怪しい坊さんが、徒党をなして托鉢に回り、玄関でなんぞ怪しい経文を唱えて喜捨を求めて回るという・・・。
だいたいそういう人たちが近所を歩き回り始めると、どこの家も玄関の鍵をかけ始め、居留守 を行使するというのが何とも。
外で遊んでいても、親や祖母たちが「早よ家戻んね!」と言って自分達を家に戻し、玄関に鍵をかけて居留守を使い、息を潜めて坊主の過ぎ去りを待つのはなかなかに緊張感があった。
運悪く居留守が間に合わず玄関に坊さんがゾロゾロ入ってこられた場合には、大音響で経文を唱えられて、やむを得ず、なんぼか金を包んで帰ってもらったように思うが、どうにもこうにも、いかがわしい雰囲気があったもんである。
原始仏教の喜捨の概念を思えば、やり方的には正しいのだろうが(笑)、何か脅迫めいた威圧感があったことは間違いない。
あれもいつのまにやら、無くなっていったなあ。
B70〜80歳の爺さんが屋台を引くたこ焼き屋
すごい年寄りの爺さんが、古めかしい移動屋台を引いて、鐘を手に持ってチリンチリン〜、と鳴らして廻り、たこ焼きを売り歩くという。
注文するとその場で作ってくれて、出来たてアツアツのたこ焼きを客に渡してくれたもんで、味もなかなか美味くて、よく親に買ってくれとねだったもんだが、
「あんなもん、あの爺さん、ちゃんと衛生面に気を遣っているかどうか分からん、食わせられん」
と、あんまり買ってもらえなかった。それでも、何回か食った記憶はあるので、全く縁がなかった訳ではない。
自分が子供の頃のたこ焼きと言えば、縁日の出店か、その爺さんのたこ焼き屋だけで、多分 縁日よりもその爺さんのたこ焼き食った方が先だったと思うので、
「たこ焼き美味いなあ」という概念を作ってくれたのはその爺さんのおかげのような気がする。
中学かそれ以上になって、親に
「もうあの爺さん来ないなあ」と言ったら、
「ああ、とっくに亡くなったざ」
と言われ、少し悲しかった記憶がある。
以上、自分的にノスタルジックな昭和の思い出(笑)。
不惑の歳を越してからもうそろそろ1年になんなんとしているが、一向にどっしりした大人の男性として成長する兆候もなく、相変わらずのドリフターとして人生を送っているわけだが。
孔子の言う”不惑”とは、平均寿命の短い昔の時代では40を過ぎたらそろそろ死ぬ準備をしておけ、という話らしいのだが、当然そんな覚悟が決まるわけもなく、毎日ダラダラとした日々を過ごしている。
自分が子供の頃の40代と言えば、太平洋戦争が始まるか終わるかくらいに生まれた人ばかりで、戦後の貧しい時期に子供時代を送って苦労してきた人種が多かった。
映画”3丁目の夕日”的な世界を身をもって体験してきた世代だが、美化された映画の中とは違い、日本全体が貧乏で犯罪率も高く、なかなかに荒んだ時代であったようだ。
そんな辛酸を舐めてきた世代とは違い、自分達の子供の時代といえば1980年代で日本が安定成長期に入り、平和かつ豊かな時代を享受してきたあたりの話で、まあ自分達の子供の頃は幸福な世の中だったと言えるだろう。
1990年代後半から近現までは、景気が思わしくなく真綿で締められるような時代が続いたので、若い連中は実際の生活はともかく、精神的にしんどい時代を送ってきたと思われるので、それはそれで厳しい話だと思う。
1980年代だと今から30年前のことになってしまうのだが、ファミコンなどのTVゲームが登場し、パソコン各種も原始的ながら登場するという、今も頻繁に使われるツールが出揃うなど、思ったよりも現代とは差が少ない。
スマホやインターネットなどはなかったが、移動体通信やパソコン通信もボチボチ実用化されていたのでそちらの技術に関しても多少は繋がりがある。
少なくとも終戦直後の1950年代と1980年代の差よりも、1980年代と2010年代の差異の方が遥かに小さいことは間違いない。
