カラー液晶の威力 「任天堂 ゲーム&ウォッチ パノラマスクリーン ポパイ」それまで黒一色だった液晶表示に改良を加えて、カラー表示を可能にしたシリーズが現れた。大型のアップライト型筐体のカラースクリーンテーブルトップシリーズであるが、ゲームウォッチと言うにはサイズも値段もFL管電子ゲームと変わりがなく、なおかつ液晶表示には透過光を必要としたため、FL機のように暗い所でもプレイが出来るというわけにはいかなかった。一連のゲームウォッチシリーズの中では、それほど普及しなかったように思う。
そもそもゲームウォッチの良さは、その携帯性、手軽さにあったので、テーブルトップではいささか重厚長大過ぎた。これを改良したのが、パノラマスクリーンシリーズである。
さすがに従来機のように、ポケットに入れて持ち運ぶというわけにはいかなかったが、それでも小さめのバッグなら十分に持ち運べるサイズ。透過光を必要とするカラー液晶システムも、本体を折りたたみ式にする事によって使用時のみ画面を開けるようにし、普段は厚みもそれほどではないレベルにまで押さえ込む事に成功した。これによって、パノラマスクリーンシリーズはテーブルトップシリーズに比べて一定の普及を見たのであるが、やはり値段が通常のゲーム&ウォッチシリーズより高めだったこと、さらに直後にTVゲームブームが到来したことによって、爆発的人気を収めるというわけにはいかなかった。
ゲームウォッチブームの掉尾を飾るシリーズであったとも言える。さて、ここからは個人的な推測を含む。カラー液晶システムの推測である。
自分が考えるに、液晶自体に色が付いているのではなく、今までのゲーム&ウォッチの液晶とは逆で、非通電時に黒色となるような液晶を採用し、通電するとその部分だけ液晶が透け、液晶パネルの背面に書かれた色つきの絵が見える、というものではないだろうか。表示方式を変えたゆえか、それまでのゲームウォッチとは消費する電力が半端でなく、電池がすぐに切れてしまう感じがした。
開閉
で、このパノラマスクリーンシリーズのポパイであるが、購入は実は自分ではなくて、妹である。これもクリスマスに買ってもらったものであるが。
自分的には、パノラマスクリーンシリーズの中でも、ドンキーコング系の作品が面白そうに見え、妹にもそれらを強烈に勧めたのであるが、そろそろ妹も自分の意思がはっきりし始めていたので、容易に自分の説得に応じなかった。
結局自分の反対を押し切り、妹が強引に買ったのがこれ。まあ今となってはどっちが良かったかは分からないが、個人的にはドンキーコングの方が良かったかなあ、という感じはする。好みの問題ではあるが。ちなみに現保有物はヤフオク落札物件である。
ゲーム内容は、ブルータスとポパイの一対一の殴り合い。オリーブを縛って船首に乗せ、奪って帰ろうとするブルータスに対し、桟橋の上で殴り合いをしてブルータスを海中に叩き落すという非常に物騒なゲームである。ブルータスに押し切られると、ポパイが海中にドボン。
例えて一番近いのは、ファミコンで出てたアーバンチャンピオン。あれにそっくりである。巡回するパトカーは出てこないけど。ゲーム画面。
ブルータスを2回海中に叩き落すと、3回目にはオリーブが足でほうれん草の入った缶詰を蹴飛ばしてくれるので、うまく拾ってパワーアップ。ブルータスをぶっ飛ばしてクレーンの突起に吊るし、めでたく一面クリアーとなる。
以後は同じ展開の繰り返し。ゲームBを選択すると、海面をカジキが徘徊し、桟橋の下からポパイの尻を狙ってくるので、これをやられるとポパイは痛さで飛び上がり、強制的に2キャラ分後退させられる。
美しい画面、高い芸術性
カラー液晶で表示されるゲーム画面は、非常に美しい。FL管も発光は美しいのであるが、絵の精緻さとなったら、透過型の液晶表示には敵わない。なんと言っても一枚絵を表示してるだけなので、数ある電子ゲームの中でも、その画面の見事さは他の追随を許さない。
ドットのギザギザがないので、現在のゲーム機などよりも美しさ自体は上である、と言えないこともない。
このポパイに限らず、テーブルトップシリーズにせよ、パノラマスクリーンシリーズにせよ、芸術点はかなり高い。加えてパノラマスクリーンは、比較的小型である上に外見も結構格好いいので、ゲーム機という枠にとらわれず、置物、インテリアとしても使えるのではないか、と思えるくらいである。リセット時の全表示
当時の状況
先にも書いたが、ゲーム&ウォッチの最晩期に登場したシリーズ。この後登場するTVゲーム機にやられて、それまで大きな市場を誇っていた電子ゲームは圧倒的に衰退する。
本体さえあれば、ソフトを買い足して次々といろんなゲームが遊べる汎用性、また、アーケードにより近い内容でゲームが遊べるという点で、TVゲーム機のアドバンテージは火を見るより明らかだった。電子ゲームは存在意義を失って、その市場は急速に縮小するのだが。
しかし、こういう電子ゲームの単品としての芸術性は、今となっては貴重かつ新鮮に思える。