大した事のない特集、第十四弾!!(02.03)
 

ネットワークゲームは、TVゲームの救世主となりうるか?

 
 2月下旬、マイクロソフトから初のゲーム機となるX−BOXが発売された。これでゲーム機市場はPS2、ゲームキューブ、そしてX−BOXと、かつての90年代中盤を思わせるような賑わいを見せることになった。

 実際のところ、ドリームキャスト以降のゲーム機は、性能が100倍、1000倍に向上していても、最早ユーザーに判別がつくほど画像やスピードに差がある訳ではなく、ハード的に飽和をきたしている。

 アーケードマシンとの性能もほとんど変わらなくなり、ゲーセンでゲームをプレイする意義も、不特定多数を相手に対人戦の腕を磨く、といった理由以外では甚だ薄れてきているのが現状だ。

 その中でどのゲーム機を買うか、といった議論はハード性能面では最早意味がなくなっており、ソフト面での比較検討のみが、ユーザーの選択肢として有効になっている。

 その点でいえば、発売後2年以上を経過している上、FFを自陣に有するPS2が最も有利であり、今後もPS2を中心に市場は動いてくと思われる。

 さて、これらのゲーム機は一様に3万円から4万円と高額化の一途をたどっており、しかも値下げ幅はかつてのPSやサターンよりも小さく、高値安定が続いている。
 80年代のゲーム機が、何とか発売価格を2万円以内に収めようと苦心していた事を思えば、正しく隔世の感がある。
 これは、かつてのターゲットは小中学生が中心であった事に比べ、現在は20代から30代の世代を狙い目として絞っている事もあるのだろう。まあ、相手にしている世代は変わらない事になるけどね。

 しかしいくらゲーム機の発展とともに時代を歩んできた自分達世代とはいえ、正直、性能差も明確ではなくソフトの質も変わらないハードに3台、4台と数万オーダーの金を払うのは馬鹿げていると感じる。

 かくいう自分も去年末に「連邦VSジオン」をプレイするためにPS2を購入したが、これだって当初の予定通りドリームキャストで発売されていれば、しなくて良かった出費である。

 大メーカーの大作主義が横行し、中小メーカーのアイデアを光らせる事の出来ないゲーム市場では、ただ閉塞感が強く、このままでは、たった30年という短い歴史ながら、TVゲームという産業は斜陽の道をたどって行く事になるだろう。

 そこで、近年新しいゲームの形として期待されているのが、インターネット通信を利用した他人との対戦を図るネットワークゲームである。

 まずはPCから火がついて、「ディアブロ」「ウルティマオンライン」などの良作が発表された。また、ドリームキャストがネットワーク対戦を実現し、「バーチャロン・オラトリオタングラム」や「ファンタシースターオンライン」などで、その世界をコンシュマー機にまで広げた。

 今は、PS2でも先程挙げた「連邦VSジオン」などが通信対戦に対応しており、新発売のX−BOXも当然ネットワークゲームを視野に入れている。

 人によっては、通常のTVゲームに見切りをつけ、ネットワークゲーム専門の人間もでてきている位である。
 また、ネットゲームこそTVゲーム究極の形、と論ずる雑誌も多い。
 ネットゲームは、果たしてTVゲームという分野を救う救世主たりえるのだろうか。
 
 

 もともとTVゲームは、対戦ツールとしての歴史があり、古くはテニスゲーム、ファミコン時代に入ってからも連珠、ベースボールを経てファミスタなどの良作を生んでいる。PCエンジンやメガドライブの時代になると、マルチタップという4人から6人でプレイできるコネクタが発売され、スポーツゲームやレースゲームの分野で活用されるなど、TVゲームが人と人との対戦という分野においても、新しいツールを供給してきた事が分かる。

 また、サーバ上に箱庭を作り、そこに多人数を集めてゲームを行うというネットゲームの原型も、古くは米国での「ケスマイ」、日本の富士通での「ハビタット」など、10年以上前から実験的に稼動しており、その発想自体はとりたてて新しいものではない。

 その意味では、近現興隆のネットゲームも、間違いなくTVゲーム発展上の一形態であり、ネットゲームの普及がTVゲームにある程度の活力をもたらす事はまず間違いないだろう。

 しかし、現在稼動しているゲームが全てネット対戦化し、やがて通常のゲームに取って代わるだろう、という考えは納得できない。

 尚且つ、ネットゲームの方が面白く、ゲーム機で一人プレイを行うゲームは格において劣る、という思想も納得できない。
 人間はその都度反応が千変万化、人による反応も十人十色、毎回違った結果を得ることができるし、刺激的なのは間違いない。はっきり言って対人戦が面白いのはどんなゲームでも当たり前、である。

 その究極は囲碁、将棋であり、ネットを通じてだろうが、実際に面と向かってプレイしようが、その面白さは不変且つ普遍だ。

 ありていに言えば、どんなときでも対人戦は面白く、TVゲームだろうがボードゲームだろうがテーブルトークだろうがその分野ははっきり言ってどうでもいい。
たとえツールの出来に良し悪しはあっても、人の力でカバーできる事も多い。

 そこには、正直TVゲームでなければならない、というポイントはほとんど無いのだ。
 そんなもので、そんな分野で、TVゲーム全体が救えるわけはないし、ネットゲーム自体がTVゲーム総体の代わりになる訳がない。

 もし、ネットワークゲームに、他の対戦型ゲームを上回るアドバンテージがあるとすれば、それは、一人遊びの発展系として成長してきた、TVゲームのインターフェイスやシステムの歴史があるからだろう。

 元来、トランプでのソリティア等に始まる一人遊びを、さらに深化させたものが本来のTVゲームだ。
 一人遊びの面白さを、ストイックに追求してきたのがTVゲームの歴史と言っても過言ではない。

 対人戦ツールとしての向上も結構だが、一人遊びとしてのTVゲームに向上且つ興隆が無ければ、総体としてのTVゲームも沈滞化していくだろう。そこには、ネットゲームも当然含まれうる。
何故なら、現在のネットワークゲームは、一人遊びとして発展してきたTVゲームのインターフェイスやシステムをベースとして成立したものであり、その方面の隆盛と洗練がなければ、これほど見事な対人ツールが出来上がる事は不可能だったろうからである。

この面での追求が無ければ、歴史ある囲碁、将棋、チェスなどの完成された対戦ゲームに、敵うわけがない。

にもかかわらず、一人遊びのゲームを否定する向きがあるのは、誠に嘆かわしい傾向である。

 対人戦の重視によるネットゲームの偏重傾向は、TVゲームという本質自体に対する否定の意味合いが強く、引いてはネットゲームという形態自体にも異を唱えているパラドクスにもなっている。

 一人遊びとしてのTVゲームの充実があってこそ、ネットワークゲームの興隆があると確信する。

 
 

ホームへ戻る

過去の特集リストへ行く