とはいえ、1980年代には、1950年代〜60年代の香りを多少なりとも残す事案があった事もこれまた間違いない。そんな案件をいくつか列挙してみる。
@お祭りでの見世物小屋
福井祭りの会場が足羽川原をメインにしていた頃、まだあったんだよねえ見世物小屋。
狼少女だの蛇女だの、何か変な生き物のミイラだとか。おどろおどろしい看板で客集めていたけど、親にはそういうところへは近寄らせてもらえなかった。
もっとも自分も子供なので、おっかなくて敬遠してたところはあるけど。
そのうち、多分、公序良俗に反する、ってんで追放されたんだろうが。
今思えば、そういう繁華な催し物の裏面にあるいかがわしさの象徴、みたいな感じで、あれはあれで風情があったな、と。
A乞食坊主
宗派も定かではない怪しい坊さんが、徒党をなして托鉢に回り、玄関でなんぞ怪しい経文を唱えて喜捨を求めて回るという・・・。
だいたいそういう人たちが近所を歩き回り始めると、どこの家も玄関の鍵をかけ始め、居留守 を行使するというのが何とも。
外で遊んでいても、親や祖母たちが「早よ家戻んね!」と言って自分達を家に戻し、玄関に鍵をかけて居留守を使い、息を潜めて坊主の過ぎ去りを待つのはなかなかに緊張感があった。
運悪く居留守が間に合わず玄関に坊さんがゾロゾロ入ってこられた場合には、大音響で経文を唱えられて、やむを得ず、なんぼか金を包んで帰ってもらったように思うが、どうにもこうにも、いかがわしい雰囲気があったもんである。
原始仏教の喜捨の概念を思えば、やり方的には正しいのだろうが(笑)、何か脅迫めいた威圧感があったことは間違いない。
あれもいつのまにやら、無くなっていったなあ。
B70〜80歳の爺さんが屋台を引くたこ焼き屋
すごい年寄りの爺さんが、古めかしい移動屋台を引いて、鐘を手に持ってチリンチリン〜、と鳴らして廻り、たこ焼きを売り歩くという。
注文するとその場で作ってくれて、出来たてアツアツのたこ焼きを客に渡してくれたもんで、味もなかなか美味くて、よく親に買ってくれとねだったもんだが、
「あんなもん、あの爺さん、ちゃんと衛生面に気を遣っているかどうか分からん、食わせられん」
と、あんまり買ってもらえなかった。それでも、何回か食った記憶はあるので、全く縁がなかった訳ではない。
自分が子供の頃のたこ焼きと言えば、縁日の出店か、その爺さんのたこ焼き屋だけで、多分 縁日よりもその爺さんのたこ焼き食った方が先だったと思うので、
「たこ焼き美味いなあ」という概念を作ってくれたのはその爺さんのおかげのような気がする。
中学かそれ以上になって、親に
「もうあの爺さん来ないなあ」と言ったら、
「ああ、とっくに亡くなったざ」
と言われ、少し悲しかった記憶がある。
以上、自分的にノスタルジックな昭和の思い出(笑)。
posted at 2013/06/15 23:40:20
lastupdate at 2013/06/16 11:47:47
【修正】
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Comments
by バビロン王
at 2013/06/21 9:56:10
あれでも宗派はたぶんあったと思うんだよねえ。
今なら経文でだいたい何経か判別つくくらいの知識はあるので、
そっから宗派もおおよそ判別がついたろうけれども。
今なら経文でだいたい何経か判別つくくらいの知識はあるので、
そっから宗派もおおよそ判別がついたろうけれども。
by 山口 浩
at 2013/06/21 22:47:22
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生産性を持たせてはならず、厚顔無恥であることを義務付けられる。
生半可な精神性では成し得ない所業だ。
家に来たら警察呼ぶけど。